1 thought on “スクリーンショット 2020-09-22 2.31.50

  1. 山本 勉

    このカバーは大変興味深く拝見しました。1895年2月8日ホノルル引き受け、ニューヨーク、ロンドン経由モンテネグロ宛て。
    あて先も面白いし、配達証明(到達証明)付きなのがすばらしい。以下、思いつくまま書いてみます。

    (1)UPU時代の配達証明の歴史で最も特異な時期の使用例です。配達証明書の用紙は引受局で作成して、普通は郵便物本体に添付して送ります。現在でもこの方式です。しかし、1892年7月1日から1898年12月31日までの間は、引受局で配達証明書を作成せず、配達局で作成することになっています。1899年1月1日からは再び引受局で作成することになりましたので、この間は配達証明郵便史にとって例外的な時期なのです。配達証明書が添付されていないと、引受局でうっかり単なる書留便と勘違いする恐れがあります。そこで、この時期から配達証明便には「AR」または「Avis de reception」の表記が義務付けられました(それまでは統一的な表示の規制なし)。問題のカバーはこの時期に当たりますので、私にはよけいに興味深いのです。

    (2)12¢切手4枚貼り計48¢の料金内訳はどのようになっているのでしょうか?
    私の理解では次のようになるのですが、正しいでしょうか?
    30¢=書状料金5¢×6倍重量
    10¢=書留料金
    5¢=配達証明料金(到達証明料金)
    3¢=過納
    48¢=合計

    次のライプツィヒあてカバーも同じ切手の4枚貼りです。もしかして、フィラテリックカバーではないだろうかと感じられます。もし、料金の合わないフィラテリックなものであれば同じ切手が4枚貼ってあることに意味があるとは思えないので、ぜひとも料金面の説明をお願いします。

    (3)封筒中央の青十字はロンドン中継の際に、書留便であることを明示するために書かれたものでしょう(1878年からの習慣)。

    以上。

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