「安藤源成展–傘寿記念 フィラテリー歴70年の軌跡」(3/3-4日開催)プレビュー その4

3月3-4日に会期が迫った、郵政博物館特別コレクション展「安藤源成展–傘寿記念 フィラテリー歴70年の軌跡」において展示される作品の一部をプレビューとしてお目にかけます。

今回ご紹介するのは、安藤コレクションの核心をなす、岡山地方のマルコフィリー(郵便印専門蒐集)の三部作(美作・備前・備中國)のなかから、「備中の明治初期郵便印」のコレクション(5フレーム)として展示されるうちの1頁です。

この三部作のコレクションは、いずれも日本の地方郵便史作品としては稀なことに、国際切手展において大金銀賞という高い評価を得ていますので、日本随一のコレクション(すなわち世界一)と言っても過言ではないでしょう。

以下は、ご本人による作品解説です。


備中は廃藩置県で多くの県が誕生し、合併、分離を経て明治8年12月10日に岡山県となりました。

備前から続く山陽道に板倉・川邉・矢掛・七日市と支線の庭瀬・倉敷・玉島・笠岡・足守・高梁に順次、郵便取扱所が開設され、同様に不統一印、記番(イリ)印が使用されています。

小田県庁の置かれていた笠岡は両印とも非常に現存数が多く、川邉・足守を除いて他は比較的多いものとなっています。

明治7年12月16日に41局が開局したものの、北西部の川上郡・阿賀郡・哲多郡の使用例は、吹屋を除いて極めて希少です。エンタイア、葉書の差し立ての多い地は当時、繁栄していた地域であることが判ります。

なお笠岡・玉島には龍切手を貼付した郵趣界屈指のエンタイアが3点存在し、雲上のものとされています。

画像は明治8年(1875年)に備中庭瀬局から差立てられ、同局の不統一印が押捺された貴重なカバー及び消印付単片を提示したリーフです。