2020年10月10日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第25回Zoom例会』レポート前編です。参加者13人中6人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)前回の続きで、1945年8月17日インドネシア共和国独立宣言後、初期の使用例を紹介。
1リーフ目、南方占領地ジャワ第2次普通切手がそのまま使われたハガキ、1枚目ハガキ料金5Sen+書留料金30Sen=5Sen切手7枚貼、2枚目ハガキ料金5Sen1枚貼、いずれもジャワの戦後使用例で戦前使用例とは明確に区分されるとの事です。
2リーフ目、南方占領地ジャワ普通切手に ”REPOEBLIK INDONESIA” の文字が機械加刷されて使用された切手、ジャワ使用例2通。
3リーフ目、1946年発行正刷切手、いずれも検閲印が押されている、ジャワ使用例2通。
4リーフ目、1946年発行スカルノ大統領正刷切手に加刷された切手、スマトラ使用例2通。
5リーフ目、上記インドネシア共和国とは別で、同時期に再植民地化の為進出したオランダ側の蘭印切手使用例、バタビア発アメリカ・ニューヨーク行、書留航空便カバーで封筒両面に戦前戦後の切手が多数貼られている、以上、いずれのカバーも現在は入手困難と思われる。
2人目)前回の続きで、中華民国・上海大東2版切手に関する紹介と考察。
最初の画像はJPSカタログの写しで、17種の切手の未使用評価はオーソドックスだが、使用済は低額が少ないと想像出来る、インフレ等の関係で低額は殆ど使用出来なかった、紙別分類は1版とは逆に厚紙が基本。
1リーフ目、17種類未使用貼、1版とは違い10000圓以上の高額面から2色印刷、その図案から梅花版というニックネームが有る。
2・3リーフ目、このシリーズも印面寸法で4種類に分類が出来るが、これ以外の印面寸法が存在する可能性も有、3リーフ目中央のペアは注文消と思われるが、個人的には唯一所有の150圓使用済。
4リーフ目、銘版付ブロック、銘版位置は左右に印刷されている物、上下に印刷されている物が有。
5リーフ目、1通目カバー 、1947年12月1日より外国宛航空料金が統一されたが、その直前最後期使用例で沖縄宛、APOのアドレスが記入されているがAPOはアメリカ日本間の話、便宜的に住所として記入されているだけ、又この時期日本宛の料金は設定されておらずアジア宛料金が適用されている、2通目カバー、外国宛航空料金が統一後の使用例、封書料金8000圓+航空料金22000圓=30000圓、10000圓切手3枚貼、イギリス宛。
6リーフ目、アメリカ宛航空便カバー、封書料金航空料金共に値上げされた後、封書料金のみ値上したと勘違いして差出され、不足料金が適用されたと思われる。
7リーフ目、1通目カバー、アメリカ宛航空速達使用、2通目カバー、アメリカ宛航空使用だが、同一局で同一日時だが時間帯の違う消印が押されている、郵便局で料金不足を指摘され、不足分を貼足して再度差出したと思われる。
8リーフ目、1通目カバー、アメリカ宛航空書簡、当初は宛先や貼付切手枚数の規定が有った、2通目カバー、アメリカ宛航空便、重慶中華版との混貼使用例。
10リーフ目、1通目私製ハガキ、ポルトガル・ルサ・ダ・パルメイラ(Leça da Palmeira)宛、この時期のハガキ使用例は非常に少ない、2通目カバー、アメリカ宛航空2倍重量便で合計1900000圓分の切手が貼られているがインフレカバーでは無く、少し前に金圓通貨が出ており、切手の法幣通貨が下火になる直前でこの様な額面になっているとの事。
3人目)前回他の方が発表された、1939年(康徳6)2月10日満州哈爾浜中央発、朝鮮中江鎮宛、航空書留留置カバーの件で、少し情報を紹介。
国立国会図書館で調べた所、満州日日新聞1939年3月8日、新京中江鎮間の航空路線開設の記事が出ており、この発表を見たハルビン在住の切手商ジョン・スイート氏は航空便カバーの作成を思いついたのでは。
政府広報を見ると、2月中は航空路線拡張の告示は一切無く、3月31日に4月1日より航空路線開設の事が書かれており、最初に航空路線は開設したが航空便は途中迄しか乗せてなく、正式に中江鎮迄郵袋を載せるようになったのは4月1日からと思われる。
注)還付付箋に書かれている完全には読めない文章ですが、今回ゲスト参加された方に一部解読して頂けました。ありがとうございます。
□□不□□ノ為受里ノ例ニ依リタル処(前の漢字が思い浮かびません)との事
自分の収集範囲で外国からの日本宛カバーより、最近の入手品を紹介、1936年2月16日フィリツピン・マニラ発、東京宛3月3日東京中央風景印消、英国空軍ロイヤルフォースのTOKYO FLIGHTとなっているカバーで、不明な点が有り調べた事を紹介。
当時の朝日新聞記事より、1936年2月10日、3機の飛行艇がシンガポール発、北ボルネオ経由、 2月13日マニラ着、2機が2月16日香港着、 2月18日青森に向けて出発したが天候不順で香港に引返し、 この間マニラで待機していた1機が2月19日青森着、香港で待機していた2機も2月20日青森着、 2月24日上海に向けて出発したが天候不順で上海近くの温州に不時着、2月26日上海着、 本来2月29日に鹿児島を経由して、霞ヶ浦飛行場に到着の予定だったが急遽訪日は中止となった、上海から東京迄は船便で運ばれたと思われる。
前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。