2021年3月20日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第48回Zoom例会』レポート前編です。参加者10人中5人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)前回の続きで、ポルトガル領インド初期2番目シリーズ(タイプⅡ)の紹介、リーフ右上CE#8-15はアフィンサ専門カタログ番号で全8種類、1番目シリーズ(タイプⅠ)との違いは円周図案のSとRの文字の大きさ。
1リーフ目、1871-73年発行2番目シリーズの紙別、一部透し入り、シエード違いなどを整理、40レイスにはテートベッシュも存在するが、比較的高価なこのシリーズの中でも特に難しい。
2リーフ目、20レイス切手貼国内便カバー、他の額面カバーの入手は中々難しい、1871年12月6日Pangim発、12月7日Margao経由、12月7日Chandor着。
3リーフ目、同じく20レイス切手貼国内便カバーだが、シエードの濃い切手が貼られている、187?年3月21日Pangim発、抹消印数字の1が同局、3月21日Margao着。
4リーフ目、1873年発行3番目シリーズ、こちらはタイプⅠAとⅠBに分類できる、ⅠAは全額面に存在するが、ⅠBはINDIAの”A”が”逆V”になっており、額面は10レイスと20レイスのみ。
5リーフ目、20レイス・タイプⅠA切手貼国内便カバー、1874年4月8日・9日Pangim発、4月9日Margao着。
6リーフ目、20レイス・タイプⅠA切手と英領インド切手とのコンビネーションカバーとオンピース、カバーは1873年11月29日Bombay発、12月2日Sawantwaree経由、12月3日Pangim経由、12月4日Margao着、右側のオンピースは鉄道郵便印が押されている。
前回の発表で紹介させて頂いたスタンンプレスカバーの件でコメントを頂きました、レポートの補足説明という事で紹介させて頂きます、ありがとうございました。
今ニュースになっているスエズ運河の工事は1859年に始まり、開通は1869年だということですから、1858年当時はまだスエズ・アレクサンドリア間は陸路でした。ちなみに、運河が開通しても郵便物のすべてが運河を通ったのではありません。エジプトを通過するoverland mailは、まず、1858年のカイロ・スエズ間に鉄道が開通するまではラクダなどによって運ばれました。鉄道開通後は鉄道を利用しましたが、1869年のスエズ運河開通後も鉄道輸送が続けられます。1873年になって特別料金を支払った郵便物だけがスエズ運河を通過することができるようになりました。すべての郵便物がスエズ運河経由となったのは1888年2月1日からとされています。以上、ご参考まで。
2人目)アメリカ・3セント基本料金切手貼カバーを4通紹介。
1通目カバー、1861年8月28日LEBANON発、1851年シリーズ貼、南北戦争時に流行したPatriotic CoverでカシエもLady Liberty、北軍は戦争開始後、南軍に残っていた切手の資産価値を無くす為、1861年シリーズを発行してそれ迄の切手を無効にした、早い所では8月26日にはそれら切手が使用禁止になっており、このカバーは最後期の使用例と言えるもの。
2通目カバー、1858年9月21日Philadelphia発、1851年シリーズと1セント地方切手貼、この1セントはカバーを郵便局迄運ぶ為の料金支払いに当時必要だったもの。
3通目カバー、1863年12月12日NORFOLK発、1863年シリーズ貼、こちらも南北戦争時のPatriotic CoverでカシエもLady Liberty、NORFOLKは戦争開始時は南部のエリアだったが、1862年5月に南軍が撤退して北軍の勢力下となっている。
4通目カバー、1863年8月18日BOSTON発、明らかにシエードの違う1863年シリーズが2枚貼られているが、PAID印が押されている方は同市内転送時に貼られたもの。
3人目)以前の続きで中国・日本占領地域・華中の紹介、英語ではNanking and Shanghaiと翻訳されている事も多いが、1941年1月当時の勢力図を見るとそれだけでは無いといえる、黄色が日本軍、赤色が解放区、薄緑色が国民党の支配地域。
華中の通貨は儲備券を使っていたが、日本占領地域の中では一番信用が無く、インフレが進んで料金編成も頻繁に変わっていた、1943年11月に暫售加刷切手が発行される迄は、旧中国切手が無加刷のまま等価で使用されていた為、一見すると料金の合わない旧中国の使用例に見えるカバーも多く、更には第45回で紹介した日本の軍票立で支払う必要が有った航空切手も使われており、注意が必要との事。
1枚目リーフ、1枚目葉書は1936年2月5日湖南省(非占領地)より2月11日上海宛、上海を占領するかしないか微妙な時期の使用例、料金は法幣での支払い、2枚目葉書は同じ様な使用例に見えるが1940年2月21日安慶より2月28日武昌宛、占領地間の使用例、こちらは儲備券での支払い。
2枚目リーフ、共に日本宛の封書だが、時期が違う為に基本料金は違っている、速達と書留を同時使用の場合、華中では独自に値引料金が設けられていた。
3枚目リーフ、台湾宛書留3倍重量便。
4枚目リーフ、無加刷切手と暫售加刷切手の混貼使用例、華中では無加刷切手は使用禁止になる事はなかった。
旧中国3分切手田型と15分切手田型、よく似た切手だが15分の方は無加刷切で使用される事は殆ど無く、大半が暫售加刷の台切手として使用された為、カタログ値も若干高くなっている。
情報として、最新号のチャイナクリッパーに警告として紹介されている偽物切手について、海外ネットオークションでは新旧共に多くの偽物が出品されており、一部の出品者IDと共に数ページ紹介されているとの事でした。
前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。