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外国切手研究会 第45回Zoom例会レポート・後編

2021227日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第45Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)ハワイ王国宛インカミングカバーを紹介。

1通目、189793日、日本・大阪発、94日横浜経由、923日ホノルル着、小判型2銭郵便封皮にUPU小判切手1銭と2銭が貼り足されたカバー、サンフランシスコを経由せずダイレクトにハワイに送られたと思われる。

2通目、189876日、アメリカ・サンフランシスコ発、713日ホノルル経由、アメリカ最初の記念切手、世界コロンブス博覧会と2番目の記念切手、トランスミシシッピ博覧会の記念切手が貼られたリターンレセプト書留カバー、郵便料金は20セント必要だがこのカバーは18セント分しか貼られていない、不足料金を取られた形跡も無く2セント分は現金で支払われたかもしれないが、詳細は調査中との事、情報も募集中との事です。

3通目、1900130日、ドイツ・ワイズバーデン発、310日ナアレフ着、薄い印影も有るが両面に多数の中継印・到着印が押されている、ホノルルは見当たらずワイルクの中継印が押されている事から、サンフランシスコより直接ワイルクに送られた可能性も有るハガキ。

番外編 、第36回で紹介したハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo531セントを例にした、偽加刷についての解説、POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

4枚の拡大図を提示して頂きましたが、画像1枚目左側は要鑑定、右側は偽加刷、画像2枚目左側は本物、右側は偽加刷との事です、簡単な判別方法として、”Provisional” の最初の”i” の文字の下部セリフが左側だけで右側には無く、2番目の”i” の文字の下部セリフは左右に有るとの事。

昔から偽加刷は存在し、定常変種やエラー加刷になると評価が大きく変わる為、鑑定書は取った方が良いとの事、最近の海外ネットオークションにも偽加刷は出品されており、安易に飛び付くと高価な勉強代になるとのお話でした。

4人目)最近力を入れているオランダ領から、オランダ領東インドの版欠点コレクションを入手し整理途中ながら紹介。

第一次世界大戦後より1930年代頃に使われていた数字図案切手1/2セントでは、オランダ語で非常に細かく分類と書込みがされており、分かりやすい例として額面文字”CENT” の”E” に欠点が有る切手など面白そうなロットでした、南方占領地に詳しい方より版欠点に詳しいカタログも紹介して頂き、他の切手も含め色々と調べて行きたいとの事です。

蘭印関係は本例会でも話題になる事が多く、以前のレポートより、AMERICAN SOCIETY FOR NETHERLANDS PHILATERY を今一度紹介しておきます。http://www.asnp1975.com/

このサイトのBackIssuesでは1975年から始まる過去の会報を見る事が可能です、英語で書かれている件も有難く、Indexから蘭印の記事も見つける事が出来ます、参考にして下さい。

5人目)第43回の続きでドイツ・ジャーマンステーツ、バイエルンのセカンドシリーズを紹介、1849年発行ファーストシリーズの1Kr. は黒色印刷だったが、イギリスを始め多くの国のファーストシリーズで辿る黒色印刷に黒消印は見えない問題から、1850年に1Kr.はセカンドシリーズとしてピンクに色を変えて発行された、印刷物料金の色としてはザクセンやプロイセンも赤系統だった。

図案も少し変更され、3Kr. 6Kr.と同じく数字の周りが塗り潰されている円となった、又その円が不完全なのが1番シリーズ、完全な円が2番シリーズとなる、新たな新額面として、9Kr. 12Kr. 18Kr. 3種類が発行された。

1Kr.はプレート1の未使用が少ない、逆にプレートIIは使用期間が短く次のシリーズが発行された後に回収された為、使用済は非常に少ない。

カバーはラッパーとして差し出されたが、文面が入っていた為に封書として判断され、重さも有った為3倍重量便不足料として扱われたもの、切手が新聞面に貼られて消印され残ったもの。

6Kr.はファーストシリーズに比べ、残っている数は多いがプレート1は少ない、フラン宛書留カバーはその書留料金も切手で支払われたもの、この時期はまだ書留料金だけは現金で支払われたのも多い。

9Kr.はシェードバラエテイが非常に多く、タイプの分類も多い、1枚のシート中にタイプが分散している上、熱心な方の研究結果より、プレートによってはポジションの確定が出来るペアやブロックが存在する。

18Kr.はフランス宛書状基本料金に相当、12Kr.はフランス間の郵便量が増えて値下げされた為、他の額面より遅く1858年に発行された。

これらシリーズの文献としては PETER SEM 氏のものがあげられ、色に関する小冊子や印面に関する小冊子が発行されている。

6人目)トピカルとして鉄道図案切手の実逓カバーを集めておりその紹介。

1通目、世界一小さな共和国として知られるサンマリノより、1932年発行の美しい凹版印刷が貼られたカバー、イタリア・アッシジ宛、このアッシジはフランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市との事です。

2通目、アフリカのジンバブエより199192日、首都ハラレ・エアポート消、アメリカ宛 、この数年前に40年近く独裁政権を行っていた大統領がクーデターで失脚し、反白人感情も現在程ではない比較的安定していた時期の郵便物。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第45回Zoom例会レポート・前編

2021227日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第45Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)オランダ領東インドでは、日本の敗戦後1945817日スカルノ大統領が独立を宣言したが、再植民地化を狙うオランダとの間で1949年迄インドネシア独立戦争が続き、その間2つの郵政が存在する事となった、第33回と第34回でこの時期のインドネシア共和国側の切手を発表したが、今回はオランダ側の切手を紹介。

1945年大型風景図案切手と、1945-46年ウイルへルミナ女王肖像図案切手が発行された、インドネシア共和国側とは対照的なアメリカ製凹版印刷の立派な切手。

カバーは3通、1946927日オーストラリア宛、この時期には既に外国航空郵便が問題無く送られている、194742日アメリカ宛、かっての海軍担当地区からの外国航空郵便、1946520日オランダ本国宛。

当時の勢力図によると、19477月頃は共和国側がジャワ島の大部分を抑えていた、19478月頃にはオランダ側が攻勢を掛けて共和国側を追い詰め、19481月頃にはジャワ島中部の一部を残すだけとなっていた、しかしながら国際世論がオランダ側に圧力を掛ける事になり、オランダ側も2度に渡る警察行動を起こしたが、最終的には19491227日、インドネシアの主権をインドネシア連邦共和国へ譲渡した、オランダ領東インドの切手が有効だったのは同年1231日迄だった。

1946年小型風景図案切手発行、ガッターペアは線が太いタイプと細いタイプが有る、加刷切手や版欠点など、大型オンピースは1946124日アメリカ宛、カバーは1948313日オランダ本国宛。

1947年、無加刷で残っていた切手に新額面や年号を加刷したウイルへルミナ女王図案切手が発行された、カバーは194869日オランダ本国宛、派手な罫線やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど。

1948年踊り子図案切手発行、1941-45年に発行されていた同図案の切手を額面や色を変更した物、版欠点やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど。

1948年ウイルへルミナ女王肖像図案切手発行、前年本国発行切手と同図案、ウイルへルミナ女王在位50周年記念切手発行、そして同女王は退位され、ジュリアナ女王即位記念切手がオランダ領東インド最後の発行となった、派手な罫線やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど、カバーは19481217日オランダ本国宛、アメリカ宛大型封筒を紹介。

2人目)前回の続きで中国・日本占領地域・華南の紹介、前知識として第43回でも紹介した華南の通貨は毫銀券、一時期日本の軍票を使っていた、又毫銀券より華中の儲備券に変えた後、加刷切手をやめて無加刷切手を流通させた後、軍票立で支払いをさせた、その後元に戻して儲備券に変えたという複雑な事を行っていたとの事。

1リーフ目1通目カバー、1941520日、廣州市内便無加刷使用例、2通目カバー、1942617日、廣州市内便「粤区特用」加刷、発行5日目使用例。

2リーフ目カバー、194431日廣州発、日本・愛知宛航空便、郵便料金の詳細はリーフに記述されているが、航空料金は日本の軍票立で支払う必要が有り、その航空切手も華中で発行されていたが1943年頃には使用をやめていた、但しその料金形態だけは残っていた為、このような複雑な計算が必要だったとの事。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第44回Zoom例会レポート・後編

2021220日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第44Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)最初に前回紹介の中国・日本占領地域・華北のレポートで訂正が有ります、3枚目リーフ、河南省からの手紙で194178日、華南・紙店集発、アメリカ宛は、河南省・紙店集発、アメリカ宛の間違いでした、華南・モウ銀券の文字は毫銀券との事で追加説明させて頂きます。

前回の続きで中国・日本占領地域・蒙疆の紹介、現在の内モンゴル自治区辺りで特徴としては櫛型形が使われていた事、満州より持ってきたと言われているが、活字は現地調達だった為、日本では余り見かけない字体も確認出来る。

1リーフ目、基本は遊牧民地域の為、郵便を出すのは殆ど日本人で使用例も日本宛が多い。

2リーフ目、使用済1枚目の張家口と2枚目の岱岳は現在では河北省だが当時は蒙疆だった、3枚目田型使用済の張家口第一はD欄「辨」入り、日本で言えばその昔に切手も売っていたタバコ屋さんが消印を持っていた感じとの事です。

3リーフ目、大同発、兵庫県宛ハガキ、南口包頭間の鉄道郵便印使用例、路線は包頭から先も続いていたが日本軍が抑えていたのが此処迄だった、この路線便使用例は暫定的と言われており、紹介者もこの使用例以外は未見との事。

4リーフ目、1941730日、包頭発、北京宛、華北地区と違い加刷切手発行後も730日迄は無加刷切手も使用する事が出来た、これは混貼での最終日使用例、又831日迄は無加刷切手と加刷切手との交換が出来たがそれ以降、無加刷切手は無効となった。

5人目)マダガスカル英国領事館の切手を紹介、3ペンスと4ペンスだが、4ペンスの方は印刷ミスなのか数字の1が修正されて4となっている、当時のマダガスカルはフランス郵政が仕切っていた為、英国とフランスとの勢力争いが有った頃、イギリス系住民が領事館迄はこの切手を貼って送り、領事館でフランス切手に貼り換えて国外に発送する様なシステムで、その為に発行されたとの事、剥がす事が前提の為に裏糊も裏面の一部だけ引かれている。

紹介者も未見ながら、マダガスカル国内郵便の単体使用例カバーは有るとの事ですが、そのシステムの為、外国便使用例は存在しない。

製造面については用紙が2種類、押されている印影(消印では無い、消印はペン消し)が2種類、その印影の色が2種類で8パターンの分類となる、3ペンスと4ペンスは同一分類の切手だが、別タイプの切手は印影が違うパターンの切手、これら英国領事館の切手は比較的短命に終わったとの事ですが、なぜか多くの額面が発行されており、よく分からない部分も多く、非常に興味深いマテリアルでした。

6人目)フランスクラッシック・国内外切手展上位入賞歴を持つ紹介者の次回出品予定作品を解説、以前の作品はフィラテリストマガジン別冊で全リーフ紹介された事が有るが、1番切手エッセイから始まる今回の作品は冒頭1フレームの解説ながらそのボリュームは圧巻でした、春のスタンペックスジャパン2021でお披露目出来るとの事から、今回はタイトルリーフのみ紹介とさせて頂きます。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第44回Zoom例会レポート・前編

2021220日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第44Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)南スーダン独立3日前実逓カバーの紹介、同国は201179日に独立、スーダンの切手が貼られ201176日、現首都JUBA消、Mayardit大統領より独立記念式典の招待状が送られたカバー。

招待状やカバー表面の印刷では、現国名Republic of South Sudan は The Government of Southern of Sudan と記されており、独立の準備過程ではスーダン南部との位置付だったと思われる興味深いマテリアル。

2人目)前回話題に上がった、国内インターネットオークションに出品・落札されたハワイ宣教師切手についての番外編、本物の5セント切手、実在しない3セント切手、レプリカの2セント切手を紹介。

2セント切手はTow Centsの文字が本物と比べてバランスが悪く一目瞭然との事、ハワイ宣教師切手に関しては、アメリカ・ニューヨークのフィラテリックファンデーションが一番信用の置ける鑑定先との事です、有名な偽物としては、第17Zoom例会レポートで紹介したPeter Winter氏作成の精巧な2セントと5セント切手のタイプ違いペアが有ります、参考にしてください。

前回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo61B10セント、スコットNo66C6セント切手の紹介、POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

10セントは本来は黒色加刷が赤色加刷されたエラー、6セントは本来は赤色加刷が黒色加刷されたエラー、上記参考サイトによると両切手共1シート・50枚のみ発行。

10セント切手に関しては1906年のサンフランシスコ大地震で切手商・収集家が所有していた切手が8枚消失したと記録されており、現存数は40枚程と言われている、その中で使用済は1点のみ確認、紹介の切手はポジション26

6セント切手もこの大地震で切手商・収集家が所有していた切手が10枚消失したと記録されており、こちらも現在数は40枚程と言われている、使用済も数点有りカバーも残されている、紹介の切手は右側マージンの広いオフセンターから5の倍数のポジションと思われる。

Beardsley氏の基礎データをCol. Pat Hogan氏がアップデートした、ポジションと現存切手の確認研究が残されているが約40年程前のデータの為、紹介者が引き続き研究を進めているが、基礎データには写真画像が無く、中々難しいとの事です。

3人目)前回の続編、某オークションで入手した香港関ロットから中国租借地・威海衛より廈門(AMOY)を紹介、尚画像のリーフは整理途中との事で、説明不足や記述違いも有るとの事ですが、貴重なマテリアルの為公開させて頂きました、御了承下さい。

最初に使われたのは、赤色でAMOYの印が押されている上から香港で抹消された物、カバーは10通程しか確認されていないが、旧石川良平コレクションには含まれていた、使用済単体でも貴重なマテリアル。

後にはA11の抹消印が使われた、D27の抹消印は支局で使われた物、さらには抹消印と日付印が合わさった物が使われ、こちらは数種類のタイプが有るが、AMOYの局名が横一列に並んでいるので初期に使われた物。

前回他の紹介者のドイツ・ジャーマンステーツ、バイエルンのファーストシリーズ、1Krの黒色印刷で話題が有った”Intense black” から、元祖のペニー・ブラックを紹介、1版より10版迄の未使用が整理されたコレクションで、この中では6版の切手が”Intense black” と言える物との事、7版と10版の”Greyish black” は版が磨耗したのでは無く、このような色のインクが使われたと思われる。

プレート1aのみを整理したリーフでは、最初の1枚が ”Intense black”、この1aは焼入れ処理されていなかった為、後期になると磨耗が進み切手の印象はかなり変わる。

カバーは184059日の初期使用例、下部耳紙付きの貴重なマテリアル、シート下部耳紙に記されていた全文も紹介。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第43回Zoom例会レポート・後編

2021213日 2000PM – 22:30PM開催『外国切手研究会 第43Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)英領全般を収集している紹介者が最近の入手品を紹介。

1品目、19641019日トンガ発行、変形アルミ箔切手の実逓カバー、首都NUKUALOFA発、英国行航空便、日付印も美しく、切手にはローラー印風の抹消印が圧力を掛けて押印されているのがよく解り、この切手の実逓カバーとして好ましい。

2品目、某オークションで出品されていた香港関係ロット、一番欲しかったのはカバーだが、左上の切手が専門カタログにも出ている劉公島初期の消印が押されており、昔から存在は知っていて入手機会を伺っていたマテリアルとの事。

無事入手出来たとの事で中国租借地・威海衛として整理したコレクションを紹介、地理的には山東半島の先端、劉公島はその先に有る島で郵便局開局はこちらの方が先だった、この劉公島初期の消印は開局から約2年弱しか使われておらず、紹介者も旧石川良平コレクション含め2通程しか確認していないとの事です。

威海衛市内にも、PortEdward(愛徳華湊)という郵便局を開国しており、こちらの初期の消印は長方形タイプが使われていた。

質疑応答から、同じく山東半島のチーフーのフランス宛コンビネーションカバーを他の所有者より紹介、魅力的な1品です。

4人目)中国・日本占領地域・華北の紹介、前知識として華北の通貨は中国連合準備銀行券、蒙疆は蒙疆銀行券、華中は儲備券、華南はモウ銀券、その華中と華南は一時期日本の軍票を使っていた、又華南ではモウ銀券より華中の儲備券に変えた後、加刷切手をやめて無加刷切手を流通させた後、軍票立で支払いをさせた、その後元に戻して儲備券に変えたという複雑な事を行っていたとの事。

1枚目リーフ、1941630日無加刷切手最終使用例、華北では加刷切手発行後、原則的に無加刷切手は使用出来なかった、書留速達として希望されたが、別配達に変更して支払われたと思われる。

2枚目リーフ、194171日発行、小字加刷切手使用例、下のハガキは発行4日目の使用例だが、194261日迄はハガキ印面は無加刷のまま使用された。

3枚目リーフ、河南省からの手紙で194178日、華南・紙店集発、アメリカ宛、この地域は当時国民党支配地域だった為、無加刷切手がそのまま使用された。

4枚目リーフ、1941728日、山東・臨城発、日本宛、本来華北地区で無加刷切手は1941630日で使用禁止になったが、あらかじめ貼付されていたものについては有効だった、19419月頃迄の使用例が知られている。

連絡事項として、チャイナ・クリッパー担当者より、最近の海外インターネットオークション関係に出品されている中国関係の偽物について、特定の出品者などのIDなどの連絡が有ったそうです、前編のハワイに関連して、日本の手彫切手、北朝鮮関係など、国内外インターネットオークションでも多くの偽物が出品されており、一見して真偽が分からないマテリアルも多く、今後は個人間の取引が中心になる事も含め、情報発信や対策などで質疑応答が多く有りました。

6人目)紹介者のメイン収集ドイツ・ジャーマンステーツの続編、バイエルンのファーストシリーズを紹介、ドイツ最初の切手として扱われており、ドイツらしい図案で知名度も高い切手。

184911月、1Kr. 3Kr. 6Kr.3種が発行された、ドイツでは当初から距離別料金制であり、1Kr.は市内便基本料金と印刷物料金、3Kr.は近距離基本料金、6Kr.は遠距離基本料金だった。

1Kr.は黒色印刷だが、初期印刷が薄い色で後期印刷が濃い色になっている、シート構成は90面、45面の間にガッターが有るが当時の状況からガッターペアの残存数は非常に少ない、テートベッシュも3点のみ存在が確認されている、プレート1とIIの区分方法はコーナー部分の数字の中の印刷で分類される。

1Kr.の多数貼カバーの存在数は少なく貴重な物、切手に押されている抹消印とは別に、日付印として押されている半円形の印はClosed Mill Wheel Cancellationと呼ばれており初期しか使用されなかった印で、Closedで無い印が後に出現する。

3Kr.は比較的長期間使われ、プレート1からⅤ迄存在する、最初期製造分のプレート1の未使用は存在数が非常に少ないが、使用例は逆に多い。

プレートⅡはプレート1に比べ値段は安価、プレートⅢ、Ⅳ、Ⅴ辺りになると、カバーも1000円以下でも入手可能との事。

6Kr.のプレートⅡに関しては、ミッヘルカタログでは2番シリーズに分類されている、1とⅡの区分方法は、数字6の周りの塗り潰されている円が不完全な円が1番シリーズ、完全な円が2番シリーズとの事、円の下部を見比べると比較的判別しやすい、3Kr.プレート1同様、18496Kr.プレート1の未使用は鑑定書が必修との事。

6Kr.のカバー1通目は18491218日の初期使用例、2通目カバーは数字6の周りが潰れた”Solid Rectangle”と呼ばれるバラエティが貼られた物。

6人目)前回他の方が発表された、ユーゴスラビア帯封使用例について、イタリア・ローマ宛、記載されているMercedes 12.の現住所が分からなく、封筒上の住所では某高級車関係の結果ばかり出てくるのですが、色々と検索方法を試した所、現住所はVia della Mercedeではとの事です。

自分のメイン収集範囲、日本統治下の朝鮮半島より1品を紹介、日本より韓国水原に宛てたハガキで櫛型印のB欄が逆転しているエラー消、宛名書きの文字から、韓国に引越等で移動した元生徒より先生に宛てたハガキと思われる。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第43回Zoom例会レポート・前編

2021213日 2000PM – 22:30PM開催『外国切手研究会 第43Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)アメリカ切手貼外国便転送カバーの紹介、UPUの規定で転送便は切手が不要との解釈から、別理由が有っての切手貼付と思えたが、質疑応答より一旦受取った郵便物を別住所への転送と回答が得られた。

1通目、188578日発イギリスよりAlbany,NewYork着、2セント切手を貼りCooperstown,NewYorkに転送されている、名前の最後にEsqが付いている事から受人は弁護士、最初の住所Albanyは州都、到着季節が夏、転送先のCooperstownは野球殿堂が有る所だが比較的田舎、以上の情報から別荘等を持っていた受人が夏季休暇でそちらへ行っていた為、使用人等が当時の国内料金分の切手を貼って転送したと思われる。

2通目、アメリカよりLondon,England着、2 1/2ペンス切手を貼りNaples,Itaryへ転送されている、印刷された転送先付箋にCARE OF(気付)と入っている事、付箋の上にLONDONの消印が掛かっている事などから、元住所の住人等に現住所の受人が転送を託けていたと思われる。

2人目)前回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo572セント・青紫切手の紹介、POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

上記参考サイトによると1,115,865枚の発行、暫定政府の赤色加刷切手の中では一番発行枚数が多く、多くの加刷エラーやバラェテイが有りそれらを紹介、最初のリーフ1段右側の使用済はハワイのオワフレールウエイ鉄道郵便消で非常に希少。

比較的使用例が多い為、1899年発行ピクトリアルイッシュー改色切手2セント切手と同様、タウンキャンセルコレクションが楽しめる、リーフ記述は局名年号、メイ&ハリス書籍の消印番号。

2セントは島内間基本料金だが、カバーはアメリカ本土宛、ラッパー、コーナーカード付封筒、2枚貼重量便、3枚貼重量便などを紹介。

最近国内インターネットオークションに出品・落札されたハワイクラッシック宣教師5セント切手について、今回例会の参加者も状況を観察されていた方が多く話題となりました、日本のハワイ切手第一人者の紹介者見解も含め、今回落札された切手は本物では無いと思われます、参考品とされた他の額面も同時に出品されていたとの事ですが、この5セント切手は鑑定書付でした。

この鑑定書には切手の真偽については記載されていない、切手下の説明文自体がおかしい、鑑定者個人名だけで所属団体が記載されていない等怪しい点が有る、この辺りは丁度JPS郵趣202011月号より3回に渡り魚木五夫先生が切手鑑定書の記事を書かれています。

ちなみに本物の画像を提供して頂きましたので、対比画像も掲載しておきます、 単片1枚だけの画像が本物で、5の数字や全体的に線が太いなど怪しい所が多いが、数字周りの模様が本物と全然違う所が決定的との事です。

以下参考際資料としての話、現在5セント切手については未使用12点、使用済37点、オンピース2点、カバー10通が確認されており、全てにセンサスが付れられているとの事です。

近年の宣教師切手新発見の報告としては、13セント(スコットNo.3)の未使用切手で、フランスのBouleというオークション会社での出品が有ったとの情報です、未使用切手としてハンマーは42,000ユーロ、27%のコミッションは別途で、600万を超える金額だったとの事でした。

Boule Live auctions (boule-auctions.com)

その後この切手は2018年にPFPhilatelic Foundation)の鑑定書を取ってサンフランシスコのSchuylerRumseyのオークションに昨年掛けられていた事が解り、その鑑定書では未使用ではなく、使用済の鑑定で(Uncanceled, appear unused)のコメントが有ったとの事です。

Hawaii, 1851-52, 13¢ blue “Missionary”, type I, uncanceled (appears unused), margins clear to close at lower right, strong color, minor small expert repairs at left and upper right, light violet handstamp on reverse which shows faintly on face (not mentioned on certificate), Very Fine appearance, with Scott catalog value for examples with minor damage the has been skillfully repaired; with 2018 P.F. certificate.
Scott No. 3    $29,000.

従ってこの切手は未使用ではなく、使用済だった事が判明したとの事です、Bouleでのセールは鑑定書がなかったため、後日、鑑定書を取ったのではないかと推測されます、その鑑定書画像も掲載しておきます。220225.pdf (rumseyauctions.com)

以上から現在13セント切手については未使用7点、使用済49点、オンピース3点、カバー12通が確認されているとの事です。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第42回Zoom例会レポート

202126日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第42Zoom例会』レポートです。参加者12人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)ユーゴスラビア帯封使用例の紹介、正式にはセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国なのでリーフでもそのように記載、消印は不鮮明だが局名はザグレブ2、イタリア・ローマ宛、年号は読めないが中身の新聞の日付が1925918日なのでその辺りと思われる、このような状態だが低額面切手でカバー等少なく、中身の新聞も付いていたので購入。

40回で話題が有ったタンヌツバについて小話、ここはソ連がモンゴルとの緩衝地帯として建国された国だが、昔から清代との間で領有権争いが有った地域で、中国では(モンゴルを含め)現在でも自国領と考えられている、中国語でタンヌツバは ”唐努鳥梁海”、中国の視点からの郵趣資料を紹介。

2人目)18661215日ウルグアイ・モンテビデオ発、1867124日フランス・パリ着、パクポーカバーの紹介、当時のヨーロッパと南米を結ぶフランス汽船の航路図例も合わせて紹介、切手に押されている錨入菱形印はフランス船内印ですが、フラテリックジャーナル2020の記事によると、横浜フランス局が火災消失時、入港した自国船より貸与してこの錨入菱形印を一時的に使用した例が有るとの事。

現在ウルグアイ関係を勉強中の為、これらカバーの情報や画像の専門カタログ等を探しているとの事です。

3人目)前回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo562セント・ブラウン切手の紹介、POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

上記参考サイトによると25,000枚の発行、次のスコットNo572セントが主に使われた為、使用例やカバーは少ない、茶色印刷に赤色加刷の為分かりにくいが、多くの加刷バラェテイが有りそれらを紹介、単片貼カバー、5枚貼カバー、半シート下半分25枚最大ブロックの銘版付オンピース等いずれも貴重な使用例。

1889年発行スコットNo512セント切手の紹介、オフィシャルリプリントの実逓便カバーを2通紹介、このリプリント切手の使用例は少なく、外信便使用例はこの2通しか確認されていない。

3人目)アメリカ・ニューヨークの郵趣団体、コレクターズクラブで隔週開催されているオンライン例会での話題を紹介、スコットカタログではMESOPOTAMIAとして掲載されている地域の切手で、非常に興味深い話だったとの事です。

https://www.collectorsclub.org/videos/ (オンライン登録をすれば視聴可能です)

1時間の内容から掻い摘んだ話を紹介、歴史的には第1次世界大戦でトルコからイギリスが占領、国際連盟下で委任統治領となりイラク王国として独立国家となる、オスマントルコが残した切手にイギリスが暫定加刷した切手を発行、これらはバクダット加刷と呼ばれ、発行枚数も少なくわずかに10数日しか使われなかった為カタログ評価は比較的高価、余談として当時の国王ジョージ5世は切手収集家で、現地で切手を発行するのならコーナー田型を残しておく様にとのイギリス王室の親書が紹介されている。

次に発行された切手は、この台切手の印刷元で原版を所有しているイギリスのウイルキンソン社に無断で発注、そこに新たな加刷をしたもの、これらはイラク加刷と呼ばれ、継続的に使用された為カタログ評価は比較的安価、尚これらオスマン帝国の台切手も前回話題に出た、魔女が杖に跨って飛んでいる様に見えるスルタンの署名が描かれている物が有る。

自分のメイン収集範囲、日本統治下の朝鮮半島より田沢・旧大正毛紙カバーの紹介、下関釜山間の船内消カバーで宛先が別府となっていた為、最初は大分かと思っていたが、兵庫県にも別府が有ると分かった、質疑応答から別府の地名は日本には多く有り、荘園の租税を特別扱いにする事を表す「別府」に由来との事です。

5人目)最近入手したアッパーヤハのカバーについて、1967年頃アデン保護領として一時期アラブ土侯国同様、多くの切手が発行されていたが後にイエメンに吸収された、現在でも独立国では無いが、2000714日カナダ宛書留カバーには1998年と1999年に発行されたと思われる切手が貼られている、右の切手に描かれているURLはアクセスできず、差出人住所や書留ラベルの郵便局名も情報が無い、長年土侯国関係も収集しているが詳細が分からない、これら切手の情報を募集中との事です。

6人目)紹介者のメイン収集ドイツ・ジャーマンステーツより、自由ハンザ都市のハンブルグとリューベックを紹介。

ハンブルグでは18591/2シリングより9シリング迄がファーストシリーズとして無目打で発行された、ハンブルグ内と近隣都市との郵便は多く有ったが、遠くのベルリンやパリ宛などはプロイセンの切手を使った方が早く、当時ハンブルグにはプロイセンやデンマークも郵便局が有り、コンビネーションカバーやプロイセン切手のハンブルグ使用例も存在する、ファーストシリーズは未使用より使用済の方が非常に高価な切手が有り、その消印も簡単な印影の為入手には注意が必要。

18641 1/4シリングと2 1/2シリングがセカンドシリーズとして発行された、1 1/4シリングには多くのシェードバラェテイが有り、ミッヘルカタログでもリストされている。

リューベックでは1859年にファーストシリーズが発行されたが、1/2シリングと1シリングのみ、当初は透かし入で発行されたが後に他の額面同様、透かし無となった、この透かし入切手は未使用、使用済、カバー共に数が少なく高価。

尚、未使用シートには上下どちらかのマージンに確認の為、事務印が押されている。

透かし無切手は未使用は比較的安価だが、使用済みやカバーは少なく、簡単な印影やペン消しも多い為やはり入手には注意が必要。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第41回Zoom例会レポート・後編

2021130日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第41Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)第36回後編で詳細が判明した不足料郵便物に近いカバーの紹介、印刷物扱いで25円分の切手が貼られており不足が無いように思えるが、印刷物なのに封がされていた為、通常の船便扱となり本来の料金は50円、「T50/50」の印は日本の通貨でこの時期外国宛て船便の最低書状料金50円が分母、不足分25円の倍額50円が分子で記入されている。

鉛筆書で小さく-25¥と記入されているのは日本、大きく25と記入されているのはドイツと思われる、これらに詳しい方の計算式を参考にすると、当時ドイツの船便料金は60ペニヒで、ドイツ側が本来徴収すべき料金は60×50/5060ペニヒとなり、印刷物と判断された場合でも30ペニヒで、この25の意味は残念ながら不明との事でした。

もう1通のオーストリア国内で不足料切手が貼られたカバーは普通の使われ方、差出地ウイーンから到着地オーバーハーフライン迄は現在でも70キロ程の距離だが、なぜか1週間掛かっている。

5人目)前回の続編で2013年開催・第1回ヨーロッパ切手展に出品した作品より抜粋紹介の後編、モルダビア公国1番切手は1858年発行で牛を描く有名な切手、現存数も調査されている。

2番切手は新聞切手と印面に描かれているが実際は通常切手として使用された、実はこの2番切手の方が1番切手より現存数は少なく珍品。

1862年発行3番切手は、モルダビア=ワラキア公国が合同となり発行された、この切手の初期迄が手押印刷で製造されシートの半分がテートベッシュになっている。

オスマン帝国1番切手は1863年発行、魔女が杖に跨って飛んでいる様に見える図案は、実はスルタンの署名との事。

ブルガリア大公国1番切手は1879年発行、ロシアの影響が強くデザインも類似したデザイン。

ウクライナ人民共和国1番切手は1918年発行、正刷切手以外にもロシア帝国切手にウクライナ国章を加刷された切手も有り、これらは大きな郵便局単位で加刷された為、多数のバラエティが有る。

ウクライナ人民共和国の中の西ウクライナ人民共和国でも1番切手は1918年に発行された。

ポーランドに併合された西ウクライナでもカルパトだけはチェコスロバキア領となった、そのカルパト・ウクライナ共和国が1939年に発行した切手は1日しか使用出来なかったとして有名。

6人目)バハマ・海底郵便局について、首都ナッソーに1939年から40年の2年間設置されていた、消印は「SEA FLOOR」となっておりFDCと通常のカバー、当時の新聞資料も紹介。

現在海底郵便局はバツアヌに有るのが唯一、日本では海底ポストが和歌山県、静岡県、沖縄県に有り紹介者も海底ポスト専用ハガキを投函した事が有るそうです、画像は和歌山・すさみ町商工会HPより。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第41回Zoom例会レポート・前編

2021130日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第41Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第39回の続きで、アメリカ1870年シリーズ続編、改色2セント・ジャクソンの紹介、発行当初は茶色で発行されたが1875年に朱色に変更され、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社で印刷された、両社は用紙の違いで分類出来る。

改色の理由は、当初に発行された10セントとほぼ同じ色だった為に間違いやすかった事と、1875年のUPU加盟により2セントが該当額面になった為、適応料金の無くなった7セントに使われていた朱色を使う事となった、2通のカバーで見ると分かりやすい、製造面の変化は前記の用紙違い位しか無いが、使用された消印では楽しめる。

3セント・ワシントンは国内書状基本料金に相当、約60億枚が発行された、3社で印刷製造されが初期のナショナル・バンクノート製造のグリル入りは少ない、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社製造のものはシークレット・マークが入れられた、又アメリカン・バンクノート社製造のものには再彫刻されたのも有る、カバーは2枚貼りフランス宛、1枚貼国内宛を紹介。

改色3セント・ワシントンは1887年発行、1883年に国内書状基本料金が3セントから2セントに値下げされておりその時は赤茶色の2セント・ワシントンが発行されており、この3セント切手の改色理由は詳しく分かっていない、緑色の3セント切手は約60億枚発行されたのに対し、この朱色3セント切手は約2千枚と少ない。

余談として、前記7セント料金はPrussian Closed Mailの料金と資料に記述が有り、どういう物かとの質疑応答が有りました、例会後にハワイ発の希少な使用例を紹介御提示頂きましたので紹介させて頂きます。

Prussian Closed Mail:

経路:Honolulu (October 19, 1866) to Berlin (December 18, 1866) via San Francisco (November 12,

1866) and New York (December 4, 1866)

料金関係:On this cover, Hawaiian Postage was paid with a 5c 1866 Hawaii stamp. By the time,

This letter was sent, the 2c captain fee for transit to San Francisco no longer was collected on

Through letters, as sender paid only the international rate of 28c in addition to Hawaii postage.

A United States 24c 1861 stamp partially pays the rate. A red manuscript “28” appears at the

left side of the San Francisco cds, indicating the correct amount of U.S. postage. The letter was

treated as fully paid so either stamps paying the additional 4c U.S. postage missing or the sender

paid 4c cash and amount was changed to the Honolulu post office account at San Francisco.

The letter was carried by Hawaiian bark “BERNICE” sailing Honolulu on October 19, 1866 and

Arriving at San Francisco on November 10. New York Exchange office integral “7 PAID December

4” From New York City, the closed mail bag was sent to Boston for Cunard steamship “AFRICA

Departure for Queenstown, Ireland (5 December, 1866 departure, 15 December arrival). After usual

Transit.

Although the single United States 24c postage stamp was insufficient to pay the 28c rate to Prussia,

The letter was treated as fully paid. Any deficiency in the amount of United States postage paid with

United States postage was charged to the Honolulu post office account at San Francisco.

2人目)メイン収集のひとつ南方占領地の関係からオランダ領にも興味があり今回 ”DUTCH CARIBBEN”について、ABC諸島と呼ばれるアルバ、キュラソー、ボネールは以前オランダ領アンチルと呼ばれていた地域だが、アルバが1986年自治領として離脱、その後アンチル自体も21世紀に入り解体されそれぞれの国として切手を発行し始めた。

地理的にはカリブ海のベネズエラの上辺りで、実際の切手とカバーを紹介、オランダ国王訪問の記念切手だが、連刷図案の10面シートは縦列でそれぞれ額面が違う為、10枚共違う切手となる、又右下の耳紙には専用アプリで切手をかざすと国歌が浮かび上がるとの記述も有る。

現在ボネールは特別自治体でさらにBES諸島と呼ばれる飛び地を所有しており、それぞれ切手を発行している、余談としてその中のシント・マールテン島に有る国際空港はビーチ直ぐの上空を飛行機が離発着する空港として知られ、その空港を描いた切手も発行されている。

3人目)第37回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo551セント・グリーン切手の紹介、

POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

上記参考サイトによると762,500枚の発行、他の暫定政府加刷切手同様に満足出来る使用済の入手は難しい、台切手はアメリカン・バンクノート製造でシートの上下に銘版が有る、加刷バラェテイも多いがペアより大きなブロックは少ない。

カバーも1枚貼、ブロック貼、旧石川良平コレクションの15枚最大マルチプル貼、迫力の50枚貼カバーなどを紹介、フィラテリックと思われますがこの切手は50面シートで1シート分全貼カバーとなり、送り先のニューヨーク・ウオール街は1930年頃に切手商が多く営業していたとの事ですが、すでにこの年代にも切手商が有ったと思われます。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第40回Zoom例会レポート

2021123日 2000PM – 22:10PM開催『外国切手研究会 第40Zoom例会』レポートです。参加者8人中4人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きでウルグアイ・1860年発行60c切手のカバーを紹介、国内基本料金に相当でシェードバラェテイが豊富、”Montevideo Sun”と呼ばれる特徴的なデザインの初期切手の中では比較的入手しやすいとの事ですが、カバーは別と思われます。

1通目、Dull Lilac18601015日、SaltoBuenos Ayres宛、アルゼンチンBuenos Ayresに関しては当時国内料金が適応されている、切手上に押されている消印は”Scarab”と呼ばれるファンシーキャンセレーション。

2通目、Gray Lilac1860229日、MontevideoSouce de Tacuarembo宛。

3通目、Gray Lilac186010月、MontevideoSouce de Tacuarembo宛、2通目のカバーと同じ宛先で消印はスペイン語で支店の意味”SUCURSAL”が入る日付が無いタイプ。

4通目、Brown Lilac186210月、PaysanduMontevideo宛、消印は2重楕円形の日付が無いタイプ。

5通目、Red Lilac1861321日、MontevideoDurazno宛、消印は逆に押されているが、これも”SUCURSAL”が入る日付が無いタイプ。

2人目)タンヌツバ切手貼アメリカ宛カバーについて、1935年発行7種貼書留FDC?カバー、裏面にニューヨークの到着印が押されている為実逓便と思われるが、当時のタンヌツバはUPUに加盟して無かったと思うが、アメリカに直接郵便が送れたのかという疑問。

質疑応答の要約として、郵便条約がUPU加盟国との間に有ればそこを経由して可能との事、身近な国として台湾や旧満州も非加盟国、タンヌツバ自体の経緯も色々と話題に上がりました。

前々回迄の話題で紹介された戦略偽装切手の小冊子に関する質疑応答、ロンドンで発行された物だが、いつ頃の発行かは分からないそうです、数回に渡るこれら切手の話題は非常に興味深く、他にも情報をお持ちの方がおられましたら宜しくお願いします。

3人目)最近購入のミニコレクション、1918年より発行エストニア・ファーストイッシューの紹介、この切手の特徴は映画のパンフレットの裏に印刷されている事。

石版印刷で日本の震災切手の様に印刷タイプが有り、複数購入したコレクションでもそれらは分類されたいた、ドイツ語と英語併記の文献も有り、個別に購入したこれらの切手も合わせて、切手展出品予定との事です。

4人目)2013年開催・第1回ヨーロッパ切手展に出品した作品より抜粋紹介、ロシア帝国の1番切手は1857年発行と周辺諸国に比べても遅いが、ステーショナーリーは古くから発行され近代郵便制度も存在しており、あくまでも切手の発行が遅かっただけとの事、1番切手は無目打で発行されたが、2番切手の目打入が直後に発行された為現存数は少なく、特に未使用は高価。

3番切手は新額面も発行された、2番切手と同じ額面の切手は同デザインだが、目打ピッチと用紙違いで分類出来る。

グルジア民主主義共和国とザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国も紹介、数年後にはソビエト連邦に組み込まれ、独自切手の発行はされなくなった、いずれの切手も使用済が難しい。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。