外国切手研究会 第41回Zoom例会レポート・後編

2021130日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第41Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)第36回後編で詳細が判明した不足料郵便物に近いカバーの紹介、印刷物扱いで25円分の切手が貼られており不足が無いように思えるが、印刷物なのに封がされていた為、通常の船便扱となり本来の料金は50円、「T50/50」の印は日本の通貨でこの時期外国宛て船便の最低書状料金50円が分母、不足分25円の倍額50円が分子で記入されている。

鉛筆書で小さく-25¥と記入されているのは日本、大きく25と記入されているのはドイツと思われる、これらに詳しい方の計算式を参考にすると、当時ドイツの船便料金は60ペニヒで、ドイツ側が本来徴収すべき料金は60×50/5060ペニヒとなり、印刷物と判断された場合でも30ペニヒで、この25の意味は残念ながら不明との事でした。

もう1通のオーストリア国内で不足料切手が貼られたカバーは普通の使われ方、差出地ウイーンから到着地オーバーハーフライン迄は現在でも70キロ程の距離だが、なぜか1週間掛かっている。

5人目)前回の続編で2013年開催・第1回ヨーロッパ切手展に出品した作品より抜粋紹介の後編、モルダビア公国1番切手は1858年発行で牛を描く有名な切手、現存数も調査されている。

2番切手は新聞切手と印面に描かれているが実際は通常切手として使用された、実はこの2番切手の方が1番切手より現存数は少なく珍品。

1862年発行3番切手は、モルダビア=ワラキア公国が合同となり発行された、この切手の初期迄が手押印刷で製造されシートの半分がテートベッシュになっている。

オスマン帝国1番切手は1863年発行、魔女が杖に跨って飛んでいる様に見える図案は、実はスルタンの署名との事。

ブルガリア大公国1番切手は1879年発行、ロシアの影響が強くデザインも類似したデザイン。

ウクライナ人民共和国1番切手は1918年発行、正刷切手以外にもロシア帝国切手にウクライナ国章を加刷された切手も有り、これらは大きな郵便局単位で加刷された為、多数のバラエティが有る。

ウクライナ人民共和国の中の西ウクライナ人民共和国でも1番切手は1918年に発行された。

ポーランドに併合された西ウクライナでもカルパトだけはチェコスロバキア領となった、そのカルパト・ウクライナ共和国が1939年に発行した切手は1日しか使用出来なかったとして有名。

6人目)バハマ・海底郵便局について、首都ナッソーに1939年から40年の2年間設置されていた、消印は「SEA FLOOR」となっておりFDCと通常のカバー、当時の新聞資料も紹介。

現在海底郵便局はバツアヌに有るのが唯一、日本では海底ポストが和歌山県、静岡県、沖縄県に有り紹介者も海底ポスト専用ハガキを投函した事が有るそうです、画像は和歌山・すさみ町商工会HPより。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第41回Zoom例会レポート・前編

2021130日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第41Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第39回の続きで、アメリカ1870年シリーズ続編、改色2セント・ジャクソンの紹介、発行当初は茶色で発行されたが1875年に朱色に変更され、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社で印刷された、両社は用紙の違いで分類出来る。

改色の理由は、当初に発行された10セントとほぼ同じ色だった為に間違いやすかった事と、1875年のUPU加盟により2セントが該当額面になった為、適応料金の無くなった7セントに使われていた朱色を使う事となった、2通のカバーで見ると分かりやすい、製造面の変化は前記の用紙違い位しか無いが、使用された消印では楽しめる。

3セント・ワシントンは国内書状基本料金に相当、約60億枚が発行された、3社で印刷製造されが初期のナショナル・バンクノート製造のグリル入りは少ない、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社製造のものはシークレット・マークが入れられた、又アメリカン・バンクノート社製造のものには再彫刻されたのも有る、カバーは2枚貼りフランス宛、1枚貼国内宛を紹介。

改色3セント・ワシントンは1887年発行、1883年に国内書状基本料金が3セントから2セントに値下げされておりその時は赤茶色の2セント・ワシントンが発行されており、この3セント切手の改色理由は詳しく分かっていない、緑色の3セント切手は約60億枚発行されたのに対し、この朱色3セント切手は約2千枚と少ない。

余談として、前記7セント料金はPrussian Closed Mailの料金と資料に記述が有り、どういう物かとの質疑応答が有りました、例会後にハワイ発の希少な使用例を紹介御提示頂きましたので紹介させて頂きます。

Prussian Closed Mail:

経路:Honolulu (October 19, 1866) to Berlin (December 18, 1866) via San Francisco (November 12,

1866) and New York (December 4, 1866)

料金関係:On this cover, Hawaiian Postage was paid with a 5c 1866 Hawaii stamp. By the time,

This letter was sent, the 2c captain fee for transit to San Francisco no longer was collected on

Through letters, as sender paid only the international rate of 28c in addition to Hawaii postage.

A United States 24c 1861 stamp partially pays the rate. A red manuscript “28” appears at the

left side of the San Francisco cds, indicating the correct amount of U.S. postage. The letter was

treated as fully paid so either stamps paying the additional 4c U.S. postage missing or the sender

paid 4c cash and amount was changed to the Honolulu post office account at San Francisco.

The letter was carried by Hawaiian bark “BERNICE” sailing Honolulu on October 19, 1866 and

Arriving at San Francisco on November 10. New York Exchange office integral “7 PAID December

4” From New York City, the closed mail bag was sent to Boston for Cunard steamship “AFRICA

Departure for Queenstown, Ireland (5 December, 1866 departure, 15 December arrival). After usual

Transit.

Although the single United States 24c postage stamp was insufficient to pay the 28c rate to Prussia,

The letter was treated as fully paid. Any deficiency in the amount of United States postage paid with

United States postage was charged to the Honolulu post office account at San Francisco.

2人目)メイン収集のひとつ南方占領地の関係からオランダ領にも興味があり今回 ”DUTCH CARIBBEN”について、ABC諸島と呼ばれるアルバ、キュラソー、ボネールは以前オランダ領アンチルと呼ばれていた地域だが、アルバが1986年自治領として離脱、その後アンチル自体も21世紀に入り解体されそれぞれの国として切手を発行し始めた。

地理的にはカリブ海のベネズエラの上辺りで、実際の切手とカバーを紹介、オランダ国王訪問の記念切手だが、連刷図案の10面シートは縦列でそれぞれ額面が違う為、10枚共違う切手となる、又右下の耳紙には専用アプリで切手をかざすと国歌が浮かび上がるとの記述も有る。

現在ボネールは特別自治体でさらにBES諸島と呼ばれる飛び地を所有しており、それぞれ切手を発行している、余談としてその中のシント・マールテン島に有る国際空港はビーチ直ぐの上空を飛行機が離発着する空港として知られ、その空港を描いた切手も発行されている。

3人目)第37回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo551セント・グリーン切手の紹介、

POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

上記参考サイトによると762,500枚の発行、他の暫定政府加刷切手同様に満足出来る使用済の入手は難しい、台切手はアメリカン・バンクノート製造でシートの上下に銘版が有る、加刷バラェテイも多いがペアより大きなブロックは少ない。

カバーも1枚貼、ブロック貼、旧石川良平コレクションの15枚最大マルチプル貼、迫力の50枚貼カバーなどを紹介、フィラテリックと思われますがこの切手は50面シートで1シート分全貼カバーとなり、送り先のニューヨーク・ウオール街は1930年頃に切手商が多く営業していたとの事ですが、すでにこの年代にも切手商が有ったと思われます。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

スタンペックスジャパン2021 出品者キットを発送しました

 

本日、スタンペックスジャパン2021 [2021年4月10日~13日に郵政博物館にて開催]のご出品者に、出品物提出用封筒などの出品者キットをお送りしました。

4月に発行予定の目録に関する原稿依頼も同封されておりますので、作品準備に合わせて、ご準備くださいますようお願い申し上げます。

スタンペックスジャパン2021
実行委員会

 

 

 

南方占領地切手コレクターズクラブ第8回ZOOM例会レポート

南方占領地切手コレクターズクラブ第8回ZOOM例会レポート

2021年1月27日 8:00PM~10:00PM 開催の『南方占領地切手コレクターズクラブ』のレポートです。

参加者は8名でした。

以下、話題に上がったマテリアルについて順番に書き記していきます。

1)フィリピン 米軍接収カバー

ヤフオクにレイテ島内便の米軍接収カバーが出品されていたことに関連して、米軍接収カバーの回覧がありました。どれもBASE 1993 AEMYの印が押されており、戦後の日本におけるGHQと同じように開封した後にテープで封をしてあります。

2-3)海軍地区 加刷違いペア

海軍地区は蘭印の切手に錨の加刷をして切手を使用しました。その際に、地区ごとで加刷の形が異なっています。セレベスの加刷やボルネオの加刷はペアで加刷が異なる、というようなものがある、ということで回覧がありました。2)はセレベスの加刷で、3)はボルネオ・Pontianakの加刷です。上下の切手で加刷の形が異なる様子をお楽しみください。

4)スマトラ 西海岸 加刷違いブロック

スマトラの西海岸では「大日本郵便」という加刷が蘭印切手になされましたが、サイズ・字体が10種類ほど存在します。ブロック上でサイズの異なる加刷のなされたものの回覧がありました。

5)ビルマ 農耕切手 縞紙

ビルマの農耕切手は一部額面に縞紙が確認されています。しかし、この切手は戦後のリプリントが多く判別が難しいです。特に縞紙は未使用がほとんどであり、使用の実態もよく分かっていません。

6)ビルマ 農耕切手 30c 色違い?

ビルマの農耕切手の30cは普通、緑色です。しかし藍色とでもいうべきものの回覧がありました。同じようなものをお持ちの方があれば是非ともコメントを下さい!!

7)ビルマ 紋章切手

ビルマの紋章切手も偽物が非常に多いです。この切手はイギリス領時代の封皮に貼り付ける目的で発行されましたが、封筒に直接紋章の図案を印刷したものの回覧がありました。紙質は当時使われていた封皮に酷似しているものの、図案の細部が異なるということで偽物であろうとのことです。関連して、紋章切手の回覧があり、本物は王冠の周りに赤いもやが無く、また目打ちのあたりに赤い印刷がなされているものが多いです。

8)北ボルネオ 不足料切手

北ボルネオは不足料切手が加刷されて使用されましたが、収集家用に作られたと言われています。本品は無加刷で1943年の消印が押されていました。APOの消印がなされているため、オーストラリアなどに持ち込まれた切手に押印されたものと推測されます。

9)スマトラ 西海岸 加刷もれ

蘭印の航空機30cはテートベッシュの変則シートであったためか、しばしば逆加刷や加刷漏れが見られます。本品はスマトラの西海岸の大日本郵便加刷でした。

10)スマトラ ×加刷 エンタイア

スマトラの西海岸ではオランダ女王の顔に様々な抹消がなされました。この切手の為替使用や未使用はかなり残っていますが、封筒に貼られたものは少ないです。

11)北ボルネオ 北ボルネオ加刷 定常変種?

北ボルネオでは昭和切手に加刷されたものが使われていましたが、台切手の定常変種が同様にあるかどうかは研究が進んでいません。今回話題になったものは残念ながら偶発変種のようでしたが、他の額面で変種が見つかるでしょうか?情報お待ちしております。

12)ビルマ 非占領地域の実逓便

第7回Zoom例会で紹介されたものです。HAKAから差し出された書留カバーです。

13)スマトラ 西海岸 ×と大日本郵便加刷

新女王17.5cにスマトラ西海岸で×と大日本郵便と加刷したブロックです。特筆する点として余白に×加刷がなされています。

14)マライ 正刷切手にトンボ?

マライの正刷切手普通切手は一部シートの耳紙にトンボのようなものがあることが確認されました。参加者によると2c,3c,4c,10c,30cに確認されました。他の額面にもあるでしょうか?お持ちの方がいらっしゃれば是非コメントをお願いします。

15)スマトラ 西海岸 大日本郵便はみだし加刷

スマトラの西海岸(リオ州)では大日本郵便加刷がなされましたが、一部は為替証紙に切手を貼ったのちに加刷が行われました。この加刷が見られるのは一部の局と期間に限られます。

16)マライ 漢字加刷 加刷ずれ

マライの漢字加刷は一部額面に加刷ずれが見られます。本品はマライ連合不足切手の15cです。

17)マライ ジョホール 25/30c 使用済み

マライのジョホール切手は主に印紙として使われました。本品も印紙として使用されたものです。

18)マライ ローマ字加刷 偽物

マライのローマ字加刷はしばしば偽物が見られます。ペラ―の5c切手の逆加刷を装ったものですが、MALAYAの字間等が本物と異なります。ご注意ください。

19)ビルマ 無加刷使用

ビルマの8アンナ切手の無加刷使用ですが、日付が1942年2月で日本軍占領以前のものです。

20)海軍地区 為替証書

セレベスのマカッサルからジャワ宛ての為替証紙です。占領後期のものであり、なおかつ海軍地区からジャワ宛ては少ないです。

 

話題は主に以上でした。

 

次回のZoom例会は2月24日20時からです。

以下は取り上げられたマテリアルの画像の一部です。

外国切手研究会 第40回Zoom例会レポート

2021123日 2000PM – 22:10PM開催『外国切手研究会 第40Zoom例会』レポートです。参加者8人中4人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きでウルグアイ・1860年発行60c切手のカバーを紹介、国内基本料金に相当でシェードバラェテイが豊富、”Montevideo Sun”と呼ばれる特徴的なデザインの初期切手の中では比較的入手しやすいとの事ですが、カバーは別と思われます。

1通目、Dull Lilac18601015日、SaltoBuenos Ayres宛、アルゼンチンBuenos Ayresに関しては当時国内料金が適応されている、切手上に押されている消印は”Scarab”と呼ばれるファンシーキャンセレーション。

2通目、Gray Lilac1860229日、MontevideoSouce de Tacuarembo宛。

3通目、Gray Lilac186010月、MontevideoSouce de Tacuarembo宛、2通目のカバーと同じ宛先で消印はスペイン語で支店の意味”SUCURSAL”が入る日付が無いタイプ。

4通目、Brown Lilac186210月、PaysanduMontevideo宛、消印は2重楕円形の日付が無いタイプ。

5通目、Red Lilac1861321日、MontevideoDurazno宛、消印は逆に押されているが、これも”SUCURSAL”が入る日付が無いタイプ。

2人目)タンヌツバ切手貼アメリカ宛カバーについて、1935年発行7種貼書留FDC?カバー、裏面にニューヨークの到着印が押されている為実逓便と思われるが、当時のタンヌツバはUPUに加盟して無かったと思うが、アメリカに直接郵便が送れたのかという疑問。

質疑応答の要約として、郵便条約がUPU加盟国との間に有ればそこを経由して可能との事、身近な国として台湾や旧満州も非加盟国、タンヌツバ自体の経緯も色々と話題に上がりました。

前々回迄の話題で紹介された戦略偽装切手の小冊子に関する質疑応答、ロンドンで発行された物だが、いつ頃の発行かは分からないそうです、数回に渡るこれら切手の話題は非常に興味深く、他にも情報をお持ちの方がおられましたら宜しくお願いします。

3人目)最近購入のミニコレクション、1918年より発行エストニア・ファーストイッシューの紹介、この切手の特徴は映画のパンフレットの裏に印刷されている事。

石版印刷で日本の震災切手の様に印刷タイプが有り、複数購入したコレクションでもそれらは分類されたいた、ドイツ語と英語併記の文献も有り、個別に購入したこれらの切手も合わせて、切手展出品予定との事です。

4人目)2013年開催・第1回ヨーロッパ切手展に出品した作品より抜粋紹介、ロシア帝国の1番切手は1857年発行と周辺諸国に比べても遅いが、ステーショナーリーは古くから発行され近代郵便制度も存在しており、あくまでも切手の発行が遅かっただけとの事、1番切手は無目打で発行されたが、2番切手の目打入が直後に発行された為現存数は少なく、特に未使用は高価。

3番切手は新額面も発行された、2番切手と同じ額面の切手は同デザインだが、目打ピッチと用紙違いで分類出来る。

グルジア民主主義共和国とザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国も紹介、数年後にはソビエト連邦に組み込まれ、独自切手の発行はされなくなった、いずれの切手も使用済が難しい。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第39回Zoom例会レポート

2021116日 2000PM – 21:30PM開催『外国切手研究会 第39Zoom例会』レポートです。参加者9人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第28回の続きで、アメリカ1870年シリーズの紹介、ピクトリアルシリーズと呼ばれる1869年シリーズは一般から不評で、郵政当局は翌年に図案を抜本的に見直して発行された、次のシリーズ迄約20年間発行された間に印刷所は2回変更されたが、原版は引継がれて使用された。

1リーフ目、フィラデルフィア・バンクノート社の不採用ダイエッセイとプレートエッセイ。

2リーフ目、フィラデルフィア・バンクノート社の ”No.14” ダイエッセイ。

3リーフ目、コンチネンタル・バンクノート社のインプリントプルーフ、カラートライアルプルーフ、アメリカン・バンクノート社のプルーフ。

3社で印刷された時期と特徴を解説、ナショナル・バンクノート社とコンチネンタル・バンクノート社は1879年アメリカン・バンクノート社に吸収合併され、コンチネンタル・バンクノート社の持っていた郵便切手の生産契約も引継がれた。

4リーフ目、1セント・フランクリンの紹介、3社の製造別に分類、シェード違いも見受けられる。

5リーフ目、2セント・ジャクソンの紹介、2社の製造別に分類、一般的にシェードが濃いのがコンチネンタル・バンクノート社製造と言われる。

6リーフ目、1セント・フランクリン1枚貼カバー、2セント・ジャクソン2枚貼カバーの紹介。

2人目)前回の続きでウルグアイ・初期切手カバーの紹介。

1リーフ目、1859626日発行100c切手、額面数字が細い物、1860PaysanduMercedes宛、国内3倍重量便カバー、貼られている切手はタイプ11、消印は局名だけで日付が無いが、資料によると1860年頃に使用された楕円形の消印が2度押された様に見える物。

2リーフ目、1859111日発行240c切手、額面数字が細い物、1864411MontevideoBuenosAyres宛、アルゼンチン宛3倍重量便カバー、この切手のカバーとしては最後期使用例。

3リーフ目、1860年発行180c切手、額面数字が太い物、1863112MontevideoBuenosAyres宛、アルゼンチン宛2倍重量便カバー 、貼られている切手はタイプ9、 鑑定書付。

質疑応答として、大きなウルグアイ初期コレクションが出品されたオークションは、2012年スピンクが最新最後との事です。

3人目)最近入手した韓国関係の絵葉書の紹介。

1通目、フランス発行、ソウル南大門を描く絵葉書でフランス国内使用、消印は不鮮明だが、1904613日パリ19区ダルマン139と読める。

2通目、朝鮮発フランス宛外信絵葉書、消印は不鮮明だが、郵便局所要覧:大正4年度より調べた所、大楡洞局と判明、年間郵便取扱数は約10万通の小さな局、近くにフランス人の金鉱会社が有った事が分かる、ウイキペディアによると大楡洞鉱山は1896年にフランス人によって採掘が始められたとの事で、当時の技師か従業員が本国に宛てた郵便物と思われる。

3通目、1904年ロシア発行のソウルシリーズNo.24の絵葉書、この絵葉書に旧韓国切手が貼られた物はeBayでも見かける。

4人目)以前から所有の郵趣品や書籍を紹介。

1通目カバー、約30年程前のBCLベリレター、紹介者本人宛だがベトナムからの物は残念ながら切手が貼られて送られて来た事は無かったとの事。

1冊目書籍、ENCICLOPEDIA DEI FRAMCOBOLLI 、切手の百科事典(全2巻)、イタリア切手の書籍で日本語訳された立派な物、残念ながら紹介者はこの年代イタリア切手を集めた事は無いとの事です。

2冊目書籍、中国地方の有名な収集家が2002年全日本切手展で金賞を受賞した時、ある理由でパーテイに呼ばれた時に入手した作品集。

3冊目書籍、日本の客船とその船内郵便、谷信勝著、メイン収集範囲に対するインカミングの勉強として購入、読みやすい内容だが資料としても押さえる所はきちんとしており、とても良い書籍との事です。

5人目)自分の所有品より、南米のツエッペリンカバーを紹介。

1通目カバー、ウルグアイ・1930521日モンテビデオ発、ドイツ・フリードリフィスハーケンのツエッペリンを運行している会社宛、裏面の着印は66日、ウルグアイはツエッペリンの寄港地が無かった為、ブラジルのリオデジャネイロに持込で飛行船に乗せられたと考えられる、菱形の航路が示された記念印からもそう思えるが、中継印等が無い為詳細は不明。

2通目カバー、パラグアイ・193545日アスンシオン発、このカバーもドイツ・フリードリフィスハーケンのツエッペリンを運行している会社宛、裏面の着印は416日、パラグアイは内陸国で、こちらも何処かの寄港国に運ばれて送られたと思われるが、中継印等の判断材料が無く詳細は不明。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第38回Zoom例会レポート・後編

202119日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第38Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)ウルグアイ・初期の資料とカバー、大型ブロックの紹介。

1931年ロンドン刊行、EMANUEL  JLEE著「THE POSTAGE STAMP of URUGUAY」について、例として1番切手60cのタイプ別特徴を独自調査による詳細が記述されており、35面シートのリトコンストラクション図版も掲載されている。

1リーフ目、1856年発行2番切手80c、2倍重量便カバー、アルゼンチン・ブエノスアイレスよりウルグアイ宛、この切手のカバーは8通知られているが、海外使用ウルグアイ宛はこのカバーを含め2通しか知られていない。

2リーフ目、1856年発行3番切手1R3倍重量便カバー、この切手のカバーは5通知られているが、紹介のカバーはその中でも最後期使用例、前回でも説明させて頂いたように初期のウルグアイ切手にペン消は存在するが基本的に消印は使われなかった為、鑑定書の無いカバーは本物として認められていない。

3リーフ目、1859年発行180c切手、ペーパーフォールドエラーを含む21枚未使用ブロック、この切手のシート構成は横12×17204面シート、ブロック位置の説明図版よりシート中のタイプ分類がよく分かる。

4人目)2021年日本国際切手展に向けて、1991年日本国際切手展での小話、30年前に紹介者はボランティアスタッフとして参加しており、JPS水原理事長サイン入書籍を入手した経緯、当時の思い出話などを紹介。

5人目)サブコレクションとして作成途中のスイス・不足料2番切手の紹介、現在国際切手展へ向けた途中作品との事で、タイトルリーフと第2リーフのみの紹介とさせて頂きます。

不足料切手という事で使用例での構成は勿論なのですが、タイトルリーフの分類でも分かる様、この2番シリーズは製造面の分類が非常に多く、ツームスタイン専門カタログによる分類に加え、オリジナルスタディによる構成途中との事です。

スイス関係に詳しい出席者によると、スイス国内切手展でも、製造面を追求した不足料2番切手の作品を見た事が無いとの事、是非とも日本人収集家による作品で、ヨーロッパの収集家を驚かして欲しいですね。

最近オークションで入手した、フランス1849年セレス1fr切手の紹介、セレスに顎髭が生えているように見えるバラェテイ、この切手の様に特徴がハッキリ分かるのは希少との事です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第38回Zoom例会レポート・前編

202119日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第38Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きで、イギリス・ジョージ6世の戦略偽装切手の全額面に存在する加刷バラェテイの紹介、当時のイギリス植民地国名と、爆弾や共産党イメージのシルエット、十字架、六芒星などが加刷されたタイプが有る。

植民地国名タイプのブロックを見ると、同一シート上に別々の国名が加刷されている事が分かる、専門カタログには全種類の加刷タイプが掲載されており、植民地国名加刷は14タイプ有る事が分かり、6額面全部に全加刷タイプが存在する。

このカタログには製造枚数も記載されている、フルシートは縦12×8×2面構成との事です。

質疑応答の中で話題に出た、JPSスタンプクラブ19799月号謀略切手特集記事、全7ページを掲載させて頂きます、40年程前の出版物で日本語で読める記事として今でも有益と思われますが、問題があれば削除させて頂きます。

2人目)前回紹介のウルグアイ・186620c数字シリーズ切手、フランス・ボルドー宛カバーについて、色々な要素を含んでいると思われ、料金を含めた紹介が欲しいとの事で、ヒントを含めたコメントを頂きました、質疑応答で分かった内容を紹介させて頂きます。

1874815日ウルグアイ・モンテビデオ発、ブラジル経由、イギリス・ロンドン経由、フランス・カレー経由、フランス・パリ経由、(鉄道郵便で輸送)フランス・ボルドー着。

20cはフランス宛2倍重量便、本来「GB/ 1F60c」の印鑑は南米・中米・アメリカから差立てられ英国郵船によって英国経由で運ばれた未納書状に押される印との事ですが、1853年イギリス・ウルグアイで英国郵便船による協定が結ばれた為?後編で解説の1931年発行の文献によるとウルグアイ・イギリス間では全納との内容になっています。

受人から徴収された24サンチーム(デシム)は、別の資料文献に掲載の同時期10c切手貼フランス宛カバーの説明によると「Manuscript exchange rate 12 cts」となっており2倍重量便カバーの為、倍額の24ctsが徴収されたと思われます。

今回の発表として、1843年発行ブラジル1番切手を紹介、イギリスに次ぐ世界2番目の切手発行国でそのデザインから「牛の目」の愛称で有名。

ペニーブラックと同じくパーキンス・ベーコン社、リオの有価証券印刷所製造、30レイスは印刷物や官報用料金、60レイスは封書用基本料金、90レイスは陸送用重量料金に相当、実用版は銅製で痛みやすかった為か多く有り、プレーテイングは可能と言われている、初期の印刷は鮮明、用紙は色や厚さでも分類可能。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第37回Zoom例会レポート・後編

202112日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第37Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)ハワイ王国、1893年発行暫定政府の赤色加刷切手の続きを紹介、前回のおさらいで、これら切手の発行枚数は公式記録では無く、収集家のバーズレイ氏が加刷を行なった印刷会社に直接尋ねて調査した数字で、4回行われた加刷枚数から廃棄された枚数を省いた参考枚数との事です。POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

スコットNo541セント・ブルー切手の紹介、前記サイトによると75,000枚の発行、台切手はアメリカン・バンクノート製造でシートの上下左右に銘版が有る、現地での応急的な加刷の為バラェテイが多い、2重印刷バラェテイは3つのカテゴリーに分類出来る、加刷の定常変種も存在、満足出来る使用済の入手は難しく、紹介の1枚貼島内間カバーも5通程度の確認。

紹介の田型ブロックはマウイ島カウイ消、2枚貼カバーは共に希少。

4人目)紹介者がオンライン会議でアバターとして使っている国連切手より、国際連合本部ビルについてプレゼンテーション形式で解説して頂けました。

国連発足当時、現在のマンハッタンに有る国際事務局ビルはまだ無く、国連総会は8cグリーンの切手に描かれているニューヨーク、フラッシング・メドウズの開催が多かった、最初にこの場所で開催されたのは第1回のセカンドパート、1946916日より1023日。

3回のセカンドパートと第4回はフラッシング・メドウズに加え、ニューヨーク、レイク・サクセスでも開催された、この場所の切手は無く絵ハガキと国連切手発行以前の消印。

現在の国連事務局ビルとフラッシング、レイク・サクセスの位置関係をGoogleMapで紹介。

国連総会最初の開催となる第1回のファーストパートは、3cブルーの切手に描かれているイギリス・ロンドンのセントラルホール、1946110日より214日。

1948年の第3回のファーストパートと1951年の第6回は、3c切手に描かれているフランス・パリのシャリオ宮殿で開催された。

18c切手の国連総会議場の有る国際事務局ビルは1952年に竣工された、国連本部がこの地に決まるまでは様々な議論が有り、国際連盟にアメリカが参加しなかった件からも、圧倒的国力を持つアメリカに本部を置くべきというコンセンサスは比較的早く得られたが、ニューヨークに決定する迄は更に様々な議論が有ったとの事でした。

5人目)第35回例会後編での続報、昭和2076日、朝鮮・京城より切手趣味社の吉田一郎に宛てられたハガキ裏面の文面、74日付けの新聞に戦時下の事情により、朝鮮独自の切手を差し当たって五銭十銭の2種類の切手を発売するとの速報を伝える内容の件。

日本語の新聞は見つけられなかったが、朝鮮語の新聞に記者と当時の逓信局長である伊藤氏との会談内容を見つけた、一部漢字でも記述されている。

紹介者に重要な部分を翻訳して頂いた所、「朝鮮内ノ通信業務ノ自給地セン体制ヲ絶タン為、先ズ葉書ト五銭十銭ノ切手ヲ京城デ印刷ヨシ、???売捌キ予定デアル・・・」との事です。

以上から、昭和2076日吉田一郎氏宛のハガキ内容が正しかった事を確証出来た、実際に切手が印刷されたのか、発行されずに破棄されたのか、あくまでも決定事項で印刷はされなかったのか、何処の印刷所が予定されていたのか等々、更なる発見を期待できる発表でした。

6人目)最近入手した、インドネシア・スカルノ大統領を描く未使用切手ロットの紹介、種類も多く調べている途中だが、額面改訂加刷や通貨単位が違う種類が有る事が分かる、これら切手の情報も募集中との事です。

前回発表のカバーについて、2件のコメントを頂きましたので紹介させて頂きます、ありがとうございました。

厳密にいえば「尋ね当たらず」ではなく「交付請求なし」です。一定期間に受け取りに来なかった場合です。局留の期間切れの場合や、書留便などで不在配達通知の期限が切れても受け取りに来なかった場合などによく使われます。「尋ね当たらず」は「inconnu」です。その他、「受取拒絶」は「refuse」、「demenage」は「転居」、「adresse insuffisante / inexistante」は「宛名不完全又は宛名に尋ね当たらず」、「refuse par la douane」は「税関による拒絶」などがあります。普通の郵便物は「表面に表示」だけですが、ハガキやカード形式の印刷物については「表面右半分に表示」とされています。これは現行UPU条約施行規則第19-14条8.1に書かれています。

GERMAN」はこの場合、「ドイツ語」。「GESCHÄFTLICH」は「商用」。使用言語と、商用の場合はその旨、書くように決められているからです。連合軍の検閲規則の英語Versionで紹介します。
Censorship Regulations for the Civilian Population of Germany under the Jurisdiction of Military Government.
10. Handwriting
All writing must be legible. The address, return address and language indication must either be typed or printed in block Roman capitals on the outer cover.
12. Language
The language of the communication must be printed or typed in English beneath the sender’s address.
13. Commercial communications
Commercial communications must show the word “commercial” (※
ドイツ語Versionではもちろん”Geschäftlich”) printed or typed beneath the language indication. …..

使用言語は英語の大文字で、差出人の住所の下に書くこと。商用の場合は「commercial(ドイツ語の場合は「Geschäftlich)と、使用言語表示の下に書くこと。このように定められているのです。差出人の住所は、普通は左上に書きますが、問題のカバーは住所を左下に書いています。そこで、「ドイツ語 /商用」の印は差出人の住所のすぐ下ではなく、封筒上部に押されています。

7人目)戦前の大阪毎日新聞より興味深い内容を抜粋紹介、昭和121110日号一面、上海事変中の日本軍優勢の記事と同時に、閣議申合せにより翌年度の年賀郵便を全廃、一般国民にも協力を求む内容、実際は昭和13年度用の年賀切手も発行されており使用されたが、翌年は年賀切手が発行されず、翌々年からは年賀特別郵便も廃止された。

左上の「太原城攻略」の写真説明に有る本社電送の記述は現在のFAXで、翌日の新聞に写真を掲載している事、顔写真が不鮮明なのは人物が特定出来ない様に加工している点など。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第37回Zoom例会レポート・前編

202112日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第37Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きで、ドイツやイギリスの戦略偽装切手を本物との比較紹介、画像データは黒色マウントに入っている方が偽装切手。

1件目、前回のドイツ・ゲルマニア切手に関してはコメントを頂き、1998年出版Wolfgang Baldus著「Schwarze Post」第1巻p.18-39 の記述を紹介して頂き再度確認すると、下部 ”DEUTSCHES REICH” の文字が偽物は太く、THIのセリフがはっきりしない、縦目打はほぼ同じだが、横目打が違う等々が分かりました。

2件目、イギリスの有名なパロディの戦略偽装切手、最初から消印は押されている。

3件目、イギリス・ジョージ6世の戦略偽装切手、偽物は4隅の花のデザインや向きが違い、頭部王冠上部がユダヤの六芒星になっている、戦略偽装切手専門カタログによると、いくつかのタイプ違いが存在するとの事です。

2人目)ウルグアイ・1番切手より19世紀の切手をいくつか紹介。

1リーフ目、特徴的デザインの1番切手は1856年発行、国名や郵便といった文字は描かれておらず、上部の ”DILIGENCIA” は乗合馬車の意味、当時は政府による郵便制度が出来ないまま民間の馬車会社を経営していたラピドという民間人を郵便管理官に任命、地元モンテビデオのメジエ社が石版印刷で製造した物、シェードバラエティや印面バラエティも多くプレーテイングが可能、マージンは非常に狭く、フルマージンの物は偽物切手作成で有名なスペラッテイの物と言われるほど。

2番切手は1858年発行、やはり国名表示は無いが首都モンテビデオと郵便物の意味 ”COREEO” が描かれた、此処迄の民間半委託業務の特徴として、ペン消しは存在するが、消印が使われなかった事、その為スコットカタログでも使用済の評価は無い。

2リーフ目、政府主導の郵便業務となり新切手が発行された、1859年発行分は額面数字文字が細く中央部分の印刷も薄い、1860年発行分は額面数字文字が太く中央部分の印刷も濃い、2通のカバーに貼られている60cはそれら別々の切手。

3リーフ目、1864年発行5c紋章切手、石版印刷でシェードバラエティが有る、12cに加刷された切手が有り、お粗末な出来の為か10日程で流通停止となった為、使用済の入手は困難。

4リーフ目、1866年発行、イギリス・マクドナルド社に発注した5c数字シリーズ切手、不採用カラーと採用カラーのマスターDieプルーフ。

5リーフ目、18661c数字シリーズ切手、額面を表す”CENTESIMO” の文字がはっきりしており、マージン幅4mmの物がTypeⅠ、文字がはっきりしていなく、マージン幅3mmの物がTypeⅡに分類される。

5リーフ目、186610c数字シリーズ切手、黒色プルーフ、シェードバラエティ、印面バラエティ、版欠点、プレーテイングを表すブロック。

6リーフ目、186610c数字シリーズ切手、バイセクト使用例カバー、アルゼンチン宛カバー。

7リーフ目、186610c数字シリーズ切手TypeⅠ50面シートのリコンストラクション前半部。

8リーフ目、186610c数字シリーズ切手TypeⅠ50面シートのリコンストラクション後半部。

9リーフ目、186615c数字シリーズ切手TypeⅠ35面シートのリコンストラクション、額面によってシート構成の違いが有る。

10リーフ目、186620c数字シリーズ切手、モンテビデオ発、イギリス経由、フランス・ボルドー宛カバー。

11リーフ目、1884年、アメリカ・バンクノート社に発注した20c切手のプレートプルーフ。

12リーフ目、1889年、イギリス・ウオーターロウ社に発注した25c切手のプレートプルーフ。

13リーフ目、1895年、イギリス・ウオーターロウ社に発注した7c切手のプレートプルーフ、実際に発行された切手とはカラー違い。

14リーフ目、1895年シリーズ5c切手、目打のバラェテイが非常に多い。

15リーフ目、1895年シリーズ1c&5c切手多数貼カバー、モンテビデオ発、イギリス経由、オランダ・アムステルダム宛。

以上、非常にバラエテイに富んだ19世紀のウルグアイですが、一部の分類に利用しているサイトを紹介して頂けました。http://www.clubfilatelicodeluruguay.com/catCiardi.html

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。