スタンペックスジャパン2021 展示決定作品の発表(一覧)

スタンペックスジャパン2021 [ 2021年4月10日(土)~13日(火) 、郵政博物館 ] の展示作品が決定しましたので発表します。

No 部門 Fr. 出品作品名称 出品者名 過去の最高賞
1 伝統郵趣 8 France 1849-1862 有吉伸人 国際G
2 伝統郵趣 5 新昭和切手 飯澤達男 国内G
3 伝統郵趣 5 Japan Definitives 1899-1908 内海省一 国内V
4 伝統郵趣 5 Japan Definitives 1937-1940 菊地恵実 国際V
5 伝統郵趣 5 South Korea 1945-1947 木戸裕介 国内V
6 伝統郵趣 5 和紙桜青 1銭 高橋卓雄 国内LV
7 伝統郵趣 8 Japan Definitive Issues 1914-1925 丹羽昭夫 国際G
8 郵便史 8 Early Cancellations of MIMASAKA, BIZEN, BICCYU-Han in OKAYAMA prefecture 安藤源成 国際LV
9 郵便史 5 配達証明・到達証明郵便 行徳国宏 国内LV
10 郵便史 5 Postal History of Transvaal during the Second Boer War 内藤陽介
11 郵便史 8 朝鮮半島に於ける日本の消印(1876-1945) 中野健司 国内LV
12 郵便史 5 大清国家郵政郵便史  1897-1912 藤本博嗣 国内LS
13 郵便史 5 郵便の効率化と機械化 水谷行秀 国内G
14 郵便史 5 Overseas Printed Matter 1877-1949 森田美佐子 国内V
15 郵便史 5 郵便に見る昭和  1937-1946 山本幸治
16 ステーショナリー 8 POSTAL CARDS OF JAPAN 1873-1874 斎享 国際LV
17 ステーショナリー 8 Postal Stationery of Japanese Occupation Naval Occupied Area 守川環 国内LG

スタンペックスジャパン2021
実行委員会

 

 

外国切手研究会 第36回Zoom例会レポート・後編

20201226日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第36Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)前記の話題から、自分のコレクションよりA.P.O 関係のカバーを紹介、質疑応答より差出地のA.P.O331は沖縄キャンプ・フォスターの施設が有った局で現在は嘉手納基地の場所、枝番の-3に関しては詳しく分かってないとの事です。

本年度入手した最後の書籍文献を紹介、1冊目は表紙の孫文切手目当で入手、PHILANIPPON’91でも展示されており、当時も非常に興味ある切手だったとの事。

2冊目、以前話題に出た新潮社2009年発行「満州朝鮮復刻時刻表・附台湾樺太復刻時刻表」、当時の時刻表が殆ど載っており、樺太は国鉄だけでも6路線も有った事などが分かる、鉄道だけでは無く船の航路、空の航路も網羅しておりとても良い書籍との事です。

5人目)最近入手の個人的に面白いと思えるカバーを紹介。

1通目、1961年ガーナのアメリカ宛実逓書留FDC、余り見かけない国の上、書留ラベルが裏に貼られている。

2通目、1973年西ベルリンの実逓FDC、差出人戻しになっており、尋ね当たらずを表す目打付のラベルが貼られている、このラベルのバラェテイなど有るのか興味が有る。

3通目、1961年西ドイツの実逓FDC、これも差出人戻しになっており 、裏面に押されている返送理由を表すスタンプが面白い。

4通目、1945年発行ドイツフランス占領地切手貼、実逓便で上部に押されているビジネス?の意味のハンコに興味を惹かれた、自分でも調べている所で、情報も募集中です。

5通目、1947年発行ドイツフランス占領地バーデン地区切手貼、表と裏に押されているハンコから公用便かも?と思ったが、こちらも調べている所で、情報も募集中です。

6人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から北ボルネオの部分を紹介、日本の南方占領地切手収集家や日本軍が北ボルネオ呼んでいた地域は、元の植民地の区分けでは4つの地域を統合した地域となり、イギリス保護領北ボルネオ(ノースボルネオ)、イギリス保護領ブルネイ、サラワク王国、ラブアン島の4地域、故に台切手も大きく4つの分類となり、戦前の事が分かっていないとこの辺りの事情が理解し難いと思われる。

これら4つの地域の台切手を紹介、ラブアン島に関しては英領海峡植民地・ジョージ6世シリーズを台切手として、其々のエリアで地方加刷された物が使われた。

1人目その2)前記の話題から、自分のコレクションよりA.P.O 関係のカバーを紹介、1945818日アメリカ航空切手貼、A.P.O245は篠原宏著「大日本帝国郵便始末」によると伊江島で1945612日開設、1946220日閉鎖との記載。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第36回Zoom例会レポート・前編

20201226日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第36Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)ドイツ・ゲルマニアの戦略偽装切手を紹介、謀略切手とも呼ばれる、第1次世界対戦時にイギリスが製造配布したもの。

一般的に良く知られている第2次世界大戦時に製造されたものは、パロディ的な要素が強い切手、偽物と簡単に分かる切手が多いが、ミッヘルカタログにも掲載されているこの切手は極めて精巧に出来ており、無目打の方はそのプルーフと思われる、本物とは目打が違うと言われているが、紹介者が比較しても殆ど同じとの事でした。

大戦時に空から配布されたとの事で、コンディションが悪い物も多い、本物に似せた謀略切手は経済の混乱を目的とした話があるが、紙幣硬貨とは違い、実際には敵国への技術力提示が主な目的だったと思われる。

2人目)アメリカ切手より、海外派兵のカバーをいくつか紹介。

1通目、1908年シリーズ貼1919820日、シベリア発フィラデルフィア宛、1918年から1920年迄のシベリア内戦時のアメリカ遠征軍カバー、左下に検閲印が押されている。

2通目、1908年シリーズ貼1917719日、中国上海発ニューヨーク宛、カバー左に検閲封緘。

3通目、大統領シリーズ貼19411014日、A.P.O 801(カナダ・ニューファンドランド、セントジョンズ)発バルチモア・メリーランド宛。

4通目、大統領シリーズ貼1945225日、A.P.O 70(フィリッピン・ルソン)発フェアフィールド、コネチカット宛、カバー左に検閲印と封緘、太平洋戦争時の日本軍との間でルソン島の戦いが有った時期の郵便物。

5通目、リバティーシリーズ貼195696日、イタリア海軍戦艦ジュリオ・チェザーレ、パクポーカバー、ニューヨーク宛、この戦艦をウイキペディア等で検索すると、第2次世界大戦後賠償艦としてソ連に引渡されノヴォロシークスと改名、19551029日に事故が発生し、後に解体されたと有ります、1956年時に同名艦がイタリアに有ったのでしょうか? 詳しい情報をお持ちの方が居られましたら宜しくお願いします。

6通目、リバティーシリーズ貼196373日、A.P.O 503-3(日本・関東地方)発レイクウッド・カルフォルニア宛、以前紹介の篠原宏著「大日本帝国郵便始末」によると、 A.P.O 503-1は東京との事ですが、 A.P.O 503-3に関する詳しい情報をお持ちの方が居られましたら宜しくお願いします。

3人目)ハワイ王国、1893年発行暫定政府の赤色加刷切手を紹介、それ迄に発行されていたバンクノートイッシューの切手に赤色若しくは黒色の加刷をして発行された、正刷切手発行迄の応急的な発行で、残っていた様々な台切手の額面を生かして発行された為、同一額面で台切手が複数有る。

1リーフ目、赤色加刷切手の ”SPECIMEN” を紹介、現存数も少なく希少な物。

2リーフ目、赤色加刷切手の12種類未使用、1セントは3種類有る。

3リーフ目、1セント切手・グリーンの銘版付25枚ブロック(50面シートの半分だけを展示)、加刷が上にずれたバラェテイ。

4リーフ目、1セント切手・パープルはシート左右に銘版が有り、右側はナショナルバンクノート、左側はハワイアンでハワイ語、6番切手には加刷の定常変種が有る。

5リーフ目、1セント切手・パープルの加刷バラェテイ、カバーは島内間郵便物でこの切手が使われた同様の使用例は5通のみ確認されている。

6リーフ目、1セント切手・パープル10枚ブロック+5セント切手貼、ドイツ宛書留カバー。

この暫定政府加刷切手に関して、発行枚数等についての質疑応答が有り、後日紹介者より追加情報を頂きましたので掲載させて頂きます。

Fred Gregory氏のウエブサイト「Post Office in Paradise」に下記の記載がありましたので、参加者にお伝えできれば幸いです。なお、例会でもお伝えしましたように、正式な公式記録はなく、枚数については、収集家の調査によるものであることをお伝えをしておきます。

QUANTITIES

In contrast to the fanfare surrounding the first printing, the last three printings were done and placed on sale without any official notice. Perhaps Oat had been criticized for the chaos of May 20. Nonetheless, the worldwide philatelic press was quick to report the appearance of Scott No. 63 in the second printing and various varieties peculiar to the second printing. Speculators continued to hound the Post Office well into June, searching for overprint varieties and new issues. The third and fourth printings were noticed when additional stocks of previously sold-out stamps appeared at the Post Office. By the time of the fourth printing, the frenzy of speculation had died away.

No official records were kept of the quantities overprinted in any of the printings. Late in 1896, the government gave notice that remaining stocks would be removed from sale at the Post Office on December 31 and destroyed. A minor run on these stamps took place late in December, 1896. On January 27, 1897, the government burned remainders of the overprinted stamps in the furnaces of the Hawaiian Electric Company. Most of the stocks destroyed were from the fourth printing. Thus stamps identified with the fourth printing are usually far scarcer than stamps from earlier printings.

Lack of official records of quantities overprinted notwithstanding, stamp collectors kept informed and documented numbers obtained from the printers and derived from periodic official inventory records of stamps on hand. From numerous unofficial reports, the late Wallace Beardsley created a study of approximate quantities, broken down by printing.

この内容については、4回加刷が行われております。4回目印刷については、その多くが廃棄(焼却)されていることが判ります。また、ウオレンス・バーズレイ氏による発行枚数の分析については下記にアクセスしてください。その詳細データが記載されていますので、参照いただければ幸いです。これらはあくまでも公式なものではない、バーズレイ氏が加刷した印刷業者などをあたり調査をした結果に基づくものであり、公式なものではないということでありますが、参考にあることは確かであろうと判断いたします。

POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

WEBセミナー「第3回 南方占領地のフィラテリー展 作品解説」アーカイブ配信のご案内(正会員・賛助会員 限定)

昨日、特定非営利活動法人 郵趣振興協会が後援し、南方占領地切手コレクターズクラブが主催した「WEBセミナー 第3回南方占領地のフィラテリー展 作品解説」は、27名のご参加を得て、無事開催されました。

収集人数の少ない南方占領地切手に専門家以外の方のご参加も得られ、主催者は大きな手応えを感じた様です。今後の改善に向けて、アンケートを募集していますので、ご視聴された方は、ご回答に協力してあげていただければ幸いです。

アンケート

残念ながらご視聴いただけなかった方や繰り返し見たい方の為に、こちらのセミナーの動画アーカイブ配信を、今月末まで当協会の正会員・賛助会員の皆様に提供します。

以下の方法でご覧いただけますので、ご利用ください。

(1)マイスタンペディア にアクセス
(2)以下の画面で一番右の黄色いタブ[特非)郵趣振興協会]をクリック
(3)WEBセミナーアーカイブ配信のリンクが表示されます。
(4)表示されているパスコードをご入力ください。
(5)始まりの12分ほどは無音ですので、飛ばしてご覧ください。

 

外国切手研究会 第35回Zoom例会レポート・後編

20201219日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第35Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

5人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から英領マラヤの部分を紹介、英国はこの地域を直轄の海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ、現オーストラリア・クリスマス島、ボルネオ島ラブアン)と、マライの首長国とに分けて植民地経営を行っていた、首長国に関してはそれぞれ独自の切手を発行しており、宗主国の王を描く必要は無かった。

海峡植民地ではジョージ6世が台切手となっており最高額面は5ドル、印紙としても使われていた、地方加刷と統一加刷が有り、大半は台切手の額面を生かしているが、一部に料金改定加刷が有る。

以下首長国別、ジョホール州、ケダー州、ケランタン州、ネグリセンビラン州(クワラルンプール)、パパン州、ペラー州、セランゴール州、セランゴール州、トレンガヌ州、マラヤ・マレー州連合、以上9の地域を紹介。

2人目)前回の続きで、ハワイ宛インカミングカバーを紹介。

1通目、189574日、アメリカ発・コロンブス博覧会5セント記念切手貼カバー、インド・カルカッタに転送されているが、受人が尋ね当たらずデッドレター、差出人戻しとなっている、裏面には多くの印が押されており情報が読み取れる。

2通目、1893812日、ニュージーランド・オークランド発カバー、ハワイには12日で到着している。

3通目、1895827日、ハイチ・ケープハイチン発カバー、ニューヨーク、サンフランシスコ経由、サンドイッチ諸島宛、ハイチ発のカバーは希少。

4通目、最近のオークションカタログより、切手付封筒にサージュ切手とセレス切手が貼られた1891年フランス発カバー、紹介者も入札されたが残念ながら落札できず。

5通目、最近のオークションカタログより、切手付封筒に6枚の切手が貼られた1894年アルゼンチン発カバー、南米発のカバーは少ない。

6通目、最近のオークションカタログより、1891年オランダ発ロンドン経由カバー。

5人目)昭和2076日、朝鮮・京城より切手趣味社の吉田一郎に宛てられた興味深いハガキを紹介、尚このマテリアルは紹介者の所有物では無い為、画像加工していますが問題が有れば削除させて頂きます。

裏面の文面より、74日付けの新聞に戦時下の事情により、朝鮮独自の切手を差し当たって五銭十銭の2種類の切手を発売するとの速報を伝える内容になっている。

この切手が台湾地方切手のような物が予定されていたのか非常に興味深い、当時の朝鮮には3社の新聞社が有ったとの事で、その辺りを調べてみるとの事でした。

おしらせ)前回紹介の、1973年日本発東ドイツ宛の不足料扱い私製ハガキの件ですが、質疑応答の解説が間違っているとの事で、とても詳しいコメントを頂いたので紹介させて頂きます、有難うございました、前回の修正とさせて頂きます。

数字はフラン・サンチームではありません。フィラテリストマガジン誌№13、p.62をご覧ください。
中ほどに一覧表がありますが、1973年は第4期(1966年1月1日〜1975年12月31日)に当たります。
この間は、差立て国の通貨で、分母は船便(平面路便)の最低書状料金額、分子は不足額の倍額、を分数形式で表示します。
配達局は自国の船便(平面路便)の最低書状料金額に分数をかけ合わせれば徴収額が算出できます。

このハガキの場合、1973年4月24日赤坂局引き受け、4月26日東京国際局中継。外国あて船便ハガキの未納便。
1971年7月1日〜1976年1月24日の日本の外国あて船便の最低書状料金は50円。
1966年7月1日〜1976年1月24日の日本の外国あて船便ハガキ料金は30円。

だから、分母に50()、分子に(30円×2)=60()、と書かれているのです。
一方、東ドイツの1971年7月1日〜1990年6月30日の船便(平面路便)の最低書状料金は35pf
そこで、35pf × 60/50=42pfが東ドイツが徴収すべき金額です(丸め方は不明ですが)
しかし、そのような数字が見られないので徴収はしていないようです。

私の推測ですが、手書きの「T」は赤坂局がとりあえず注意喚起のために書いたもの、「T60/50」は東京国際局で押した(書いた)ものと考えています。
なお、未納不足便の郵便物が何であろうと分母は船便(平面路便)の最低書状料金額、つまりこの例では「5()」というのは変わりません。だから分母の「50」は手書きではなく組み込みになっているのです。分子だけが変わるからです。ちなみにp.70に分母を間違えた例をわざと入れています。

フィラテリストマガジン誌№13のこの記事には制度変更の理由なども書きましたので、ぜひとも前後もお読みください。手前味噌ながら、この記事は大変中身が濃いと同時にいろんな要素を組み込んでいますので、日本に限らず、どのような国を集めていようときっと役に立つはずです。(ちょっと宣伝させていただきました…笑)

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第35回Zoom例会レポート・前編

20201219日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第35Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)以前の続きで、中華民国・重慶華南1版切手に関する紹介と考察、50から500,000迄の8種類、19494月発行で中華自民共和国成立の約半年前、平版印刷で製造状態も良く無い。

内陸の重慶を中心に出回ったが発行数は余り多く無かった、金通貨だがインフレが進んでおり、余り出回らなかった上に使い道の少なかった50の使用済は少ない。

上海大東5版切手と比べると、印刷状態が全体的にベタな印象、印面寸法や目打のバラェテイは確認されていない、用紙に関しては前シリーズ程では無いが薄い厚いが確認出来る物も有る。

四川省・重慶、昆明の使用例が大半で沿岸部は殆ど見かけ無い、429日には銀通貨となった為、殆どがその使用例。

194953日、ハワイ宛、5,00032枚貼計160,000カバーは銀通貨0.40に相当するが、当時の上海レートの為、重慶での料金として正しいかは不明。

1945527日、アメリカ宛、500,00020枚貼計10,000,000カバー、この時期は金の変換レートが場所と時間によって違っていた為、こちらも正確な郵便料金はよく分かっていない。

続く中華民国・重慶華南2版切手に関する紹介と考察、1分から500分迄の9種類、19496月発行で中華自民共和国成立の約4ヶ月前の発行、銀通貨だが使用期間も短かった為、高額切手のカタログ評価は高め。

印面寸法バラェテイは確認されていないが目打は2種類、用紙に関しては同じく薄い厚いが確認出来る物も有る、重慶華南12共に銘版は180番と200番の右側。

使用済は支配地域の四川省、福建省、広東省など、インフレが進んでいた為使用済はブロックが多い、新中国成立後も中国大陸では船山諸島・山西省の一部・甘粛省の一部・福建省の金門島の4カ所が当時は支配地域だった、拡大図の50分使用済は民国39年(1950年)4月、船山諸島定海の使用例で希少。

1949929日、広東発香港宛カバー、新中国成立直前で広東では銀がほぼ使えず、支払いは香港ドルの可能性が有る。

重慶地方裁判所宛カバーには、重慶華南2版切手に南川と加刷された切手の使用例を良く見かける。

2人目)蘭印切手より、興味深いカバーの紹介

1リーフ目、193669日バタビア発、ハンガリーブタペスト経由、チェコスロバキア宛、全部で20枚の切手貼、額面合計4グルデン80セント航空便大型カバー。

2リーフ目、19371126日スラバヤ発、本国アムステルダム宛、全部で24枚の切手貼、額面合計3グルデン30セント航空便大型カバー。

3リーフ目、1941829日バタビア発、アメリカ・デトロイト宛、1グルデン60セント貼書留カバー、この新女王図案の切手は1941年発行で、19423月にはこの地域に日本軍が進出した為、蘭印としての使用例は少ない。

4リーフ目、Money Order(為替送金)使用例、取扱い局チアンデルで 1942228日と34日の印、オランダの検閲印も押されている、ジャワには194231日に日本軍が進行、39日には首都バンドンを制圧、現地の郵便業務は312日より17日迄中断しており、その前後227日と319日のゴム印も押されている、切手に押されているフィールド事務所Aの印は比較的珍しいと思われる。

5リーフ目、194283日、日本軍政下の使用例、「大日本軍政府ノ印(紀元)2602年」の赤い印が押されている。

6リーフ目、日本軍政下の機械印使用例2通、共に標語印で1通目は「切手をきちんと貼りましょう」、2通目は「住所をきちんと書きましょう」と書かれているとの事です。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

スタンペックスジャパン2021出品受付終了のお知らせ

来年(2021年)4月に開催される、全国切手展「スタンペックスジャパン2021」に対する出品申込を、2020年11月1日(日)~2020年12月17 日(火)でお受けしており、昨日で終了いたしました。

おかげさまで本年も展示上限を超えるお申し込みを頂戴しました。出品要綱 第7項に従い、展示作品の選定を行い、元旦までにお申込者に連絡すると共にホームページで発表予定ですので、しばらくお待ちください。

外国切手研究会 第34回Zoom例会レポート・後編

20201212日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第34Zoom例会』レポート後編です。参加者9人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)最近入手した韓国・手押標語印の紹介と考察、官白の仁川はハングルバージョン、朝鮮総督府官報によると、大正1371日より3種類が使われ始めたと有るが実際には4種類有る。

この印は鳴美の資料に詳しく載っているが、記載が間違っており意味の通じないハングルになっている、震災ハガキのカットは元山で使われた日本語バージョン。

昭和10123日朝鮮新聞の記事によると、京城三越(現在でも新世界百貨店本店として使われている)で京城郵標クラブ主催、趣味の郵便切手博覧会が開催されており、出品目録から朝鮮総督府逓信局出品の鮮内標語入消印集が確認出来る。

翌年には第2回趣味の郵便切手博覧会が開催されており、こちらも写真より当時の雰囲気が確認できるが、いずれも作品はリーフに見える物に展示されている事は非常に興味深い。

朝鮮半島で開催された切手展は、釜山郵標クラブが開催したのが最初で、こちらの京城郵標クラブが開催したのは2回目3回目に当たるとの事。

5人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から米自治領フィリピンの部分を紹介、かってはスペイン領だったが、1898年の米西戦争後アメリカ領となった。

南方占領地の台切手の大半は英国領で図案も似通っており、僅かにオランダ領でそれらは女王図案が多かった為、アメリカ領のフィリピンは違う雰囲気が有る。

元々の加刷切手が台切手に使われている物も多く、台切手の加刷違いに対して日本の加刷は同じで、JPSのカタログではそれらを分類していない物も有り注意が必要。

アメリカ領という事で航空切手が台切手となった物も有るが、記念切手や公用切手としての加刷使用だった。

不足料加刷切手や公用加刷切手が台切手となったのもそれぞれ1種類有る。

6人目)最近入手した古いアメリカ製図入りゼネラルアルバムの紹介、1940年頃迄の採録だが残念ながら貼られていた切手は余り多くは無かった、このアルバムの有効活用についてのアドバイスが有ればとの事。

この実物が貼られたアルバムを調べながら、自分の気に入った国を探すのに使うのが良いのではという意見が有りました。

1人目その2)1973年日本発東ドイツ宛の私製ハガキ、切手が貼られておらず不足料扱になっているが、詳細が分からないのでアドバイスが有ればとの事。

手書きのTと消印のTが押されているが、輸送途中の切手脱落では無い事を判別する為、どちらかは日本で処理された物との事、消印のT50の数字は以前紹介のUPUフランでの不足料金ではとの事です。

お知らせ)前回紹介の、ベトナム半島に存在(1888-1890年)したと言われるセダン王国が、1889年に発行した切手の件ですが、とても詳しいコメントを頂いたので紹介させて頂きます、有難うございました。

郵趣百科事典で調べてみたら2つありました。
(1) Grosses Lexikon der Philatelie, 1. Auflage (Alexander Bunderz
/ 1923年刊)
Sedang-Marken, für den Eingeborenenstaat in Hinter-Indien, wurden von dem französischen Abenteuerer David Mayrena herausgegeben, es sind Schwindelmarken. Vergleich „Die Post „ 1906, S.148.

(2) Großes Lexikon der Philatelie II (Ullrich Häger/ 1978年刊)
Sedang, der Phantasie des franz. Abenteurers und Schwindlers Louis David de Mayrena entsprungenes angebl. Königreich am Fluß Mekong in Hinterindien, zu dessen „König“ Marie I. sich Mayrena selbst erhob.

Er kam nach Paris, um sich seine Würde von eigenen Gnaden durch die damalige Schutzmacht in Hinterindien, Frankreich, bestätigen zu lassen und ließ in Paris sieben Marken mit Inschrift DEH SEDANG und Wertangaben in einer erfundenen Sprache und erfundenen Währung (von 1/2 Math bis 1/2 Dollar) drucken, die er selbst (bzw. durch seine „Minister“) in Paris und Ostende 1889/90 ungebraucht oder mit einem Stempel versehen an Sammler und Händler verkaufte und reißend loswurde, bis der Schwindel herauskam.

Nach dem Verschwinden Mayrenas hielt sich der Markendrucker mit seinen Forderungen insofern schadlos, als er die noch bei ihm lagernden Bestände (meist entwertet) verkaufte; das Interesse der Sammler an diesen Schwindelprodukten blieb noch einige Zeit erhalten. Diese Marken haben bestenfalls Kuriositätswert.

詳しい翻訳は興味のある方にお任せしますが、だいたい次のような内容です。
・フランスの冒険家で詐欺師のLouis David de Mayrenaが自分自身をMarie 1世王と名乗り、空想で作った先住民族国家のラベル。
・自分の威厳を確認してもらようと、当時そのあたりを統治していたフランスのパリにやってきた。
・自分で創造した言語と通貨による7種の切手(1/2 Math から1/2 Dollar)を印刷させた。国名表示は「DEH SEDANG」。
・これらの切手は1889年から1890年にかけて、パリとオステンデの収集家及び切手商に、その悪ふざけが露見するまで、未使用切手と使用済切手を販売した。
Louis David de Mayrenaが去ったのち、切手の印刷業者が自分の在庫(ほとんど使用済)を販売した。
・この詐欺師による作り物は、しばらくは収集家の関心を引いたが、価値はせいぜい興味本位のもの、という程度である。
以上、ご参考まで。

連絡事項)2021313()14() に開催予定されていた「スタンプショウ=ヒロシマ2021」ですが、残念がら9月開催に延期されたとの事です、宜しくお願いいたします。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第34回Zoom例会レポート・前編

20201212日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第34Zoom例会』レポート前編です。参加者9人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)最近購入の資料書籍を2冊紹介、「中国・朝鮮地名別称索引」は、局名地名等が複数有る場所を調べる時に役立つとの事です、「中国抗日戦争史地図集」は、中国で出版された本なので内容は向こうの視点ながら図版も多く載っており、郵趣的に有りえない使用例やカバー、グレーゾーンなどを判別するのに役立つとの事でした。

2人目)ハワイ王国、一般的なアメリカ発以外のインカミンングカバーを紹介。

1通目、1888626日、フランス・パリ発ポスタルカード、受人のアドレスにスタンプディーラーと書かれている事から、切手商も営んでいる方宛と思われる。

2通目、1888814日、日本・周防国発書留カバー、当時の日本では書留ラベルは無かった、中継地のサンフランシコでは書留ラベルでは無く印が押されているが、この印が押されたカバーは非常に希少。

3通目、189069日、ドイツ・ベルリン発ポスタルカード、差出人戻しになっているが、ホノルルで押されている ”DEAD LETTER OFFICE” の印は現在5件しか確認されていない。

4通目、18921017日、ベルギー・アントワープ発カバー、額面付封筒に2枚の切手が貼り足された重量便カバー。

5通目、18971019日、リーワード諸島・モントセラト発モーニングカバー、カリブ地域からハワイ王国宛のカバーは比較的珍しい思われる。

3人目)前回の続きで、インドネシア独立戦争時代、インドネシア共和国が1946年から発行した正刷切手の紹介。

1946112日発行、牛を描く10Sen20Sen1番切手は、共に倍額の寄付金付で戦費の方に当てられたとの事、カラープルーフ、ダブルプリント、日本占領時代の農耕ハガキ上に貼られた使用例など。

194661日、71日発行の普通切手5種は、採用・不採用カラーのプルーフ、マトリクスプルーフと呼ばれる大型のダイプルーフも紹介、発行された切手には、目打、刷色、紙のバラエティが有る、日本占領時代の農耕ハガキの印面を生かし加貼されて無効にならなかった例、書留使用例など。

1946817日発行、牛を描く独立1周年記念切手の中から3Senを紹介、目打有と無目打が有り、比較的多くのバラェテイが確認されている、プレートBと呼ばれる3枚の未使用シートを紹介、1枚目・目打有粗紙のシートはアーリーインプレションで印刷は鮮明、2枚目・無目打白紙のシートもアーリーインプレションで印刷は比較的鮮明、3枚目・無目打粗紙のシートはウオーンインプレッションで印刷はやや不鮮明。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

いよいよ本日から「第3回南方占領地のフィラテリー展」です

本日と明日の2日間の日程で開催される、郵政博物館特別コレクション展「第3回南方占領地のフィラテリー展」(12/14-15 月曜・火曜)が無事開場しました。

開場に先立ち、朝10時から会員の皆様による設営作業が行われました。当会からは菊地恵実理事が参加し、順次フレーム配置を行い、作品を丁寧にフレームに収めていきました。順調に作業が捗り、正午には展覧会をオープンすることができました。

作業にご参加いただいた方による記念撮影(この一瞬だけマスクを外しました)

オープン後の会場の様子。今回の展覧会は、2019年に逝去した故・橋本道弘氏のコレクションを展示する最初で最後の展覧会となります。

 

本展覧会は、COVID-19感染症の流行に伴う博物館の土日休館・時間短縮を受けて、大半の展覧会が中止になる中で唯一開催される2020年度の郵博展です。博物館へのご入場に際しては、マスクを着用し、入場口で手の消毒を行った上でご入館ください。