外国切手研究会 第81回Zoom例会レポート

202221日 2000PM – 22:15PM開催『外国切手研究会 第81Zoom例会』レポートです。参加者14人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目・重山優氏)旧中国・外国宛封書190圓時期のカバーを5通紹介、その内4通に貼られいる切手は19451010日発行、蒋介石を描く慶祝勝利紀念だが、同日には蒋首席就職紀念6種も発行されており、中国の正当な後継者は毛沢東では無く蒋介石だという事をアピールする為のプロパガンダ的な要素も含まれていると思われる、1通目は上海よりインドシナ宛航空封書で航空料金が60圓だった短期間の使用例、宛先のSecteurPostalはフランスの野戦郵便局との事。

2通目は上海よりオーストラリア・シドニー宛航空書留封書でカルカッタ経由、貼付切手は20圓不足のはずだがそのまま運ばれている、差出人のUNITED NATIONS RELIF AND REHABILITATION ADMINISTRATION(略称UNRRA)は連合国救済復興機関で国連関係とは別組織。

3通目は汕頭よりオーストラリア・ビクトリア宛航空封書、4通目は上海よりチェコスロバキア・プラハ宛航空書留封書でエジプト経由、5通目は廣州よりアメリカ・ニューヨーク宛航空書留封書でイギリス経由。

2人目・中野健司氏)戦前の朝鮮半島関連消印のマテリアルを3通紹介、1通目は1904125CHEMULPO、現在のインチョンからシベリア経由のデンマーク宛ハガキ、菊切手の朝鮮加刷は偽物との事ですが、到着印はコペンハーゲン219日でこの間に日露戦争が開戦している、3個の中継印は大連に有るロシアの野戦郵便局、大連ハルビン間の鉄道郵便印、ハルビン満州里間の鉄道郵便印で水原明窓著書「朝鮮近代郵便史」183ページ掲載分の兄弟カバーにあたる貴重な一品、JPS郵趣19939月号には同じく水原氏による「ユメにみた東進・南満コンビネーションとは」が寄稿されているので参考にして下さい。

2通目3通目は旧中国・ジャンク船ハガキの日本宛、中継印として現在の中朝国境辺りのCHOSENKAINEIKEIGENの使用例、使われているハガキの情報を調べた所、アメリカの図書館でそれらの情報を掲載している書籍を見つけて解決、数種類に分類できる事が分かったとの事です。

3人目・山崎文雄氏)ポルトガル・19531023日切手発行100周年記念の紹介、描かれている肖像は1番切手と同じくQueenMaria Ⅱでグラビア印刷の美しい切手、異額面同一図案8種類の為か試刷と思われるカラーバリエーションが多く存在するが使用例は存在しない。

正規発行分の使用例もいくつか紹介、国内宛ハガキ、ドイツ宛航空便、カナダ宛書留FDC、ブラジル宛航空便、フランス宛、ブラジル宛ハガキ航空便など、最低額面の50センタボは国内ハガキ料金だが最高額面の20エスクードはその40倍、高額面の自然な使用例は難しいとの事です。

4人目・山本典保氏)ウクライナ関連の背景と切手について紹介、元々はロシアの切手が使われていたが、ロシア革命後の1918年ウクライナとして正刷切手が発行された、ロシア切手に加刷された物、オーストリアハンガリー切手に加刷された西ウクライナ人民共和国の物も発行された。

1920年に非郵便用として14種類の発行が有り、スコットカタログにも注釈が有る、1923年ウクライナソビアト社会主義共和国として正刷切手が発行された、独ソ戦争時の1941年と1943年にはドイツ切手のウクライナ加刷がドイツ野戦局として発行されたが、第二次世界大戦後はソ連に組み込まれる。

質疑応答より、重山優氏よりポーランド切手の西ウクライナ使用例の紹介が有りました。

5人目・槇原晃二氏)オーストラリア・英領ビクトリア1857年より発行されたEmblems Issueと呼ばれる3額面を紹介、名前の由来は切手の4スミに羊、帆船、コンパス、鉱山工業という植民地を象徴した図案が入っている為、最初のリーフはリプリントプルーフ。

印刷所は3カ所で最初はCalvert Printingで版の彫刻も行われた、後にRobinson PrintingGovernment Printing、最初は無目打で発行され、後にルレット、その後はP12が入れられた、シェードや用紙、透かしの分類も有り中々複雑なシリーズ、1861年には1ペニーの4角がネット図案に変更された切手も発行されたが同一シリーズとして扱われる。

カバーも数点紹介、その中で2ペンスのペア貼りで、一見すると69の数字消印に見えるが実は6の鏡文字になっている物が有り非常に興味深い。

3人目・武田幸作氏)トンガ王国・1970年迄のカタログコレクションを紹介、1番切手は1886年発行で当時の国王の肖像、1897年にはトンガを紹介する立派な凹版印刷の切手が発行されたが、この辺りは有名なテイン・キャン・メールの紹介カバー等で見かける事も有る。

トンガ王国といえばやはり1960年代後半より発行された変形シール切手が有名、この辺りも良く揃っており、昔は色物扱いだったこれらは近年人気が高く、当時物の使用済は今では入手困難、紹介のコイン型切手の使用済は首都ヌクアロファ消、FDC切抜かもしれないが貴重なマテリアル。

7人目・吉田敬氏)日本初期の在外国局マテリアルを2点紹介、1点目は1860年パリ発NAGASAKI着カバー、1858年日米修好通商条約後1859年に神奈川、長崎、函館の3カ所が開港したが実際に稼働していたのは長崎だけといわれる、1859年のカバーはプライベートコレクションには存在せず、1860年のカバーは7通確認されており、これはその中の貴重な1通。

2点目は在日アメリカ外国局・HAKODATE局カバー、最初にインターネット上の画像ですが、NewYorkDailyTimes.の記事より、1854717日の記事で日米和親条約が掲載されており、これがハワイの新聞に転載され、それを見たハワイ在住の白人がオーストラリアの船をチャターして、函館か下田しか来れない状況で下田に来たとの事、当時は江戸の大地震や南海トラフ地震の影響で下田は全くビジネスにはならず、その後函館に向かったとの事、その一行が差し出したカバーこそが、第77回例会レポートで紹介した、ニューヨーク・ロバートシーゲルオークションに出品されていた、在日アメリカ外国局・HAKODATE局カバーで1855年の使用例、日米和親条約後最古のカバーと思われる。

受取人のフィラデルフィア、Samuel Wetherillについて、HwichanSong氏よりリンク先を検索して頂けました。https://explorepahistory.com/hmarker.php?markerId=1-A-338

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。