投稿者「MasatoshiKITANO」のアーカイブ

外国切手研究会 第39回Zoom例会レポート

2021116日 2000PM – 21:30PM開催『外国切手研究会 第39Zoom例会』レポートです。参加者9人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第28回の続きで、アメリカ1870年シリーズの紹介、ピクトリアルシリーズと呼ばれる1869年シリーズは一般から不評で、郵政当局は翌年に図案を抜本的に見直して発行された、次のシリーズ迄約20年間発行された間に印刷所は2回変更されたが、原版は引継がれて使用された。

1リーフ目、フィラデルフィア・バンクノート社の不採用ダイエッセイとプレートエッセイ。

2リーフ目、フィラデルフィア・バンクノート社の ”No.14” ダイエッセイ。

3リーフ目、コンチネンタル・バンクノート社のインプリントプルーフ、カラートライアルプルーフ、アメリカン・バンクノート社のプルーフ。

3社で印刷された時期と特徴を解説、ナショナル・バンクノート社とコンチネンタル・バンクノート社は1879年アメリカン・バンクノート社に吸収合併され、コンチネンタル・バンクノート社の持っていた郵便切手の生産契約も引継がれた。

4リーフ目、1セント・フランクリンの紹介、3社の製造別に分類、シェード違いも見受けられる。

5リーフ目、2セント・ジャクソンの紹介、2社の製造別に分類、一般的にシェードが濃いのがコンチネンタル・バンクノート社製造と言われる。

6リーフ目、1セント・フランクリン1枚貼カバー、2セント・ジャクソン2枚貼カバーの紹介。

2人目)前回の続きでウルグアイ・初期切手カバーの紹介。

1リーフ目、1859626日発行100c切手、額面数字が細い物、1860PaysanduMercedes宛、国内3倍重量便カバー、貼られている切手はタイプ11、消印は局名だけで日付が無いが、資料によると1860年頃に使用された楕円形の消印が2度押された様に見える物。

2リーフ目、1859111日発行240c切手、額面数字が細い物、1864411MontevideoBuenosAyres宛、アルゼンチン宛3倍重量便カバー、この切手のカバーとしては最後期使用例。

3リーフ目、1860年発行180c切手、額面数字が太い物、1863112MontevideoBuenosAyres宛、アルゼンチン宛2倍重量便カバー 、貼られている切手はタイプ9、 鑑定書付。

質疑応答として、大きなウルグアイ初期コレクションが出品されたオークションは、2012年スピンクが最新最後との事です。

3人目)最近入手した韓国関係の絵葉書の紹介。

1通目、フランス発行、ソウル南大門を描く絵葉書でフランス国内使用、消印は不鮮明だが、1904613日パリ19区ダルマン139と読める。

2通目、朝鮮発フランス宛外信絵葉書、消印は不鮮明だが、郵便局所要覧:大正4年度より調べた所、大楡洞局と判明、年間郵便取扱数は約10万通の小さな局、近くにフランス人の金鉱会社が有った事が分かる、ウイキペディアによると大楡洞鉱山は1896年にフランス人によって採掘が始められたとの事で、当時の技師か従業員が本国に宛てた郵便物と思われる。

3通目、1904年ロシア発行のソウルシリーズNo.24の絵葉書、この絵葉書に旧韓国切手が貼られた物はeBayでも見かける。

4人目)以前から所有の郵趣品や書籍を紹介。

1通目カバー、約30年程前のBCLベリレター、紹介者本人宛だがベトナムからの物は残念ながら切手が貼られて送られて来た事は無かったとの事。

1冊目書籍、ENCICLOPEDIA DEI FRAMCOBOLLI 、切手の百科事典(全2巻)、イタリア切手の書籍で日本語訳された立派な物、残念ながら紹介者はこの年代イタリア切手を集めた事は無いとの事です。

2冊目書籍、中国地方の有名な収集家が2002年全日本切手展で金賞を受賞した時、ある理由でパーテイに呼ばれた時に入手した作品集。

3冊目書籍、日本の客船とその船内郵便、谷信勝著、メイン収集範囲に対するインカミングの勉強として購入、読みやすい内容だが資料としても押さえる所はきちんとしており、とても良い書籍との事です。

5人目)自分の所有品より、南米のツエッペリンカバーを紹介。

1通目カバー、ウルグアイ・1930521日モンテビデオ発、ドイツ・フリードリフィスハーケンのツエッペリンを運行している会社宛、裏面の着印は66日、ウルグアイはツエッペリンの寄港地が無かった為、ブラジルのリオデジャネイロに持込で飛行船に乗せられたと考えられる、菱形の航路が示された記念印からもそう思えるが、中継印等が無い為詳細は不明。

2通目カバー、パラグアイ・193545日アスンシオン発、このカバーもドイツ・フリードリフィスハーケンのツエッペリンを運行している会社宛、裏面の着印は416日、パラグアイは内陸国で、こちらも何処かの寄港国に運ばれて送られたと思われるが、中継印等の判断材料が無く詳細は不明。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第38回Zoom例会レポート・後編

202119日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第38Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)ウルグアイ・初期の資料とカバー、大型ブロックの紹介。

1931年ロンドン刊行、EMANUEL  JLEE著「THE POSTAGE STAMP of URUGUAY」について、例として1番切手60cのタイプ別特徴を独自調査による詳細が記述されており、35面シートのリトコンストラクション図版も掲載されている。

1リーフ目、1856年発行2番切手80c、2倍重量便カバー、アルゼンチン・ブエノスアイレスよりウルグアイ宛、この切手のカバーは8通知られているが、海外使用ウルグアイ宛はこのカバーを含め2通しか知られていない。

2リーフ目、1856年発行3番切手1R3倍重量便カバー、この切手のカバーは5通知られているが、紹介のカバーはその中でも最後期使用例、前回でも説明させて頂いたように初期のウルグアイ切手にペン消は存在するが基本的に消印は使われなかった為、鑑定書の無いカバーは本物として認められていない。

3リーフ目、1859年発行180c切手、ペーパーフォールドエラーを含む21枚未使用ブロック、この切手のシート構成は横12×17204面シート、ブロック位置の説明図版よりシート中のタイプ分類がよく分かる。

4人目)2021年日本国際切手展に向けて、1991年日本国際切手展での小話、30年前に紹介者はボランティアスタッフとして参加しており、JPS水原理事長サイン入書籍を入手した経緯、当時の思い出話などを紹介。

5人目)サブコレクションとして作成途中のスイス・不足料2番切手の紹介、現在国際切手展へ向けた途中作品との事で、タイトルリーフと第2リーフのみの紹介とさせて頂きます。

不足料切手という事で使用例での構成は勿論なのですが、タイトルリーフの分類でも分かる様、この2番シリーズは製造面の分類が非常に多く、ツームスタイン専門カタログによる分類に加え、オリジナルスタディによる構成途中との事です。

スイス関係に詳しい出席者によると、スイス国内切手展でも、製造面を追求した不足料2番切手の作品を見た事が無いとの事、是非とも日本人収集家による作品で、ヨーロッパの収集家を驚かして欲しいですね。

最近オークションで入手した、フランス1849年セレス1fr切手の紹介、セレスに顎髭が生えているように見えるバラェテイ、この切手の様に特徴がハッキリ分かるのは希少との事です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第38回Zoom例会レポート・前編

202119日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第38Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きで、イギリス・ジョージ6世の戦略偽装切手の全額面に存在する加刷バラェテイの紹介、当時のイギリス植民地国名と、爆弾や共産党イメージのシルエット、十字架、六芒星などが加刷されたタイプが有る。

植民地国名タイプのブロックを見ると、同一シート上に別々の国名が加刷されている事が分かる、専門カタログには全種類の加刷タイプが掲載されており、植民地国名加刷は14タイプ有る事が分かり、6額面全部に全加刷タイプが存在する。

このカタログには製造枚数も記載されている、フルシートは縦12×8×2面構成との事です。

質疑応答の中で話題に出た、JPSスタンプクラブ19799月号謀略切手特集記事、全7ページを掲載させて頂きます、40年程前の出版物で日本語で読める記事として今でも有益と思われますが、問題があれば削除させて頂きます。

2人目)前回紹介のウルグアイ・186620c数字シリーズ切手、フランス・ボルドー宛カバーについて、色々な要素を含んでいると思われ、料金を含めた紹介が欲しいとの事で、ヒントを含めたコメントを頂きました、質疑応答で分かった内容を紹介させて頂きます。

1874815日ウルグアイ・モンテビデオ発、ブラジル経由、イギリス・ロンドン経由、フランス・カレー経由、フランス・パリ経由、(鉄道郵便で輸送)フランス・ボルドー着。

20cはフランス宛2倍重量便、本来「GB/ 1F60c」の印鑑は南米・中米・アメリカから差立てられ英国郵船によって英国経由で運ばれた未納書状に押される印との事ですが、1853年イギリス・ウルグアイで英国郵便船による協定が結ばれた為?後編で解説の1931年発行の文献によるとウルグアイ・イギリス間では全納との内容になっています。

受人から徴収された24サンチーム(デシム)は、別の資料文献に掲載の同時期10c切手貼フランス宛カバーの説明によると「Manuscript exchange rate 12 cts」となっており2倍重量便カバーの為、倍額の24ctsが徴収されたと思われます。

今回の発表として、1843年発行ブラジル1番切手を紹介、イギリスに次ぐ世界2番目の切手発行国でそのデザインから「牛の目」の愛称で有名。

ペニーブラックと同じくパーキンス・ベーコン社、リオの有価証券印刷所製造、30レイスは印刷物や官報用料金、60レイスは封書用基本料金、90レイスは陸送用重量料金に相当、実用版は銅製で痛みやすかった為か多く有り、プレーテイングは可能と言われている、初期の印刷は鮮明、用紙は色や厚さでも分類可能。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第37回Zoom例会レポート・後編

202112日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第37Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

3人目)ハワイ王国、1893年発行暫定政府の赤色加刷切手の続きを紹介、前回のおさらいで、これら切手の発行枚数は公式記録では無く、収集家のバーズレイ氏が加刷を行なった印刷会社に直接尋ねて調査した数字で、4回行われた加刷枚数から廃棄された枚数を省いた参考枚数との事です。POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

スコットNo541セント・ブルー切手の紹介、前記サイトによると75,000枚の発行、台切手はアメリカン・バンクノート製造でシートの上下左右に銘版が有る、現地での応急的な加刷の為バラェテイが多い、2重印刷バラェテイは3つのカテゴリーに分類出来る、加刷の定常変種も存在、満足出来る使用済の入手は難しく、紹介の1枚貼島内間カバーも5通程度の確認。

紹介の田型ブロックはマウイ島カウイ消、2枚貼カバーは共に希少。

4人目)紹介者がオンライン会議でアバターとして使っている国連切手より、国際連合本部ビルについてプレゼンテーション形式で解説して頂けました。

国連発足当時、現在のマンハッタンに有る国際事務局ビルはまだ無く、国連総会は8cグリーンの切手に描かれているニューヨーク、フラッシング・メドウズの開催が多かった、最初にこの場所で開催されたのは第1回のセカンドパート、1946916日より1023日。

3回のセカンドパートと第4回はフラッシング・メドウズに加え、ニューヨーク、レイク・サクセスでも開催された、この場所の切手は無く絵ハガキと国連切手発行以前の消印。

現在の国連事務局ビルとフラッシング、レイク・サクセスの位置関係をGoogleMapで紹介。

国連総会最初の開催となる第1回のファーストパートは、3cブルーの切手に描かれているイギリス・ロンドンのセントラルホール、1946110日より214日。

1948年の第3回のファーストパートと1951年の第6回は、3c切手に描かれているフランス・パリのシャリオ宮殿で開催された。

18c切手の国連総会議場の有る国際事務局ビルは1952年に竣工された、国連本部がこの地に決まるまでは様々な議論が有り、国際連盟にアメリカが参加しなかった件からも、圧倒的国力を持つアメリカに本部を置くべきというコンセンサスは比較的早く得られたが、ニューヨークに決定する迄は更に様々な議論が有ったとの事でした。

5人目)第35回例会後編での続報、昭和2076日、朝鮮・京城より切手趣味社の吉田一郎に宛てられたハガキ裏面の文面、74日付けの新聞に戦時下の事情により、朝鮮独自の切手を差し当たって五銭十銭の2種類の切手を発売するとの速報を伝える内容の件。

日本語の新聞は見つけられなかったが、朝鮮語の新聞に記者と当時の逓信局長である伊藤氏との会談内容を見つけた、一部漢字でも記述されている。

紹介者に重要な部分を翻訳して頂いた所、「朝鮮内ノ通信業務ノ自給地セン体制ヲ絶タン為、先ズ葉書ト五銭十銭ノ切手ヲ京城デ印刷ヨシ、???売捌キ予定デアル・・・」との事です。

以上から、昭和2076日吉田一郎氏宛のハガキ内容が正しかった事を確証出来た、実際に切手が印刷されたのか、発行されずに破棄されたのか、あくまでも決定事項で印刷はされなかったのか、何処の印刷所が予定されていたのか等々、更なる発見を期待できる発表でした。

6人目)最近入手した、インドネシア・スカルノ大統領を描く未使用切手ロットの紹介、種類も多く調べている途中だが、額面改訂加刷や通貨単位が違う種類が有る事が分かる、これら切手の情報も募集中との事です。

前回発表のカバーについて、2件のコメントを頂きましたので紹介させて頂きます、ありがとうございました。

厳密にいえば「尋ね当たらず」ではなく「交付請求なし」です。一定期間に受け取りに来なかった場合です。局留の期間切れの場合や、書留便などで不在配達通知の期限が切れても受け取りに来なかった場合などによく使われます。「尋ね当たらず」は「inconnu」です。その他、「受取拒絶」は「refuse」、「demenage」は「転居」、「adresse insuffisante / inexistante」は「宛名不完全又は宛名に尋ね当たらず」、「refuse par la douane」は「税関による拒絶」などがあります。普通の郵便物は「表面に表示」だけですが、ハガキやカード形式の印刷物については「表面右半分に表示」とされています。これは現行UPU条約施行規則第19-14条8.1に書かれています。

GERMAN」はこの場合、「ドイツ語」。「GESCHÄFTLICH」は「商用」。使用言語と、商用の場合はその旨、書くように決められているからです。連合軍の検閲規則の英語Versionで紹介します。
Censorship Regulations for the Civilian Population of Germany under the Jurisdiction of Military Government.
10. Handwriting
All writing must be legible. The address, return address and language indication must either be typed or printed in block Roman capitals on the outer cover.
12. Language
The language of the communication must be printed or typed in English beneath the sender’s address.
13. Commercial communications
Commercial communications must show the word “commercial” (※
ドイツ語Versionではもちろん”Geschäftlich”) printed or typed beneath the language indication. …..

使用言語は英語の大文字で、差出人の住所の下に書くこと。商用の場合は「commercial(ドイツ語の場合は「Geschäftlich)と、使用言語表示の下に書くこと。このように定められているのです。差出人の住所は、普通は左上に書きますが、問題のカバーは住所を左下に書いています。そこで、「ドイツ語 /商用」の印は差出人の住所のすぐ下ではなく、封筒上部に押されています。

7人目)戦前の大阪毎日新聞より興味深い内容を抜粋紹介、昭和121110日号一面、上海事変中の日本軍優勢の記事と同時に、閣議申合せにより翌年度の年賀郵便を全廃、一般国民にも協力を求む内容、実際は昭和13年度用の年賀切手も発行されており使用されたが、翌年は年賀切手が発行されず、翌々年からは年賀特別郵便も廃止された。

左上の「太原城攻略」の写真説明に有る本社電送の記述は現在のFAXで、翌日の新聞に写真を掲載している事、顔写真が不鮮明なのは人物が特定出来ない様に加工している点など。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第37回Zoom例会レポート・前編

202112日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第37Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きで、ドイツやイギリスの戦略偽装切手を本物との比較紹介、画像データは黒色マウントに入っている方が偽装切手。

1件目、前回のドイツ・ゲルマニア切手に関してはコメントを頂き、1998年出版Wolfgang Baldus著「Schwarze Post」第1巻p.18-39 の記述を紹介して頂き再度確認すると、下部 ”DEUTSCHES REICH” の文字が偽物は太く、THIのセリフがはっきりしない、縦目打はほぼ同じだが、横目打が違う等々が分かりました。

2件目、イギリスの有名なパロディの戦略偽装切手、最初から消印は押されている。

3件目、イギリス・ジョージ6世の戦略偽装切手、偽物は4隅の花のデザインや向きが違い、頭部王冠上部がユダヤの六芒星になっている、戦略偽装切手専門カタログによると、いくつかのタイプ違いが存在するとの事です。

2人目)ウルグアイ・1番切手より19世紀の切手をいくつか紹介。

1リーフ目、特徴的デザインの1番切手は1856年発行、国名や郵便といった文字は描かれておらず、上部の ”DILIGENCIA” は乗合馬車の意味、当時は政府による郵便制度が出来ないまま民間の馬車会社を経営していたラピドという民間人を郵便管理官に任命、地元モンテビデオのメジエ社が石版印刷で製造した物、シェードバラエティや印面バラエティも多くプレーテイングが可能、マージンは非常に狭く、フルマージンの物は偽物切手作成で有名なスペラッテイの物と言われるほど。

2番切手は1858年発行、やはり国名表示は無いが首都モンテビデオと郵便物の意味 ”COREEO” が描かれた、此処迄の民間半委託業務の特徴として、ペン消しは存在するが、消印が使われなかった事、その為スコットカタログでも使用済の評価は無い。

2リーフ目、政府主導の郵便業務となり新切手が発行された、1859年発行分は額面数字文字が細く中央部分の印刷も薄い、1860年発行分は額面数字文字が太く中央部分の印刷も濃い、2通のカバーに貼られている60cはそれら別々の切手。

3リーフ目、1864年発行5c紋章切手、石版印刷でシェードバラエティが有る、12cに加刷された切手が有り、お粗末な出来の為か10日程で流通停止となった為、使用済の入手は困難。

4リーフ目、1866年発行、イギリス・マクドナルド社に発注した5c数字シリーズ切手、不採用カラーと採用カラーのマスターDieプルーフ。

5リーフ目、18661c数字シリーズ切手、額面を表す”CENTESIMO” の文字がはっきりしており、マージン幅4mmの物がTypeⅠ、文字がはっきりしていなく、マージン幅3mmの物がTypeⅡに分類される。

5リーフ目、186610c数字シリーズ切手、黒色プルーフ、シェードバラエティ、印面バラエティ、版欠点、プレーテイングを表すブロック。

6リーフ目、186610c数字シリーズ切手、バイセクト使用例カバー、アルゼンチン宛カバー。

7リーフ目、186610c数字シリーズ切手TypeⅠ50面シートのリコンストラクション前半部。

8リーフ目、186610c数字シリーズ切手TypeⅠ50面シートのリコンストラクション後半部。

9リーフ目、186615c数字シリーズ切手TypeⅠ35面シートのリコンストラクション、額面によってシート構成の違いが有る。

10リーフ目、186620c数字シリーズ切手、モンテビデオ発、イギリス経由、フランス・ボルドー宛カバー。

11リーフ目、1884年、アメリカ・バンクノート社に発注した20c切手のプレートプルーフ。

12リーフ目、1889年、イギリス・ウオーターロウ社に発注した25c切手のプレートプルーフ。

13リーフ目、1895年、イギリス・ウオーターロウ社に発注した7c切手のプレートプルーフ、実際に発行された切手とはカラー違い。

14リーフ目、1895年シリーズ5c切手、目打のバラェテイが非常に多い。

15リーフ目、1895年シリーズ1c&5c切手多数貼カバー、モンテビデオ発、イギリス経由、オランダ・アムステルダム宛。

以上、非常にバラエテイに富んだ19世紀のウルグアイですが、一部の分類に利用しているサイトを紹介して頂けました。http://www.clubfilatelicodeluruguay.com/catCiardi.html

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第36回Zoom例会レポート・後編

20201226日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第36Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)前記の話題から、自分のコレクションよりA.P.O 関係のカバーを紹介、質疑応答より差出地のA.P.O331は沖縄キャンプ・フォスターの施設が有った局で現在は嘉手納基地の場所、枝番の-3に関しては詳しく分かってないとの事です。

本年度入手した最後の書籍文献を紹介、1冊目は表紙の孫文切手目当で入手、PHILANIPPON’91でも展示されており、当時も非常に興味ある切手だったとの事。

2冊目、以前話題に出た新潮社2009年発行「満州朝鮮復刻時刻表・附台湾樺太復刻時刻表」、当時の時刻表が殆ど載っており、樺太は国鉄だけでも6路線も有った事などが分かる、鉄道だけでは無く船の航路、空の航路も網羅しておりとても良い書籍との事です。

5人目)最近入手の個人的に面白いと思えるカバーを紹介。

1通目、1961年ガーナのアメリカ宛実逓書留FDC、余り見かけない国の上、書留ラベルが裏に貼られている。

2通目、1973年西ベルリンの実逓FDC、差出人戻しになっており、尋ね当たらずを表す目打付のラベルが貼られている、このラベルのバラェテイなど有るのか興味が有る。

3通目、1961年西ドイツの実逓FDC、これも差出人戻しになっており 、裏面に押されている返送理由を表すスタンプが面白い。

4通目、1945年発行ドイツフランス占領地切手貼、実逓便で上部に押されているビジネス?の意味のハンコに興味を惹かれた、自分でも調べている所で、情報も募集中です。

5通目、1947年発行ドイツフランス占領地バーデン地区切手貼、表と裏に押されているハンコから公用便かも?と思ったが、こちらも調べている所で、情報も募集中です。

6人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から北ボルネオの部分を紹介、日本の南方占領地切手収集家や日本軍が北ボルネオ呼んでいた地域は、元の植民地の区分けでは4つの地域を統合した地域となり、イギリス保護領北ボルネオ(ノースボルネオ)、イギリス保護領ブルネイ、サラワク王国、ラブアン島の4地域、故に台切手も大きく4つの分類となり、戦前の事が分かっていないとこの辺りの事情が理解し難いと思われる。

これら4つの地域の台切手を紹介、ラブアン島に関しては英領海峡植民地・ジョージ6世シリーズを台切手として、其々のエリアで地方加刷された物が使われた。

1人目その2)前記の話題から、自分のコレクションよりA.P.O 関係のカバーを紹介、1945818日アメリカ航空切手貼、A.P.O245は篠原宏著「大日本帝国郵便始末」によると伊江島で1945612日開設、1946220日閉鎖との記載。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第36回Zoom例会レポート・前編

20201226日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第36Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)ドイツ・ゲルマニアの戦略偽装切手を紹介、謀略切手とも呼ばれる、第1次世界対戦時にイギリスが製造配布したもの。

一般的に良く知られている第2次世界大戦時に製造されたものは、パロディ的な要素が強い切手、偽物と簡単に分かる切手が多いが、ミッヘルカタログにも掲載されているこの切手は極めて精巧に出来ており、無目打の方はそのプルーフと思われる、本物とは目打が違うと言われているが、紹介者が比較しても殆ど同じとの事でした。

大戦時に空から配布されたとの事で、コンディションが悪い物も多い、本物に似せた謀略切手は経済の混乱を目的とした話があるが、紙幣硬貨とは違い、実際には敵国への技術力提示が主な目的だったと思われる。

2人目)アメリカ切手より、海外派兵のカバーをいくつか紹介。

1通目、1908年シリーズ貼1919820日、シベリア発フィラデルフィア宛、1918年から1920年迄のシベリア内戦時のアメリカ遠征軍カバー、左下に検閲印が押されている。

2通目、1908年シリーズ貼1917719日、中国上海発ニューヨーク宛、カバー左に検閲封緘。

3通目、大統領シリーズ貼19411014日、A.P.O 801(カナダ・ニューファンドランド、セントジョンズ)発バルチモア・メリーランド宛。

4通目、大統領シリーズ貼1945225日、A.P.O 70(フィリッピン・ルソン)発フェアフィールド、コネチカット宛、カバー左に検閲印と封緘、太平洋戦争時の日本軍との間でルソン島の戦いが有った時期の郵便物。

5通目、リバティーシリーズ貼195696日、イタリア海軍戦艦ジュリオ・チェザーレ、パクポーカバー、ニューヨーク宛、この戦艦をウイキペディア等で検索すると、第2次世界大戦後賠償艦としてソ連に引渡されノヴォロシークスと改名、19551029日に事故が発生し、後に解体されたと有ります、1956年時に同名艦がイタリアに有ったのでしょうか? 詳しい情報をお持ちの方が居られましたら宜しくお願いします。

6通目、リバティーシリーズ貼196373日、A.P.O 503-3(日本・関東地方)発レイクウッド・カルフォルニア宛、以前紹介の篠原宏著「大日本帝国郵便始末」によると、 A.P.O 503-1は東京との事ですが、 A.P.O 503-3に関する詳しい情報をお持ちの方が居られましたら宜しくお願いします。

3人目)ハワイ王国、1893年発行暫定政府の赤色加刷切手を紹介、それ迄に発行されていたバンクノートイッシューの切手に赤色若しくは黒色の加刷をして発行された、正刷切手発行迄の応急的な発行で、残っていた様々な台切手の額面を生かして発行された為、同一額面で台切手が複数有る。

1リーフ目、赤色加刷切手の ”SPECIMEN” を紹介、現存数も少なく希少な物。

2リーフ目、赤色加刷切手の12種類未使用、1セントは3種類有る。

3リーフ目、1セント切手・グリーンの銘版付25枚ブロック(50面シートの半分だけを展示)、加刷が上にずれたバラェテイ。

4リーフ目、1セント切手・パープルはシート左右に銘版が有り、右側はナショナルバンクノート、左側はハワイアンでハワイ語、6番切手には加刷の定常変種が有る。

5リーフ目、1セント切手・パープルの加刷バラェテイ、カバーは島内間郵便物でこの切手が使われた同様の使用例は5通のみ確認されている。

6リーフ目、1セント切手・パープル10枚ブロック+5セント切手貼、ドイツ宛書留カバー。

この暫定政府加刷切手に関して、発行枚数等についての質疑応答が有り、後日紹介者より追加情報を頂きましたので掲載させて頂きます。

Fred Gregory氏のウエブサイト「Post Office in Paradise」に下記の記載がありましたので、参加者にお伝えできれば幸いです。なお、例会でもお伝えしましたように、正式な公式記録はなく、枚数については、収集家の調査によるものであることをお伝えをしておきます。

QUANTITIES

In contrast to the fanfare surrounding the first printing, the last three printings were done and placed on sale without any official notice. Perhaps Oat had been criticized for the chaos of May 20. Nonetheless, the worldwide philatelic press was quick to report the appearance of Scott No. 63 in the second printing and various varieties peculiar to the second printing. Speculators continued to hound the Post Office well into June, searching for overprint varieties and new issues. The third and fourth printings were noticed when additional stocks of previously sold-out stamps appeared at the Post Office. By the time of the fourth printing, the frenzy of speculation had died away.

No official records were kept of the quantities overprinted in any of the printings. Late in 1896, the government gave notice that remaining stocks would be removed from sale at the Post Office on December 31 and destroyed. A minor run on these stamps took place late in December, 1896. On January 27, 1897, the government burned remainders of the overprinted stamps in the furnaces of the Hawaiian Electric Company. Most of the stocks destroyed were from the fourth printing. Thus stamps identified with the fourth printing are usually far scarcer than stamps from earlier printings.

Lack of official records of quantities overprinted notwithstanding, stamp collectors kept informed and documented numbers obtained from the printers and derived from periodic official inventory records of stamps on hand. From numerous unofficial reports, the late Wallace Beardsley created a study of approximate quantities, broken down by printing.

この内容については、4回加刷が行われております。4回目印刷については、その多くが廃棄(焼却)されていることが判ります。また、ウオレンス・バーズレイ氏による発行枚数の分析については下記にアクセスしてください。その詳細データが記載されていますので、参照いただければ幸いです。これらはあくまでも公式なものではない、バーズレイ氏が加刷した印刷業者などをあたり調査をした結果に基づくものであり、公式なものではないということでありますが、参考にあることは確かであろうと判断いたします。

POST OFFICE IN PARADISE – Provisional Government Issue: Beardsley Quantity Analysis (hawaiianstamps.com)

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第35回Zoom例会レポート・後編

20201219日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第35Zoom例会』レポート後編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

5人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から英領マラヤの部分を紹介、英国はこの地域を直轄の海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ、現オーストラリア・クリスマス島、ボルネオ島ラブアン)と、マライの首長国とに分けて植民地経営を行っていた、首長国に関してはそれぞれ独自の切手を発行しており、宗主国の王を描く必要は無かった。

海峡植民地ではジョージ6世が台切手となっており最高額面は5ドル、印紙としても使われていた、地方加刷と統一加刷が有り、大半は台切手の額面を生かしているが、一部に料金改定加刷が有る。

以下首長国別、ジョホール州、ケダー州、ケランタン州、ネグリセンビラン州(クワラルンプール)、パパン州、ペラー州、セランゴール州、セランゴール州、トレンガヌ州、マラヤ・マレー州連合、以上9の地域を紹介。

2人目)前回の続きで、ハワイ宛インカミングカバーを紹介。

1通目、189574日、アメリカ発・コロンブス博覧会5セント記念切手貼カバー、インド・カルカッタに転送されているが、受人が尋ね当たらずデッドレター、差出人戻しとなっている、裏面には多くの印が押されており情報が読み取れる。

2通目、1893812日、ニュージーランド・オークランド発カバー、ハワイには12日で到着している。

3通目、1895827日、ハイチ・ケープハイチン発カバー、ニューヨーク、サンフランシスコ経由、サンドイッチ諸島宛、ハイチ発のカバーは希少。

4通目、最近のオークションカタログより、切手付封筒にサージュ切手とセレス切手が貼られた1891年フランス発カバー、紹介者も入札されたが残念ながら落札できず。

5通目、最近のオークションカタログより、切手付封筒に6枚の切手が貼られた1894年アルゼンチン発カバー、南米発のカバーは少ない。

6通目、最近のオークションカタログより、1891年オランダ発ロンドン経由カバー。

5人目)昭和2076日、朝鮮・京城より切手趣味社の吉田一郎に宛てられた興味深いハガキを紹介、尚このマテリアルは紹介者の所有物では無い為、画像加工していますが問題が有れば削除させて頂きます。

裏面の文面より、74日付けの新聞に戦時下の事情により、朝鮮独自の切手を差し当たって五銭十銭の2種類の切手を発売するとの速報を伝える内容になっている。

この切手が台湾地方切手のような物が予定されていたのか非常に興味深い、当時の朝鮮には3社の新聞社が有ったとの事で、その辺りを調べてみるとの事でした。

おしらせ)前回紹介の、1973年日本発東ドイツ宛の不足料扱い私製ハガキの件ですが、質疑応答の解説が間違っているとの事で、とても詳しいコメントを頂いたので紹介させて頂きます、有難うございました、前回の修正とさせて頂きます。

数字はフラン・サンチームではありません。フィラテリストマガジン誌№13、p.62をご覧ください。
中ほどに一覧表がありますが、1973年は第4期(1966年1月1日〜1975年12月31日)に当たります。
この間は、差立て国の通貨で、分母は船便(平面路便)の最低書状料金額、分子は不足額の倍額、を分数形式で表示します。
配達局は自国の船便(平面路便)の最低書状料金額に分数をかけ合わせれば徴収額が算出できます。

このハガキの場合、1973年4月24日赤坂局引き受け、4月26日東京国際局中継。外国あて船便ハガキの未納便。
1971年7月1日〜1976年1月24日の日本の外国あて船便の最低書状料金は50円。
1966年7月1日〜1976年1月24日の日本の外国あて船便ハガキ料金は30円。

だから、分母に50()、分子に(30円×2)=60()、と書かれているのです。
一方、東ドイツの1971年7月1日〜1990年6月30日の船便(平面路便)の最低書状料金は35pf
そこで、35pf × 60/50=42pfが東ドイツが徴収すべき金額です(丸め方は不明ですが)
しかし、そのような数字が見られないので徴収はしていないようです。

私の推測ですが、手書きの「T」は赤坂局がとりあえず注意喚起のために書いたもの、「T60/50」は東京国際局で押した(書いた)ものと考えています。
なお、未納不足便の郵便物が何であろうと分母は船便(平面路便)の最低書状料金額、つまりこの例では「5()」というのは変わりません。だから分母の「50」は手書きではなく組み込みになっているのです。分子だけが変わるからです。ちなみにp.70に分母を間違えた例をわざと入れています。

フィラテリストマガジン誌№13のこの記事には制度変更の理由なども書きましたので、ぜひとも前後もお読みください。手前味噌ながら、この記事は大変中身が濃いと同時にいろんな要素を組み込んでいますので、日本に限らず、どのような国を集めていようときっと役に立つはずです。(ちょっと宣伝させていただきました…笑)

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第35回Zoom例会レポート・前編

20201219日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第35Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)以前の続きで、中華民国・重慶華南1版切手に関する紹介と考察、50から500,000迄の8種類、19494月発行で中華自民共和国成立の約半年前、平版印刷で製造状態も良く無い。

内陸の重慶を中心に出回ったが発行数は余り多く無かった、金通貨だがインフレが進んでおり、余り出回らなかった上に使い道の少なかった50の使用済は少ない。

上海大東5版切手と比べると、印刷状態が全体的にベタな印象、印面寸法や目打のバラェテイは確認されていない、用紙に関しては前シリーズ程では無いが薄い厚いが確認出来る物も有る。

四川省・重慶、昆明の使用例が大半で沿岸部は殆ど見かけ無い、429日には銀通貨となった為、殆どがその使用例。

194953日、ハワイ宛、5,00032枚貼計160,000カバーは銀通貨0.40に相当するが、当時の上海レートの為、重慶での料金として正しいかは不明。

1945527日、アメリカ宛、500,00020枚貼計10,000,000カバー、この時期は金の変換レートが場所と時間によって違っていた為、こちらも正確な郵便料金はよく分かっていない。

続く中華民国・重慶華南2版切手に関する紹介と考察、1分から500分迄の9種類、19496月発行で中華自民共和国成立の約4ヶ月前の発行、銀通貨だが使用期間も短かった為、高額切手のカタログ評価は高め。

印面寸法バラェテイは確認されていないが目打は2種類、用紙に関しては同じく薄い厚いが確認出来る物も有る、重慶華南12共に銘版は180番と200番の右側。

使用済は支配地域の四川省、福建省、広東省など、インフレが進んでいた為使用済はブロックが多い、新中国成立後も中国大陸では船山諸島・山西省の一部・甘粛省の一部・福建省の金門島の4カ所が当時は支配地域だった、拡大図の50分使用済は民国39年(1950年)4月、船山諸島定海の使用例で希少。

1949929日、広東発香港宛カバー、新中国成立直前で広東では銀がほぼ使えず、支払いは香港ドルの可能性が有る。

重慶地方裁判所宛カバーには、重慶華南2版切手に南川と加刷された切手の使用例を良く見かける。

2人目)蘭印切手より、興味深いカバーの紹介

1リーフ目、193669日バタビア発、ハンガリーブタペスト経由、チェコスロバキア宛、全部で20枚の切手貼、額面合計4グルデン80セント航空便大型カバー。

2リーフ目、19371126日スラバヤ発、本国アムステルダム宛、全部で24枚の切手貼、額面合計3グルデン30セント航空便大型カバー。

3リーフ目、1941829日バタビア発、アメリカ・デトロイト宛、1グルデン60セント貼書留カバー、この新女王図案の切手は1941年発行で、19423月にはこの地域に日本軍が進出した為、蘭印としての使用例は少ない。

4リーフ目、Money Order(為替送金)使用例、取扱い局チアンデルで 1942228日と34日の印、オランダの検閲印も押されている、ジャワには194231日に日本軍が進行、39日には首都バンドンを制圧、現地の郵便業務は312日より17日迄中断しており、その前後227日と319日のゴム印も押されている、切手に押されているフィールド事務所Aの印は比較的珍しいと思われる。

5リーフ目、194283日、日本軍政下の使用例、「大日本軍政府ノ印(紀元)2602年」の赤い印が押されている。

6リーフ目、日本軍政下の機械印使用例2通、共に標語印で1通目は「切手をきちんと貼りましょう」、2通目は「住所をきちんと書きましょう」と書かれているとの事です。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第34回Zoom例会レポート・後編

20201212日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第34Zoom例会』レポート後編です。参加者9人中6人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)最近入手した韓国・手押標語印の紹介と考察、官白の仁川はハングルバージョン、朝鮮総督府官報によると、大正1371日より3種類が使われ始めたと有るが実際には4種類有る。

この印は鳴美の資料に詳しく載っているが、記載が間違っており意味の通じないハングルになっている、震災ハガキのカットは元山で使われた日本語バージョン。

昭和10123日朝鮮新聞の記事によると、京城三越(現在でも新世界百貨店本店として使われている)で京城郵標クラブ主催、趣味の郵便切手博覧会が開催されており、出品目録から朝鮮総督府逓信局出品の鮮内標語入消印集が確認出来る。

翌年には第2回趣味の郵便切手博覧会が開催されており、こちらも写真より当時の雰囲気が確認できるが、いずれも作品はリーフに見える物に展示されている事は非常に興味深い。

朝鮮半島で開催された切手展は、釜山郵標クラブが開催したのが最初で、こちらの京城郵標クラブが開催したのは2回目3回目に当たるとの事。

5人目)前回の続きで、南方占領地の台切手から米自治領フィリピンの部分を紹介、かってはスペイン領だったが、1898年の米西戦争後アメリカ領となった。

南方占領地の台切手の大半は英国領で図案も似通っており、僅かにオランダ領でそれらは女王図案が多かった為、アメリカ領のフィリピンは違う雰囲気が有る。

元々の加刷切手が台切手に使われている物も多く、台切手の加刷違いに対して日本の加刷は同じで、JPSのカタログではそれらを分類していない物も有り注意が必要。

アメリカ領という事で航空切手が台切手となった物も有るが、記念切手や公用切手としての加刷使用だった。

不足料加刷切手や公用加刷切手が台切手となったのもそれぞれ1種類有る。

6人目)最近入手した古いアメリカ製図入りゼネラルアルバムの紹介、1940年頃迄の採録だが残念ながら貼られていた切手は余り多くは無かった、このアルバムの有効活用についてのアドバイスが有ればとの事。

この実物が貼られたアルバムを調べながら、自分の気に入った国を探すのに使うのが良いのではという意見が有りました。

1人目その2)1973年日本発東ドイツ宛の私製ハガキ、切手が貼られておらず不足料扱になっているが、詳細が分からないのでアドバイスが有ればとの事。

手書きのTと消印のTが押されているが、輸送途中の切手脱落では無い事を判別する為、どちらかは日本で処理された物との事、消印のT50の数字は以前紹介のUPUフランでの不足料金ではとの事です。

お知らせ)前回紹介の、ベトナム半島に存在(1888-1890年)したと言われるセダン王国が、1889年に発行した切手の件ですが、とても詳しいコメントを頂いたので紹介させて頂きます、有難うございました。

郵趣百科事典で調べてみたら2つありました。
(1) Grosses Lexikon der Philatelie, 1. Auflage (Alexander Bunderz
/ 1923年刊)
Sedang-Marken, für den Eingeborenenstaat in Hinter-Indien, wurden von dem französischen Abenteuerer David Mayrena herausgegeben, es sind Schwindelmarken. Vergleich „Die Post „ 1906, S.148.

(2) Großes Lexikon der Philatelie II (Ullrich Häger/ 1978年刊)
Sedang, der Phantasie des franz. Abenteurers und Schwindlers Louis David de Mayrena entsprungenes angebl. Königreich am Fluß Mekong in Hinterindien, zu dessen „König“ Marie I. sich Mayrena selbst erhob.

Er kam nach Paris, um sich seine Würde von eigenen Gnaden durch die damalige Schutzmacht in Hinterindien, Frankreich, bestätigen zu lassen und ließ in Paris sieben Marken mit Inschrift DEH SEDANG und Wertangaben in einer erfundenen Sprache und erfundenen Währung (von 1/2 Math bis 1/2 Dollar) drucken, die er selbst (bzw. durch seine „Minister“) in Paris und Ostende 1889/90 ungebraucht oder mit einem Stempel versehen an Sammler und Händler verkaufte und reißend loswurde, bis der Schwindel herauskam.

Nach dem Verschwinden Mayrenas hielt sich der Markendrucker mit seinen Forderungen insofern schadlos, als er die noch bei ihm lagernden Bestände (meist entwertet) verkaufte; das Interesse der Sammler an diesen Schwindelprodukten blieb noch einige Zeit erhalten. Diese Marken haben bestenfalls Kuriositätswert.

詳しい翻訳は興味のある方にお任せしますが、だいたい次のような内容です。
・フランスの冒険家で詐欺師のLouis David de Mayrenaが自分自身をMarie 1世王と名乗り、空想で作った先住民族国家のラベル。
・自分の威厳を確認してもらようと、当時そのあたりを統治していたフランスのパリにやってきた。
・自分で創造した言語と通貨による7種の切手(1/2 Math から1/2 Dollar)を印刷させた。国名表示は「DEH SEDANG」。
・これらの切手は1889年から1890年にかけて、パリとオステンデの収集家及び切手商に、その悪ふざけが露見するまで、未使用切手と使用済切手を販売した。
Louis David de Mayrenaが去ったのち、切手の印刷業者が自分の在庫(ほとんど使用済)を販売した。
・この詐欺師による作り物は、しばらくは収集家の関心を引いたが、価値はせいぜい興味本位のもの、という程度である。
以上、ご参考まで。

連絡事項)2021313()14() に開催予定されていた「スタンプショウ=ヒロシマ2021」ですが、残念がら9月開催に延期されたとの事です、宜しくお願いいたします。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。