外国切手研究会 第22回Zoom例会レポート

2020919日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第22Zoom例会』のレポートです。参加者13人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)イギリス1841年発行2ペンスブルーコレクションの紹介、1840年発行2ペンスブルーは発行枚数約640万枚で発売期間は約1年だった、違いは下部  “TWO PENCE” の額面文字の上部に白線が入った事で透かし等の変更も無し、発行枚数約1億500万枚で発売期間は約13年、3版と4版が有り発売期間が長かった割には印面バラェティも少ないが、コーナーレターの分類やそこに生じたバラェティ、消印の分類などが楽しめる。

1通目のカバーは代表的な2倍重量便だが、1840年発行2ペンスブルーが比較的残っていた為、1841年の初期使用例は入手が困難との事で貴重な1品です。

2通目のカバーは2倍重量便書留で4枚貼り、1848年迄は書留料金の納付は現金だった為、基本料金のみ切手が貼付された物が多いが、収集家としてはやはり全額切手で納付された使用例が好ましいとの事。

2人目)前回からの続きで、ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー、12セント切手カバーコレクションの紹介、12セントは島内間書状料金2セント+書留料金10セントや外国宛ハガキ料金に該当。

1通目カバー、ホノルル発、オアフ・ワイパフ宛島内間書留カバー、差出は前回紹介のカバーと同じくYOKOHAMA SPECIE BANK、ワイパフは砂糖のプランテーションがあった町で、受人は S.Kira (吉良) となっており移民系の日本人の方と思われる。

2通目、ホノルル発、サンフランシスコ経由ドイツ宛絵葉書の書留使用例、15セント分の切手が貼られており書状料金と間違えたのかもしれないが詳しくは解らない、Aloha Nui” と呼ばれる有名な絵葉書が使われている上、ハガキの書留使用例は極めて少ないとの事。

3通目4通目、共に4枚貼アメリカ経由の外国宛書留重量便、3通目はロンドン中継モンテネグロ行A.R(受け取り証明 Return Receipt)、4通目はドイツ行で同じホノルル局引受けだが、書留の赤い ”R” 印が違うバラエティ、同一切手4枚貼カバーは入手が難しい。

3人目)西サモアから日本の千葉宛書留便を紹介、フィラテリックなFDCと思われるが1939829日消印の太平洋戦争も近い時期、裏面はハワイ・ホノルルの中継印、受人と思われる到着日書き込みも有り、当時西サモアからハワイ迄は約一ヶ月、ハワイから日本迄は約半月程の日数という事が分かり興味深い。

宛先の住所は 83 Ichiba Chiba, とタイプされており、現在の千葉県千葉市中央区市場町と思われる。

4人目)アメリカ1861年シリーズの続編、このシリーズが発行された背景としては1861年に勃発した南北戦争の為で、南部のアメリカ連合に資産として残っていた膨大な前シリーズ迄の切手を無効にする為、新しいシリーズの切手を発行せざるしかなかったとの事、と話をさせて頂いたが、実際に無効とされた使用例のカバーを資料として3通紹介。

1851年シリーズの切手に対し、”OLD STAMPS NOT RECOGNIZED” の印鑑が押されて無効扱いとされている、すべてフィラデルフィア局扱いで、特に1通目は使用禁止扱いとなった初日のカバー、3通目は石川良平コレクションコレクション集より、1851年シリーズ1セント1枚と1861年シリーズ1セント2枚が貼られた国内書状基本料金のカバーで、1851年シリーズ1セントのみ無効扱いとなったカバー、1通目と2通目のオークション落札価格から考えると、この3通目のカバーの値段はとても想像出来ません。

1861年シリーズ1セント・フランクリンの紹介、印刷物やドロップレター料金に相当、実用版は5版で約14千万枚発行、青色印刷の為シェードは色々有る、1867年からグリルが施されて発行された。

2セント・ジャクソンはこのシリーズでも異色の出来で、顔が非常に大きく描かれており、黒色印刷の為 ”ブラック・ジャック” の愛称が有る、郵便料金の改定で距離制の廃止やドロップレター料金の値上の為発行された、 実用版は7版で約26千万枚発行、同じく1867年からグリルが施されて発行された。

5人目)前回フィリッピンのゲリラ切手6枚ブロック貼カバーの話が出たが、この切手を収集され昨年のJAPEXに作品を出品された方より、切手の概要と作品を解説して頂けました。

ゲリラ切手発行の目的としてはプロパガンダ的な要素が高く、太平洋戦争当時の日本軍が占領していたと言われているフィリッピンにおいて、全エリアに日本軍の勢力が及んで無かったという事実をアメリカ軍がPRする為で、切手としての効力は特に無かったと思われる、尚このような目的を持った切手は他国や他組織でも発行されている。

尚、フィラテリストマガジンJAPEX2019別冊では作品解説、フィラテリストマガジン第25号付録では作品全リーフを見る事が出来ます。

6人目)第15Zoom例会でほぼ解決した旧中国切手に押された “HMCG” 印についての補足、有る方から情報を頂き、本来 “HMCG” 印には押印規定が有りこの印は切手右上に斜めに押す事、そして切手と封筒に印が掛かる様(タイする様)に押す事という規定だが、自分のコレクションや元ネタの写真等を見ても完全にそうなっている使用例は無い、この規定は完全には運用されておらず、切手には前もって HMCG” 印が押されていたのではとの見解です、この切手は1951年頃迄使われていたらしく、新中国成立後も残っていたとは少し驚きましたとの事です。

2人目)その2、先ほど話の出たハワイ・ホノルル局、書留の赤い ”R” 印のバラエティについて、同局では3種類の印が使われている事が分かった、メイ&ハリスの分類番号が振られており、使用時期が重複している期間も有る。

追加情報)前回発表、ユーゴスラビア1932826発ツエッペリンカバーについて、ユーゴスラビアの受付郵便局は不明、三角形の航空郵便?の消印はユーゴスラビアのツエッペリンカバーによく使用されているらしいが、キリル文字も使われていて詳細は分からないとの内容でしたが、お二人の方より情報を頂きました、ありがとうございます。

「ユーゴスラビアのカバーについて、切手に押されている消印の詳細は分かりませんが、
書留ラベルにも書いてるとおり局名はゼムン(現在のベオグラードの一部)では?
お気づきの方もおられるでしょうが、一応コメントしときます。」

「図版ではよく見えませんが、3角形の印はZemun第5局の航空便用消印ではないでしょうか?
ЗЕМУН 5 / ZEMUN 5 / 日付 / Avionom – Par Avion」とでも書いてありませんか?
局名のところがザグレブ(Zagreb)のものはよく見かけるようですが、Zemunは少ないかもしれませんね。
中央に押された1932年8月28日の印は、ちょっと見では「HAMBURG」に見えます。
航空便の場合はたいてい「Berlin C2」局の中継印が多いのですが…。」

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。