2020年9月26日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第23回Zoom例会』のレポートです。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)最近入手した日本切手貼外信カバー等より、気になるマテリアルを紹介。
1通目、魚介シリーズ2枚貼フランンス宛開封書状カバー、航空便風の封筒を使っているが料金は25円の船便、出席者よりアドバイスが有り、フランスの宝石商HEXACYCLINEが当時受人の興味を引く目的で他国から本国宛に送っていた開封封筒ダイレクトメールで、この封筒には幾つかバリエーションが有るとの事。
2通目、記念特殊切手10枚貼カメルーン宛航空印刷物カバー、合計額面は50円で適正料金、珍しい宛先の上、裏面に首都YAOUNDEの着印有。
3通目、普通切手3枚貼フランス宛航空便絵葉書、1972年の札幌雪まつり時に送られた物で、SAPPORO’72冬季オリンピックの宣伝入、この当時第3地帯宛航空便ハガキは55円だが70円分の切手が貼ってあり料金の詳細は不明。
4通目、大阪万博小型シート他貼スイス宛航空便カバー、小型シートをそのまま貼ったカバーは好きなマテリアルだが、戦後すぐの物は非常に高価なのでこの辺りを無理せず集めて行きたいとの事。
5通目、国際児童年のFDC、カシェのデザインやスローガンに気になる点が有ったが、出席者のアドバイスでほぼ解決しそうです。
2人目)アメリカ1861年シリーズの続編、このシリーズは1851年シリーズに比べ製造面のバラェティが少ない為、コレクションに変化が付けにくいとの事。
5セント・ジェファーソンの紹介、版番号17の1種類だけで製造されたが、2種類の大きなシエード違いが有る、改色扱いでカタログメインナンバーでも区別されており、最初の色は約17万5千万枚、1862年改色の方は約700万枚の製造で最初の色が圧倒的に少ない。
10セント・ワシントンの紹介、TYPE1とTYPEⅡの版違いが有るがTYPEⅡの方出現は早い、TYPE1の方が少なくカタログ値もかなり違う。
12セント・ワシントン、15セント・リンカーンは共に黒色印刷、製造面変化は少ないがやはり1867年からグリルが施されて発行された。
24セント・ワシントンはふじ色で印刷の為シエードバラェティが多い、全部で5種類有るとの事ですが4種類を紹介、中でもSteelBlueと呼ばれる刷色は非常に少ない。
カバーは5セント3枚貼15セント、15セント1枚貼共にフランス宛を紹介、15セント貼カバーには ”ボストンより蒸気船GABA” の書込有り。
3人目)ルーマニア・クラッシックカバーを2通紹介、1通目は長年切手を対象としたゼネラル収集をしている中、20年程前に最初に購入したカバーで1866年切手の1通、年号不明10月9日首都ブカレスト消、宛先はJeverin?と読めるが現在の該当地が無く不明、Severinか?着印も無くこれ以上調べられず20年所有しており、ルーマニア関係に詳しい方、情報やヒントをお持ちの方がおられましたら宜しくお願いいたします。
2通目、1862年発行の2枚ペア貼カバー、年号不明4月12日クラヨバ消、宛先は?ykypeu?と読めるが最初のカバーと同じく解読推測出来ない状態で長年所有、こちらも情報やヒントをお持ちの方がおられましたら宜しくお願いいたします 。
4人目)スイスクラッシックよりジュネーブカントンについて、スイス連邦は1850年に共通切手を発行したが、ジュネーブは通貨単位がサンチームで他のラッペンを使う地域と違っていた為に独自の切手発行が続けられた。
スイス連邦は1852年1月1日に通貨統合を行う事になった為、1851年12月25日より31日にかけて一時的にラッペン通貨の切手はベルン中央郵便局に引き上げられた。
その為この期間ラッペン通貨切手の使用例は非常に少ないが、スイスの切手商で1851年12月29日使用例のカバーが鑑定書付きで販売されており、以前より探していた事と相場より安価だった為入手したが到着後その理由が分かった。
このカバーの後ろは全く別のカバーと貼り合わされており、実は説明文にもドイツ語でそれらは記載されていた、フロントカバーという事で少し残念だがそれでも貴重なカバーには変わり無く、今後も入手出来るかは分からない為、国際切手展出品マテリアルとして活用の予定。
5人目)前回からの続きで、ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー、25セント切手カバーコレクションの紹介、25セントは外国宛2倍重量便書留リターンレセプト、外国宛3倍重量便書留、外国宛5倍重量便等に相当。
1通目カバー、消印は読み難いがカウアイ島コロア局受付の最初期書留カバーで、ホノルル経由ドイツ宛2倍重量便書留リターンレセプト、又ニューヨークの書留ラベルの下に押されている赤い写字体のRegistered印だが、現存10通以下と言われている貴重な印影との事です。
2通目カバー、ホノルル受付のドイツ宛2倍重量便書留リターンレセプト、1通目とほぼ同時期でこの辺りのカバーはドイツ宛が多いとの事、ドイツ語の書留を表す赤い印鑑は1通目とは違うタイプ。
3通目カバー、合計1ドル85セント分切手貼、A4相当の大型でアメリカ・シアトル宛訴訟書類書留カバー、書留料金10セント+35倍重量便1ドル75セントで25セント最大枚数貼カバー、裏面に記載の発信人エドモンド・ピアソン・ドール(Edmund Pearson Dole)という人物は当時のハワイ法務長官代理人で、ハワイ共和国初代大統領やパイナップルやババナでお馴染みの Dole Food Company設立者も従兄弟にあたる方。
4通目カバー、 ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー全7種+1種貼カバー、キラウエア局受付ホノルル経由、オーストラリア宛重量便書留リターンレターンレセプト、合計57セント分切手貼、8倍重量便と思われるが2セント分料金超過、オーストラリア方面のカバーは少ない。
3人目その2)4人目の方の発表に応答して、自分のコレクションからスイスクラッシックカバーを紹介、1850年発行切手2枚貼バーゼル発ローザンヌ宛、美しいカバーで良い一品です。
6人目)スイス不足料切手について、先日スイスのオークションに出品されていたマテリアルで残念ながら落札出来なかった物、1924年スイス・ザンクトガレン発リヒテンシュタイン宛の絵葉書で、スイスのサードシリーズ不足料切手が貼られ、リヒテンシュタイン・エッシェンの消印が押された使用例。
1921年頃からの短い期間、リヒテンシュタインは郵便事業をスイスに委託していた時期が有り、これはその使用例、リヒテンシュタイン・エッシェンの消印もスイスタイプの物。
元々リヒテンシュタインはオーストリアに郵便事業を委託していたのだが、第一次世界大戦後スイスに委託変えしたという経緯が有る、リヒテンシュタインの不足料切手も1920年に発行されており、この辺りの関係はよく分からないとのコメントです。
今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。