2020年12月19日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第35回Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中5人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)以前の続きで、中華民国・重慶華南1版切手に関する紹介と考察、50圓から500,000圓迄の8種類、1949年4月発行で中華自民共和国成立の約半年前、平版印刷で製造状態も良く無い。
内陸の重慶を中心に出回ったが発行数は余り多く無かった、金圓通貨だがインフレが進んでおり、余り出回らなかった上に使い道の少なかった50圓の使用済は少ない。
上海大東5版切手と比べると、印刷状態が全体的にベタな印象、印面寸法や目打のバラェテイは確認されていない、用紙に関しては前シリーズ程では無いが薄い厚いが確認出来る物も有る。
四川省・重慶、昆明の使用例が大半で沿岸部は殆ど見かけ無い、4月29日には銀圓通貨となった為、殆どがその使用例。
1949年5月3日、ハワイ宛、5,000圓32枚貼計160,000圓カバーは銀圓通貨0.40圓に相当するが、当時の上海レートの為、重慶での料金として正しいかは不明。
1945年5月27日、アメリカ宛、500,000圓20枚貼計10,000,000圓カバー、この時期は金圓銀圓の変換レートが場所と時間によって違っていた為、こちらも正確な郵便料金はよく分かっていない。
続く中華民国・重慶華南2版切手に関する紹介と考察、1分から500分迄の9種類、1949年6月発行で中華自民共和国成立の約4ヶ月前の発行、銀圓通貨だが使用期間も短かった為、高額切手のカタログ評価は高め。
印面寸法バラェテイは確認されていないが目打は2種類、用紙に関しては同じく薄い厚いが確認出来る物も有る、重慶華南1版2共に銘版は180番と200番の右側。
使用済は支配地域の四川省、福建省、広東省など、インフレが進んでいた為使用済はブロックが多い、新中国成立後も中国大陸では船山諸島・山西省の一部・甘粛省の一部・福建省の金門島の4カ所が当時は支配地域だった、拡大図の50分使用済は民国39年(1950年)4月、船山諸島定海の使用例で希少。
1949年9月29日、広東発香港宛カバー、新中国成立直前で広東では銀圓がほぼ使えず、支払いは香港ドルの可能性が有る。
重慶地方裁判所宛カバーには、重慶華南2版切手に南川と加刷された切手の使用例を良く見かける。
2人目)蘭印切手より、興味深いカバーの紹介
1リーフ目、1936年6月9日バタビア発、ハンガリーブタペスト経由、チェコスロバキア宛、全部で20枚の切手貼、額面合計4グルデン80セント航空便大型カバー。
2リーフ目、1937年11月26日スラバヤ発、本国アムステルダム宛、全部で24枚の切手貼、額面合計3グルデン30セント航空便大型カバー。
3リーフ目、1941年8月29日バタビア発、アメリカ・デトロイト宛、1グルデン60セント貼書留カバー、この新女王図案の切手は1941年発行で、1942年3月にはこの地域に日本軍が進出した為、蘭印としての使用例は少ない。
4リーフ目、Money Order(為替送金)使用例、取扱い局チアンデルで 1942年2月28日と3月4日の印、オランダの検閲印も押されている、ジャワには1942年3月1日に日本軍が進行、3月9日には首都バンドンを制圧、現地の郵便業務は3月12日より17日迄中断しており、その前後2月27日と3月19日のゴム印も押されている、切手に押されているフィールド事務所Aの印は比較的珍しいと思われる。
5リーフ目、1942年8月3日、日本軍政下の使用例、「大日本軍政府ノ印(紀元)2602年」の赤い印が押されている。
6リーフ目、日本軍政下の機械印使用例2通、共に標語印で1通目は「切手をきちんと貼りましょう」、2通目は「住所をきちんと書きましょう」と書かれているとの事です。
前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。