2021年1月30日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第41回Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)第39回の続きで、アメリカ1870年シリーズ続編、改色2セント・ジャクソンの紹介、発行当初は茶色で発行されたが1875年に朱色に変更され、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社で印刷された、両社は用紙の違いで分類出来る。
改色の理由は、当初に発行された10セントとほぼ同じ色だった為に間違いやすかった事と、1875年のUPU加盟により2セントが該当額面になった為、適応料金の無くなった7セントに使われていた朱色を使う事となった、2通のカバーで見ると分かりやすい、製造面の変化は前記の用紙違い位しか無いが、使用された消印では楽しめる。
3セント・ワシントンは国内書状基本料金に相当、約60億枚が発行された、3社で印刷製造されが初期のナショナル・バンクノート製造のグリル入りは少ない、コンチネンタル・バンクノート社とアメリカン・バンクノート社製造のものはシークレット・マークが入れられた、又アメリカン・バンクノート社製造のものには再彫刻されたのも有る、カバーは2枚貼りフランス宛、1枚貼国内宛を紹介。
改色3セント・ワシントンは1887年発行、1883年に国内書状基本料金が3セントから2セントに値下げされておりその時は赤茶色の2セント・ワシントンが発行されており、この3セント切手の改色理由は詳しく分かっていない、緑色の3セント切手は約60億枚発行されたのに対し、この朱色3セント切手は約2千枚と少ない。
余談として、前記7セント料金はPrussian Closed Mailの料金と資料に記述が有り、どういう物かとの質疑応答が有りました、例会後にハワイ発の希少な使用例を紹介御提示頂きましたので紹介させて頂きます。
Prussian Closed Mail:
経路:Honolulu (October 19, 1866) to Berlin (December 18, 1866) via San Francisco (November 12,
1866) and New York (December 4, 1866)
料金関係:On this cover, Hawaiian Postage was paid with a 5c 1866 Hawaii stamp. By the time,
This letter was sent, the 2c captain fee for transit to San Francisco no longer was collected on
Through letters, as sender paid only the international rate of 28c in addition to Hawaii postage.
A United States 24c 1861 stamp partially pays the rate. A red manuscript “28” appears at the
left side of the San Francisco cds, indicating the correct amount of U.S. postage. The letter was
treated as fully paid so either stamps paying the additional 4c U.S. postage missing or the sender
paid 4c cash and amount was changed to the Honolulu post office account at San Francisco.
The letter was carried by Hawaiian bark “BERNICE” sailing Honolulu on October 19, 1866 and
Arriving at San Francisco on November 10. New York Exchange office integral “7 PAID December
4” From New York City, the closed mail bag was sent to Boston for Cunard steamship “AFRICA”
Departure for Queenstown, Ireland (5 December, 1866 departure, 15 December arrival). After usual
Transit.
Although the single United States 24c postage stamp was insufficient to pay the 28c rate to Prussia,
The letter was treated as fully paid. Any deficiency in the amount of United States postage paid with
United States postage was charged to the Honolulu post office account at San Francisco.
2人目)メイン収集のひとつ南方占領地の関係からオランダ領にも興味があり今回 ”DUTCH CARIBBEN”について、ABC諸島と呼ばれるアルバ、キュラソー、ボネールは以前オランダ領アンチルと呼ばれていた地域だが、アルバが1986年自治領として離脱、その後アンチル自体も21世紀に入り解体されそれぞれの国として切手を発行し始めた。
地理的にはカリブ海のベネズエラの上辺りで、実際の切手とカバーを紹介、オランダ国王訪問の記念切手だが、連刷図案の10面シートは縦列でそれぞれ額面が違う為、10枚共違う切手となる、又右下の耳紙には専用アプリで切手をかざすと国歌が浮かび上がるとの記述も有る。
現在ボネールは特別自治体でさらにBES諸島と呼ばれる飛び地を所有しており、それぞれ切手を発行している、余談としてその中のシント・マールテン島に有る国際空港はビーチ直ぐの上空を飛行機が離発着する空港として知られ、その空港を描いた切手も発行されている。
3人目)第37回の続きで 、ハワイ王国・1893年発行暫定政府の赤色加刷切手、スコットNo55、1セント・グリーン切手の紹介、
上記参考サイトによると762,500枚の発行、他の暫定政府加刷切手同様に満足出来る使用済の入手は難しい、台切手はアメリカン・バンクノート製造でシートの上下に銘版が有る、加刷バラェテイも多いがペアより大きなブロックは少ない。
カバーも1枚貼、ブロック貼、旧石川良平コレクションの15枚最大マルチプル貼、迫力の50枚貼カバーなどを紹介、フィラテリックと思われますがこの切手は50面シートで1シート分全貼カバーとなり、送り先のニューヨーク・ウオール街は1930年頃に切手商が多く営業していたとの事ですが、すでにこの年代にも切手商が有ったと思われます。
前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。