2021年2月27日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第45回Zoom例会』レポート前編です。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。
1人目)オランダ領東インドでは、日本の敗戦後1945年8月17日スカルノ大統領が独立を宣言したが、再植民地化を狙うオランダとの間で1949年迄インドネシア独立戦争が続き、その間2つの郵政が存在する事となった、第33回と第34回でこの時期のインドネシア共和国側の切手を発表したが、今回はオランダ側の切手を紹介。
1945年大型風景図案切手と、1945-46年ウイルへルミナ女王肖像図案切手が発行された、インドネシア共和国側とは対照的なアメリカ製凹版印刷の立派な切手。
カバーは3通、1946年9月27日オーストラリア宛、この時期には既に外国航空郵便が問題無く送られている、1947年4月2日アメリカ宛、かっての海軍担当地区からの外国航空郵便、1946年5月20日オランダ本国宛。
当時の勢力図によると、1947年7月頃は共和国側がジャワ島の大部分を抑えていた、1947年8月頃にはオランダ側が攻勢を掛けて共和国側を追い詰め、1948年1月頃にはジャワ島中部の一部を残すだけとなっていた、しかしながら国際世論がオランダ側に圧力を掛ける事になり、オランダ側も2度に渡る警察行動を起こしたが、最終的には1949年12月27日、インドネシアの主権をインドネシア連邦共和国へ譲渡した、オランダ領東インドの切手が有効だったのは同年12月31日迄だった。
1946年小型風景図案切手発行、ガッターペアは線が太いタイプと細いタイプが有る、加刷切手や版欠点など、大型オンピースは1946年12月4日アメリカ宛、カバーは1948年3月13日オランダ本国宛。
1947年、無加刷で残っていた切手に新額面や年号を加刷したウイルへルミナ女王図案切手が発行された、カバーは1948年6月9日オランダ本国宛、派手な罫線やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど。
1948年踊り子図案切手発行、1941-45年に発行されていた同図案の切手を額面や色を変更した物、版欠点やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど。
1948年ウイルへルミナ女王肖像図案切手発行、前年本国発行切手と同図案、ウイルへルミナ女王在位50周年記念切手発行、そして同女王は退位され、ジュリアナ女王即位記念切手がオランダ領東インド最後の発行となった、派手な罫線やアルファベット・数字の入ったコーナーブロックなど、カバーは1948年12月17日オランダ本国宛、アメリカ宛大型封筒を紹介。
2人目)前回の続きで中国・日本占領地域・華南の紹介、前知識として第43回でも紹介した華南の通貨は毫銀券、一時期日本の軍票を使っていた、又毫銀券より華中の儲備券に変えた後、加刷切手をやめて無加刷切手を流通させた後、軍票立で支払いをさせた、その後元に戻して儲備券に変えたという複雑な事を行っていたとの事。
1リーフ目1通目カバー、1941年5月20日、廣州市内便無加刷使用例、2通目カバー、1942年6月17日、廣州市内便「粤区特用」加刷、発行5日目使用例。
2リーフ目カバー、1944年3月1日廣州発、日本・愛知宛航空便、郵便料金の詳細はリーフに記述されているが、航空料金は日本の軍票立で支払う必要が有り、その航空切手も華中で発行されていたが1943年頃には使用をやめていた、但しその料金形態だけは残っていた為、このような複雑な計算が必要だったとの事。
前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。