2021年6月12日 20:00PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第60回Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。
4人目)以前の続きでハワイ王国1871年発行バンクノートイッシュー6セント(SC#33)のアメリカ切手とのコンビネーションカバーを紹介。
1通目、6セント切手2枚とアメリカ切手5セントと10セントが貼られた2倍重量便書留カバー、6セントは当時ハワイからアメリカ迄の料金で15セントはアメリカ国内の書留料金、赤いストレートのREGISTERED印は幾つかのタイプに分類が出来る、これは最初期の物で現在6通しか確認されていない、1872年サンフランシスコ経由ミシガン宛。
2通目、6セント切手とアメリカ切手2セントと6セントが貼られた書留カバー、アメリカ国内の書留料金は値下げされて8セント時期の使用例、1874年サンフランシスコ経由サンデイエゴ宛。
3通目、6セント切手とアメリカ切手3セント2枚が貼られたカバー、この時期アメリカよりイギリス宛は5セントに値下げされており、アメリカ切手が1セント分加貼となっている、1875年サンフランシスコ経由スコットランド宛。
4通目、6セント切手とアメリカ切手6セントが貼られたカバー、3通目と同一のコレスポンデンスだが、やはりこの時期もアメリカよりイギリス宛は5セントで、差出人は長い間気がついていないのか1セント分加貼となっている、1878年サンフランシスコ経由スコットランド宛、サンフランシスコの中継印は先のカバーとは違うタイプ。
5通目、6セント切手とアメリカ切手5セントが貼られたカバー、3通目4通目と同一のコレスポンデンス、1881年サンフランシスコ経由スコットランド宛、ホノルルの表示印は紫色。
5人目)英本国インカミングカバー、私製ハガキをいくつか紹介。
1通目、1912年朝鮮GENSAN発、日本MOJI中継、U.K London宛、ハガキの上部にvia Siberiaと記入されており、わざわざ日本を中継してヨーロッパへ送られたルートについて何か情報があればとの事、質疑応答より、当時の朝鮮半島の鉄道網は半島西部や中部と違い、元山の有る半島東部は北上しても行き止まりでシベリア方面には接続していなかった、一度南下して門司まで出れば、当時の大阪商船会社が門司大連間の定期航路を持っており、そこから南満州鉄道とシベリア鉄道を利用すればパリまで運ぶ事は可能だったようで、到着印やヨーロッパの中継印が無いので推測になりますが、調味有るマテリアルです。
2通目3通目、1通目との逆パターンでイギリスより1913年朝鮮宛、1912年日本宛のハガキですが、やはりvia Siberiaと記入されており、朝鮮京城宛の方はその中継印より半島北部から推測できるルートで運ばれたと思われるます。
4通目、1907年日本熊本発、マンチェスター宛。
5通目、1909年在外局中国・大連発、ロンドン宛、横浜経由の印が押されており、1通目のハガキから考えると大連なら南満州鉄道とシベリア鉄道を利用すればヨーロッパへ向かう事は可能だったと思える為、当時の色々なルートや事情を考えさせられるマテリアルです。
6人目)ドナウ川汽船会社の切手について紹介、以前切手展に出品した事もあるが、この民間切手は4種類でかつ、未使用の現存数が極端に少なく、リプリントも有る為か世界的にも製造面でのコレクション展開をしているコレクターは少なかった。
最近海外オークションで鑑定書を取った上、未使用の大型ブロックやエッセイと思われるマテリアルを入手、製造面の重要な情報を得る事もできた為、伝統郵趣での構成を進めたいとの事でした。
7人目)韓国在住の紹介者にeBayで落札した郵便物が到着したが、検閲のような封印が有った話、検閲だったのか、間違えて開けられたのか、損傷が発生して補修されたのかは判らないが、今回のような郵便物は初めてとの事、収集家としては(中身に問題が無い事が前提で)、このような到着には興味が有ります。
今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。