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南方占領地切手コレクターズクラブ 第5回Zoom例会レポート

2020年9月23日 9:30PM~10:40PM 開催の『南方占領地切手コレクターズクラブ』のレポートです。
諸般の事情でイレギュラーな開催時間となりました。参加者は7名でした。

以下、話題に上がったマテリアルについて順番に書き記していきます。

1) 海軍地域 ロンボック太陽加刷切手 封書使用
蘭印の数字5セント切手にロンボック太陽加刷のなされた縦ペアの封書使用です。ロンボック島のアンペナンからジャワのスラバヤ宛てであり、ただでさえ稀少な太陽加刷の封書使用という珍品です。過去の海外オークションで当該マテリアルが100万円相当で出品されたことがあります。
2) 自由インド 1R+2R プルーフ
通常、自由インド仮政府切手1R+2R切手は黒・橙・緑色で印刷されていますが、当該マテリアルは黒色部分が紫色で印刷されているものです。

今回は主に現在開催中のオークションの話題が中心となったため、話題は以上でした。

次回の開催は10月28日水曜日、21時からです。

以下は上記マテリアルの画像です。

 

外国切手研究会 第22回Zoom例会レポート

2020919日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第22Zoom例会』のレポートです。参加者13人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)イギリス1841年発行2ペンスブルーコレクションの紹介、1840年発行2ペンスブルーは発行枚数約640万枚で発売期間は約1年だった、違いは下部  “TWO PENCE” の額面文字の上部に白線が入った事で透かし等の変更も無し、発行枚数約1億500万枚で発売期間は約13年、3版と4版が有り発売期間が長かった割には印面バラェティも少ないが、コーナーレターの分類やそこに生じたバラェティ、消印の分類などが楽しめる。

1通目のカバーは代表的な2倍重量便だが、1840年発行2ペンスブルーが比較的残っていた為、1841年の初期使用例は入手が困難との事で貴重な1品です。

2通目のカバーは2倍重量便書留で4枚貼り、1848年迄は書留料金の納付は現金だった為、基本料金のみ切手が貼付された物が多いが、収集家としてはやはり全額切手で納付された使用例が好ましいとの事。

2人目)前回からの続きで、ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー、12セント切手カバーコレクションの紹介、12セントは島内間書状料金2セント+書留料金10セントや外国宛ハガキ料金に該当。

1通目カバー、ホノルル発、オアフ・ワイパフ宛島内間書留カバー、差出は前回紹介のカバーと同じくYOKOHAMA SPECIE BANK、ワイパフは砂糖のプランテーションがあった町で、受人は S.Kira (吉良) となっており移民系の日本人の方と思われる。

2通目、ホノルル発、サンフランシスコ経由ドイツ宛絵葉書の書留使用例、15セント分の切手が貼られており書状料金と間違えたのかもしれないが詳しくは解らない、Aloha Nui” と呼ばれる有名な絵葉書が使われている上、ハガキの書留使用例は極めて少ないとの事。

3通目4通目、共に4枚貼アメリカ経由の外国宛書留重量便、3通目はロンドン中継モンテネグロ行A.R(受け取り証明 Return Receipt)、4通目はドイツ行で同じホノルル局引受けだが、書留の赤い ”R” 印が違うバラエティ、同一切手4枚貼カバーは入手が難しい。

3人目)西サモアから日本の千葉宛書留便を紹介、フィラテリックなFDCと思われるが1939829日消印の太平洋戦争も近い時期、裏面はハワイ・ホノルルの中継印、受人と思われる到着日書き込みも有り、当時西サモアからハワイ迄は約一ヶ月、ハワイから日本迄は約半月程の日数という事が分かり興味深い。

宛先の住所は 83 Ichiba Chiba, とタイプされており、現在の千葉県千葉市中央区市場町と思われる。

4人目)アメリカ1861年シリーズの続編、このシリーズが発行された背景としては1861年に勃発した南北戦争の為で、南部のアメリカ連合に資産として残っていた膨大な前シリーズ迄の切手を無効にする為、新しいシリーズの切手を発行せざるしかなかったとの事、と話をさせて頂いたが、実際に無効とされた使用例のカバーを資料として3通紹介。

1851年シリーズの切手に対し、”OLD STAMPS NOT RECOGNIZED” の印鑑が押されて無効扱いとされている、すべてフィラデルフィア局扱いで、特に1通目は使用禁止扱いとなった初日のカバー、3通目は石川良平コレクションコレクション集より、1851年シリーズ1セント1枚と1861年シリーズ1セント2枚が貼られた国内書状基本料金のカバーで、1851年シリーズ1セントのみ無効扱いとなったカバー、1通目と2通目のオークション落札価格から考えると、この3通目のカバーの値段はとても想像出来ません。

1861年シリーズ1セント・フランクリンの紹介、印刷物やドロップレター料金に相当、実用版は5版で約14千万枚発行、青色印刷の為シェードは色々有る、1867年からグリルが施されて発行された。

2セント・ジャクソンはこのシリーズでも異色の出来で、顔が非常に大きく描かれており、黒色印刷の為 ”ブラック・ジャック” の愛称が有る、郵便料金の改定で距離制の廃止やドロップレター料金の値上の為発行された、 実用版は7版で約26千万枚発行、同じく1867年からグリルが施されて発行された。

5人目)前回フィリッピンのゲリラ切手6枚ブロック貼カバーの話が出たが、この切手を収集され昨年のJAPEXに作品を出品された方より、切手の概要と作品を解説して頂けました。

ゲリラ切手発行の目的としてはプロパガンダ的な要素が高く、太平洋戦争当時の日本軍が占領していたと言われているフィリッピンにおいて、全エリアに日本軍の勢力が及んで無かったという事実をアメリカ軍がPRする為で、切手としての効力は特に無かったと思われる、尚このような目的を持った切手は他国や他組織でも発行されている。

尚、フィラテリストマガジンJAPEX2019別冊では作品解説、フィラテリストマガジン第25号付録では作品全リーフを見る事が出来ます。

6人目)第15Zoom例会でほぼ解決した旧中国切手に押された “HMCG” 印についての補足、有る方から情報を頂き、本来 “HMCG” 印には押印規定が有りこの印は切手右上に斜めに押す事、そして切手と封筒に印が掛かる様(タイする様)に押す事という規定だが、自分のコレクションや元ネタの写真等を見ても完全にそうなっている使用例は無い、この規定は完全には運用されておらず、切手には前もって HMCG” 印が押されていたのではとの見解です、この切手は1951年頃迄使われていたらしく、新中国成立後も残っていたとは少し驚きましたとの事です。

2人目)その2、先ほど話の出たハワイ・ホノルル局、書留の赤い ”R” 印のバラエティについて、同局では3種類の印が使われている事が分かった、メイ&ハリスの分類番号が振られており、使用時期が重複している期間も有る。

追加情報)前回発表、ユーゴスラビア1932826発ツエッペリンカバーについて、ユーゴスラビアの受付郵便局は不明、三角形の航空郵便?の消印はユーゴスラビアのツエッペリンカバーによく使用されているらしいが、キリル文字も使われていて詳細は分からないとの内容でしたが、お二人の方より情報を頂きました、ありがとうございます。

「ユーゴスラビアのカバーについて、切手に押されている消印の詳細は分かりませんが、
書留ラベルにも書いてるとおり局名はゼムン(現在のベオグラードの一部)では?
お気づきの方もおられるでしょうが、一応コメントしときます。」

「図版ではよく見えませんが、3角形の印はZemun第5局の航空便用消印ではないでしょうか?
ЗЕМУН 5 / ZEMUN 5 / 日付 / Avionom – Par Avion」とでも書いてありませんか?
局名のところがザグレブ(Zagreb)のものはよく見かけるようですが、Zemunは少ないかもしれませんね。
中央に押された1932年8月28日の印は、ちょっと見では「HAMBURG」に見えます。
航空便の場合はたいてい「Berlin C2」局の中継印が多いのですが…。」

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第21回Zoom例会レポート

2020912日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第21Zoom例会』のレポートです。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回の続きで、ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー、10セント切手カバーコレクションの紹介、10セントは外国宛2倍重量便や書留料金に該当。

1通目カバー、ホノルル発アメリカ・オレゴン州宛カバーは受人の ”bishop” から宣教師間の物と思われる。

2通目カバー、ホノルル発、ホノウリウリ宛島内間書留カバー、書留料金10セント+島内間料金2セントで切手は次のUPU改色切手、差出はYOKOHAMA SPECIE BANK、カバー右上と左下が当時のコロナ対策でカットされている。

3通目同シリーズ4種貼、4通目10セント3枚貼は共にホノルル発アメリカ向重量便書留カバーだが、ホノルル局消印の色が違うバラィテイ、3通目のパープルの消印はかなり少ない、4通目の同一切手3枚貼カバーは入手が難しい貴重な一品。

情報として、現在アメリカのオークションに出品されている、フィリピンのゲリラ切手6枚ブロック貼カバーの話、6枚ブロック貼カバーは現存1通と言われている、逓送ルートはフィリピン1945年1月→オーストラリア→(アメリカ軍用機で運ばれ)ペンタゴン→受取人1945年4月20日。

2人目)アメリカ1861年シリーズ、このシリーズが発行された背景としては1861に勃発した南北戦争の為で、南部のアメリカ連合に資産として残っていた膨大な前シリーズ迄の切手を無効にする為、新しいシリーズの切手を発行せざるしかなかったとの事。

Toppan,Carpenter&Co. 12セント、24セント、90セントの魅力的なDie Essayを紹介。

国内書状基本料金の3セントの紹介、約178千万枚発行で実用版は24版有り、シェードの分類はピンクとローズに大きく分けられる、ピンクは初期に約10万枚のみ発行で非常に少ない、このシリーズは1867年からグリルという用紙に突起を付けて消印を取り去りにくくする加工が施されて発行された。

カバーは2通紹介、1通目は消印に年号が入っているこの当時は少ない物、2通目は戦争中だが北部から南部へ宛てられたカバーと思われる。

南部のアメリカ連合1861年発行5セントと10セントカバーの紹介、南部は工業力が乏しい為、北部のように全ての切手を凹版印刷で製造する事が出来なかった、当初は書状基本料金が500マイル以下5セント500マイル超が10セントだったが、後に全て10セントとなった。

3人目)ユーゴスラビア1932826発ツエッペリンカバーの紹介、ドイツ・フリードリヒスハーフェン1932912日中継印、ブラジル・リオデジャネイロ1932916日着。

フライト記録から運ばれた便は分かっているが、ユーゴスラビアの受付郵便局は不明、三角形の航空郵便?の消印はユーゴスラビアのツエッペリンカバーによく使用されているらしいが、キリル文字も使われていて詳細は分からない。

人気の有るドイツやアメリカ、ロシアのツエッペリンカバーに比べ情報が少ない為、裏面に貼られたラベルや人名の印鑑等不明な点も多く、言葉や住所等も現在では変わっている可能性も有りますが、何か情報をお持ちの方宜しくお願いします。

4人目)ポーランドの書留使用官製ハガキの紹介、ワルシャワ第2局引受けのクラカウ宛、現在はポーランド領だが、この当時はオーストリア領で外国宛扱いになり、その為か最初にワルシャワ第2局で貼られた国内用?書留ラベルの上から、海外用?書留ラベルが貼られた使用例。

最初に貼られた書留ラベルはキリル文字のRが使われている物、その上に貼られた書留ラベルはUPU規定のRの文字入り、”Varsovie”とはワルシャワのフランス語表記で、書留引受け番号は最初のNo36が活かされていると思われる

紫色の消印はワルシャワ出張第1局の消印で、外国便は一度此処で集められてから処理されたとの事。

1947年中華民国発行・アメリカンバンクノート社印刷の切手についての話、使用済が少ないのは当初の計画より1年以上遅れて発行され、その間にインフレが進み郵便には使用しにくくなった為、未使用もバラィティは少ない為か安価。

JPSカタログよりこの切手の印刷シート構成は300面(50面シート×6)と分かる、カラーマークを手掛かりに、手持ちの30050面シート5枚で合成した300面フルシート想像図を紹介。

5人目)スーダンの切手を真似た、CAMEL POSTというシンデレラ切手の紹介、バーレーンのラクダ図案の切手3枚、戦争税切手1枚と共に貼られたコンビネーション風カバー。

切手としての効力は無く、障害の有る子供の世話をする団体施設に送る寄付を集める目的で発行されたもの、1986年から1990年頃に同じ図案で色違いが数種類発行されているらしい。

CAMEL POSTという名前から、TINCAN MAILの様な特別な運ばれ方の郵便を想像したが、そういう物では無かったとの事。

6人目)モーリシャス初期コレクションの紹介、1847年発行 ”POST OFFICE”は余りにも有名だが、次の1848年発行 ”POST PAID” 切手と、その次の通称 ”Britania” 切手の後に石版印刷で発行されたビクトリア女王図案切手の紹介、マージンや印刷、消印の状態も良くお気に入りとの事、とても良い一品でした。

フランス50サンチーム貼1917年3月のカバーを紹介、VERTON差出の書留便、受取はBritish Expeditionary Foece, 第1次世界大戦時のイギリス海外派遣軍基地宛フランス国内便カバーで、表面と裏面の情報から色々調べている所だそうです。

7人目)6人目のモーリシャス1848年切手から、自分のコレクションとの比較で少し紹介、1ペニー3枚ストリップ貼カバーは退色の様に思えるが、もしかするとインクの酸化かもしれないとの意見、某スタンペディア機関紙にインクの酸化した切手の復元方法が記事として載ってましたが、このカバーで試すには勇気が要りますね。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

(追伸)次回例会には、占領フィリピン専門収集家(国際展出品者)の鏑木顕さんが参加し、作品を解説予定です。

外国切手研究会 第20回Zoom例会レポート

202095日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第20Zoom例会』のレポートです。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)英本国1864年発行ペニーレツド目打有コレクションを紹介、この切手の特徴として、今まで下の2角のみだったコーナーレターが上下4角に、印面に版番号が入れられるようになった事、71版から始まり225版迄有る、その中で77版は世界に数点しか存在が知られていない珍品。

使用済リーフは局名が読めるものを整理した見応えの有るコレクション、大きなブロックは本国でも人気が有り入手は中々難しい。

カバー類は日本・江戸(Yedo)宛外信使用、最終225版1枚貼適正使用、ポルトガルリスボン行外信使用、オックスフォード大学の非公認私製加刷切手(O.U.S)カバーを紹介。

2人目)1848年ジャワ・バタビア発、フランス・ボルドー行スタンプレスカバーの紹介、紅海を抜けてアレキサンドリア経由、地中海を抜けてマルセイユ経由、到着迄57日を要している、前回発表 の ”Landmail” カバーは1846年オランダ・アムステルダム発バタビア行で54日を要していた為、このカバーと同様なルートで運ばれたと思われるとの事。

航海ルートが記載された資料により、逓送ルートが分かりやすく一目瞭然でした。

3人目)ロンバルディ・ベネチアの印紙の郵便使用カバーの紹介、18566月4日ベローナ発、英国では切手と印紙が共用の時期が有り諸外国でも同様の使用例は有った、日本でも南方占領地では昭和切手が印紙として使われた事も有った。

当時オーストリア支配下にあったベネチアが印紙として発行したものだが、交付された法律の指示書が分かりにくかった為、間違って郵便使用された珍しい物。

この印紙の製造面で面白いのは、中央数字部分の印刷が凹版と凸版の物が全ての額面に存在し、これは30センテジミが凸版印刷、15センテジミが凹版印刷で両方の印刷形式が混在して郵便使用されたカバーとして唯一確認されている物。

1人目で紹介の有った英本国1864年発行ペニーレツド目打有77版の話、今までの発見件数は未使用4点使用済5点で計9点、スコットカタログでは未使用は評価無し、使用済評価約2000万円となっている、未使用の内2点は博物館に入っており、残り2点も100年以上市場に出ていない為と思われる。

使用済1点も博物館に入っており2点も同様に市場には長く出ておらず、残り2点は2012年と2016年に恐らく投資目的で購入したと思われるジャージーの会社から2019年にオファーを受けたという話でした。

この77版の切手が非常に少ない理由は、比較的多く製造されたにも関わらず、大半が目打施工や製造に問題が有り殆ど市場に出なかった為と記事に書かれていたとの事、コーナーレターが ”M I” の切手を見ると下部の目打施工が悪いのが分かります。

4人目)前回の続きで、ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー5セントコレクションの紹介、外国宛基本料金で最初のリーフはタウンキャンセルコレクション、郵便局名下部の番号は、メイ&ハリスの書籍の消印番号。

単片貼アメリカ宛カバーを2通紹介、下部のカバーは19858月1日発ニューヨーク宛だがマサセッチュー州に転送されている、受取人はドクターらしく時期と転送先から避暑地に行った受人に転送されたカバーではとコメントが有りました。

アメリカ切手とのコンビネーションカバーは2倍重量便で10セント分貼、アメリカ到着後に5セント切手が貼られスコットランド・エディンバラに転送、裏面に中継印や到着印が押されている、このシリーズのコンビネーションカバーは少なく貴重な1品。

複数貼アメリカ経由ドイツ宛カバーを2通紹介、2倍重量便と2倍重量便書留カバー、単一切手の複数枚貼カバーも入手以外とは困難。

16枚貼カバーの紹介、アメリカ経由フランス宛13倍重量便の書留カバーで計80セント分貼、裏面に中継印や到着印が押されている、現在確認されている単一切手の最大マルチプル貼カバー。

ドイツ宛カバーとフランス宛カバーは共にアメリカ・ニューヨークの書留ラベルが貼られている、ハワイでは書留番号が合わさった書留印が使われているが、これはUPUで外国宛書留郵便物は書留ラベルを貼付する規定が有った為と思われる。

5人目)昔に購入したツエッペリンカバー、詳しく覚えていないので今回調べ直した情報を紹介、左上印鑑の飛行船番号(LZ127)から多くの郵便物を運んだグラーフ・ツエッペリン号と分かる、1929年のオリエント飛行、パレスチナ・ハイファ行カバーで、この飛行船は霞ヶ浦に来た事も有り比較的日本でも知られている。

情報によると、ミッヘルのツエッペリン専門カタログによると、左下のスフィンクスとピラミッドが描かれた印鑑は、レッドパープルとブラックレッドのタイプ違いが有るそうです。

6人目)アメリカ1851年シリーズ目打有1セント ”ブルー・フランクリン” タイプ5より、目打がずれて左印面に銘版が入った切手を紹介、ずれがこれ程大きいのは珍しくまるで印面デザインのようになっているのが面白い。

アメリカ初期記念切手コレクションの紹介、1883年世界コロンブス博覧会記念は16種セット中14種が揃った物、高額の4$と5$はアメリカ記念切手の中でも最難関と知られ入手は難しい。

1898年トランス・ミシシッピ博覧会記念切手9種セット、当初2色刷の予定が南北戦争の関係でコロンブス博覧会と同じく単色刷となった、1$の牛の図案はアメリカらしいデザインで高価だが人気のある切手。

1901年パン・アメリカン博覧会記念切手6種セット、アメリカ記念切手初の2色刷でトピカル収集家からも人気が高い、1セントと2セントには中央部が逆に印刷されたエラーが有る。

1912-13年発行小包切手12種セット、トピカル収集家からも人気の有るデザインだが、同一サイズ同一刷色の切手は間際らしい、間違いやすいと現場からは大変な不評だったそうです。

7人目)前回他の方が発表されたオランダ本国、1872年5セント(SC23)キングウイレム3世のカバーの件(システムエラーで前回は画像無しでした、ありがとうございます)で少し調べさせて頂いた事を発表されました。

地図から読む逓送ルートの他、AMERICAN SOCIETY FOR NETHERLAND PHILATERYというサイトの紹介。

http://www.asnp1975.com/

このサイトのBackIssuesでは1975年から始まる過去の会報を見る事が可能で、このシリーズの詳細な記事を何点か見つける事が出来た、非常にバラィティの豊富な切手という事も分かる、英語で書かれている件も有難いと思います。

更にはIndexを見ると蘭印の記事も有るようで、今後非常に参考や勉強になるかもしれないという参加者の意見でした。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第19回Zoom例会レポート・追加分

2020829日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第19Zoom例会』の追加レポートです。4人目)の記述で一部勘違いや間違いが有ったのと、消失分の画像データも再投稿頂いたので今回と差替えて頂けると幸いです。

4人目)前回他の方から発表された、アメリカ1851年シリーズの最高額面90セントのカバーについて、使用例が10通も無いと言われていたが確認されている物は6通ではないかとの事、その中から4通を紹介して頂きました。

1通目、1861126日ニューヨーク発、スエズ経由マルセイユ行、1ドル32セント分貼。

2通目、イギリス経由喜望峰行、1ドル32セント分貼。

3通目、ニューヨーク発、イギリス経由上海行、1ドル68セント分貼。

4通目、国内使用3セント基本料金の30倍重量便で90セント1枚貼。

ホノルル発アメリカ行カバーを2通紹介、10セント1枚貼と、1セントペア貼と10セント1枚貼、ハワイ~アメリカ東海岸までの料金は17セントで17セントをハワイでは現金で支払い、到着したサンフランシスコ港で東海岸までの料金10セントとShip Feeの2セントを切手で貼付して送付したものになります。10セントの単貼はこのShip Feeを現金で支払ったケースに該当することになるわけです。

Hawaii Pictorial Issueの2セント切手単貼の外信便の使用例2通紹介、葉書はハワイ最初期の絵葉書で非常の珍重されている葉書である。Aloha Nui(アロハ・ヌイ)Postal Cardと言うもの、ホノルル以外のタウンキャンセル(Town Cancel)は非常に収集の対象になっています。

前回のタウンキャンセルという郵便局の消印収集コレクション紹介時に出た質問の答えで、当時のハワイの郵便局数105局だそうです。

ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー2セントのフルシートの紹介、50面シートでポジション48に定常変種。

ピクトリアルイッシュー発行年多数貼り書留カバーの紹介、ホノルル発ニューヨーク行。

エジプト?の官製ハガキが世界中を転送され最終的にシェラレオネに到着した使用例の紹介、蘭印、ハワイピクトリアルイッシュー、アメリカの切手が貼付されている面白いマテリアル。

以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第19回Zoom例会レポート

2020829日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第19Zoom例会』のレポートです。参加者11人中7人の発表で質疑応答が有りました。

今回お詫びですが、システムエラーの為に録画が出来ていない部分が有り、スクリーンショットが取れずに解説が不十分な所があります、御了承下さい。

1人目)エジプト初期切手のカタログコレクションを紹介、1866年に発行されたファーストシリーズはオスマン帝国の影響を受けたデザインで、アラビア文字が加刷されたように見える2色印刷、製造面のバラエティも多いがデザインは不評だったようで、翌年1867年にはスフィンクスを描いたセカンドシリーズが発行されている。

ファーストシリーズのカバー2通を紹介、いずれも1866年カイロ局消だが、”POSTE” と入っているのはイタリア語、切手発行以前のエジプトではイタリア民間会社が外国郵便の取扱を初めたが後に政府が権利を買い戻した、そういう経緯からエジプト初期の郵便はイタリアの影響が大きいそうです。

1952年エジプト革命で当時の国王ファールーク1世が国外追放となった為、肖像を抹消した加刷切手の紹介、リーフに空きがある2枚の航空切手(#C84、#C86)は現在スコットカタログでは欠番になっており、後に偽物と分かった為だそうです、因みにこのファールーク1世は切手収集家でもあり、自分の為に製造面のエラー切手を作らせていたとの事。

2人目)1845年オランダ領東インドで発行された、”Landmail” と呼ばれる世界初の不足料切手カバーの紹介、1846420日アムステルダム発(青い印)、422日マルセイユ中継印(赤い印)、シンガポール経由、バタビアでこの不足料切手が貼られ1846613日の日付と180セント相当の徴収料金を手書き、 サマラン着。

この不足料切手は初めて見たという方が多数で、逓送ルートや料金の解読で話題の1品でした。

19世紀の日本・アメリカ・ブラジル消印の相似形コレクションを紹介、アメリカ19世紀のファンシーキャンセレーションは無数のバリエーションが有るが、日本も当時アメリカのお雇い外国人の影響もあり、このような消印が使われたと言われている、ブラジルが1866年から発行した切手はアメリカンバンクノート社が製造した非常に精巧もので、消印も同様に当時のアメリカの影響を受けたと思われる。

以前取り上げた「郵趣」裏表紙は日本・アメリカ2国だが今回は3国でさらに興味深い、消印も面白いのですが実は切手自体も素晴らしいものです。

3人目)英本国ビクトリア女王時代最後の切手、1887-1890年発行の通称ジュビリーシリーズから、1890年に改色して発行された1/2ペンスと1シリングのコレクションを紹介。

/2ペンスは1ポンドとなる480面シート構成、この時代のイギリス切手の注意点として水溶性のインクが使われており、水剥がしをすると変色してしまう物が多く、特に1/2ペンスは顕著で青色の物はいわゆる傷物になるので注意、1シリングの消印コレクションはボーア戦争時の野戦局など。

カバー類は1/2ペンスを豊富に紹介、国内使用、外信使用、船内投函、博覧会場消、ボーア戦争時の国内料金適用使用例、フィラテリックな物など。

4人目)前回他の方から発表された、アメリカ1851年シリーズの最高額面の90セントのカバーについて、使用例が10通も無いと言われていたが確認されている物は6通ではないかとの事、その中から4通を紹介して頂きましたが、残念がらシステムエラーの関係で1通しか画像が有りません。

1通目、1861126日ニューヨーク発、スエズ経由マルセイユ行、1ドル32セント分貼。

2通目、イギリス経由喜望峰行、1ドル12セント分貼。

3通目、ニューヨーク発、ロンドン経由上海行、1ドル84セント分貼。

4通目、国内使用3セント基本料金の30倍重量便で90セント一枚貼。

アメリカ切手のハワイ初期使用例を発表して頂きましたが、こちらもシステムエラーの関係で残念ながら画像が有りません、簡単に紹介させて頂きます。

ホノルル発マサセッチュー行カバーを2通紹介、10セント(#35)1枚貼と、3セント(#24)と10セント(#35)2枚貼りで料金の違いは、ハワイ・アメリカ間を運ぶ船長に支払う手数料3セント分を現金で支払ったか切手を貼ったかの違いとの事です。

前回のタウンキャンセルという郵便局の消印収集コレクション紹介時に出た質問の答えで、当時のハワイの郵便局数105局だそうです。

ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー2セントのフルシートの紹介、50面シートでポジション48に定常変種、こちらも画像が無く申し訳有りません。

世界中を転送されて最終的にシェラレオネに到着した面白いハガキの発表も有りましたが、こちらも画像が無いので解説が難しく割愛させて頂きます。

5人目)オランダ本国、1872年5セント(SC23)キングウイレム3世のカバーを紹介、オランダ関係を収集している中で初めて競争展向きと思えるマテリアルを購入、ここから1歩ずつ進めて行きたいとの事で状態も良いカバーですが、こちらもシステムエラーの関係で残念ながら画像が有りません。

6人目)前回発表のスロベニア新聞切手、複雑なシート構成の違額面ブロックを資料から紹介、発行枚数は最低額面はリュブリャナ印刷分が9,777,700枚、ウイーン印刷分が2,765,000枚で合計12,535,700枚と桁違いに多く、未使用が多く残っている理由が分かります。

17回例会で発表のスロベニア・スモールチェーンブレイカーと呼ばれるシリーズのシート構成とルレットを解説、シート構成は大きく4つ、目打は2つのパターンが有る、発表者所有の5050100面シートを例に取ると、印刷面はずれていないが50面ごとにルレットを施工して上下左右に抜けていない例、印刷面がずれているので50面ごとにルレットを施工して上下左右に抜けていない例、100面そのままルレットを施工して左右だけ抜けていない例などを紹介。

7人目)ニューヨークコレクターズクラブという地元の郵趣会に所属しているが、その機関誌によると、2週間に1度講師を立て1時間程度のZoom例会を初めてから新規会員が増えているという話、地元だけでは無く、他の州や遠くは海外からの参加も有り、Zoom例会自体は会員以外でも参加出来るがそこから面白さを感じて会員になる方が増えているのではと。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

 

 

外国切手研究会 第18回Zoom例会レポート

020822日 2000PM – 22:10PM開催『外国切手研究会 第18Zoom例会』のレポートです。参加者11人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)ドイツ民間郵便会社タクシスの切手について、第16Zoom例会の続きでセカンドイッシューを紹介、おさらいとしてタクシスは広範囲な飛び飛びのエリアを受け持っており、切手発行当時北部地域はシルバークロッツエン、南部地域はクロイッツアーと通貨単位が違っており、2種類の額面で色が同じ物同士ほぼ同一貨幣価値の切手を発行、北部地域用は額面を四角、南部地域用は額面を円形で囲んだ最終シリーズ迄同様のデザイン。

1859年から発行されたセカンドイッシューの特徴は、全部ではないが白紙にカラーインクで印刷されている、ファーストイッシューは着色紙に黒インクで印刷されていた、又発行期間が短かった為マルチプルや使用例も難しい物が多いが例外として、高額切手の未使用は余り使用されずに残っている為に入手は難しく無い。

北部地域は主に工業地帯、南部地域用は主に農業地帯だった為、高額切手の使用例や外信カバーは南部地域の方が少ない、発表された全リーフを可能な限り紹介しますので参考にして下さい。

2人目)第2次世界大戦時、チェコのテレンジン収容所で発行された小包切手について、未使用、使用済、プルーフを紹介、約7万5千枚発行されたと言われ実際の郵便事業はドイツが行っていたらしい、スコットカタログは未掲載だがミッヘルカタログには掲載、色違いや二重印刷のバラェテイーも有るそうです。

この収容所には悲惨な歴史が残っているが切手のデザインからはそれを連想できず、外部の家族や知人に物資を送ることも出来るという宣伝やカモフラージュを兼ねて発行されたと思われる。

3人目)アメリカ1851年シリーズの続きで5セント以上の切手コレクションの紹介、3セント無目打の発行枚数は約3億6千万枚に対して、5セント無目打は発行期間が短かった事も有り約15万枚と少なく入手もそれなりに難しい、5セント無目打と12セント無目打はタイプ分類無し、10セント無目打は5つのタイプ分類が出来る。

1857年から発行された目打有の5セント、10セントはタイプ分類が出来る、その10セントは狭かったガッターに目打を入れる為に印面を少し削った物がタイプ4である、1860年には24セント、30セント、90セントの高額面が追加された、最高額面の90セントは使用例が10通も無いと言われており、真正の使用済も滅多に無く非常に高価。

日本では見る機会の少ない19世紀アメリカクラッシックコレクションです、こちらも可能な限り紹介しますので参考にして下さい。

4人目)ハワイ王国1894年発行ピクトリアルイッシュー6種の紹介、アメリカ併合前最後のシリーズで1899年にはUPUカラーに改色された3種も発行された、最初のリーフはプレートプルーフで幾つかは厚紙に印刷されている。

SPECIMEN” の綴りが ”SPCEIMEN” と間違えられた見本切手やガッターペア、銘版入ガッターペア、ハワイ切手最終使用日消印ブロック、ポルトガル語で印刷された見本切手の紹介。

1セント切手のタウンキャンセルという郵便局の消印収集コレクションやカバー、エラー切手やパックポー消、アメリカ切手とのコンビネーション使用例の紹介。

5人目)ベルリン救済強制切手について、カバーを収集してきて10通程になった、これらを整理するにあたってどのような方向でまとめたら良いか検討中、歴史や時代背景も勉強しながら色々考えているがアドバイスがあればお願いしたいとの事。

ベルリン封鎖は歴史上の大事件でもあり、テーマチックや郵便史共に面白い展開が出来ると思います、メジャーなテーマでも有り、諸外国の収集家が発表されている作品等をネットで探して参考にするのも良いのではというアドバイスが有りました。

6人目)前回発表のスロベニア・スモールチェーンブレイカーシリーズ、1ディナール額面の90面シートの定常変種変は2番と70番に有るが、この90面シートは100面シートから左1列の10枚を取り去った版なので100面シートの定常変種は3番と78番になる。

スロベニアの新聞切手の紹介、この切手はリュブリャナの現地印刷とウイーン印刷が有るが、リュブリャナ印刷の方は印刷が悪く天使の図案が悪魔のように見える。

この切手の製造面では印刷パターンが多数有り、切手自体は非常に安価だが市場に残っているのは殆ど単片なので、定常変種等の製造面研究は非常に困難と思われる。

生まれて初めてオークションで購入したカバーの紹介、オシフェンチム35日消、ブレスラウ行、オットーホノルンク氏の鑑定書付、今となっては詳しい覚えていないが何か分かる事や情報があれば教えて欲しい。

貼られているのはオーストリアの印紙だが、郵便使用が許可されている印紙でパーセラーカンパニーポストという、小包に手紙を入れられなかった時の同時配送サービスで使用されたのと思われるとの事、この印紙の郵便使用は貴重な物なのでオークションマテリアルになり鑑定書も付いたと考えられる。

1人目その2)ジャーマンステーツのミックスドフランキングの紹介、イリーガルと思われる物、フォアードな物、正規に認められていたフランス行カバーの紹介。

追加情報)イギリス民間業者発行ストライキ郵便切手について、お二人の方より情報を頂きました。

英国のスト郵便ですが、金井スタンプの『スタンプレーダー』の1971年の各号に同社が取り次いだ切手の販売リストや林敬氏が若干の記事を載せているので、日本語で読めるものとして参考になるかも知れません。”

英国郵政ストライキ時の『民間切手』実逓便の宛先となっているワダ・ヒロシなる人物が話題となっていることを知りました。見たことのある名前だったので手元のカバーを探したところ2件ほど見つかりましたのでスキャン画像を添付してお送りします。
アラブ土侯国の一つ、フジャイラからワダ氏に送られたものです。消印が見にくいですが両方とも1971年です。ストライキ切手のと同時期のものですね。”

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

南方占領地切手コレクターズクラブ第4回Zoom例会レポート

2020年8月26日 9:00PM~11:00PM 開催の『南方占領地切手コレクターズクラブ』のレポートです。
参加者は8名で、南方占領地域の切手や使用例の話題でにぎわいました。

以下、話題に上がったマテリアルについて順番に書き記していきます。

1)スマトラ 大日本枠無し加刷(T2)と枠付き加刷(T3)との二重加刷
踊り子7.5cにスマトラ東海岸州の加刷が2つ押されたものの発表がありました。
日専未収録であり、新発見です。

2)スマトラ バンカビリトン軍政部印加刷のロット
オランダ不足料切手にバンカビリトン島の軍政部印が紫で加刷されたロットです。
このうち、コルフ印刷局製の1c,20cは日専未収録のものです。

3)スマトラ 1次昭和切手の大正池5銭切手とマライの軍政部単枠加刷切手貼エンタイア
フロントカバーとのことですが、スマトラの東海岸州内同士の使用例であり、どちらの切手も実逓便は少ない貴重なものです。左上の紙片は許可された言語以外で封書を出してはならない、といったことを述べています。

4)スマトラ 各種切手貼のソ連参戦記念カバー
1次昭和切手の大正池5銭と法隆寺25銭、無加刷の蘭印切手が貼られたエンタイアです。左上にソ連が対日参戦を表明したことを取り上げているカバーです。

5)マライ 漢字加刷 ネグリセンビラン2c/5c切手の変種?
左の切手のcts.のピリオド部分がカンマ「,」のように見える単片です。
同様の変種を持っている参加者がいたため、ひょっとすると定常変種かもしれません。
どなたかお持ちの方はいらっしゃいませんか?

6)海軍地域 為替証書 マカッサル郵便局長印つき
為替証書の上部にマカッサル郵便局長印が赤で押印されたものについて話がありました。他に黒で押印されたものが参加者から提示されました。

7)マライ 2次昭和切手他の持ち込み使用例
マライに持ち込まれた2次昭和切手の使用例が紹介されました。八紘一宇4銭や少年兵15銭、靖国17銭、凹版灯台40銭といったものに特印が押印されたものでした。

8)ビルマ 東郷5銭切手に5c黒加刷切手のエンタイア
タウンジイ局で引き受けられた郵便物ですが、消印が怪しいということで疑問品です。しかし、裏のYAWNGONの着印は真正品では、ということで真偽不明でした。
どなたか当該の消印と同じような消印の押された単片やカバーをお持ちではないでしょうか?

9)ビルマ ミョーンミャ局の孔雀加刷切手
この加刷には孔雀の右肩に切り込みのあるものと無いものがあります。一時期は切り込みの無いものが偽物といわれていましたが、印影の特徴がほぼ一致しているため真正品ではないかとのことでした。

10)ビルマ 日本記念切手・靖国神社75周年切手のビルマ宛エンタイア
日本内地からビルマに向けて宛てられたエンタイアです。このような封書に日本の郵趣化が返信用に種々の切手を同封したことで、南方での日本記念切手などの使用例が残されたのではないかと考えられています。

11)フィリピン 1銭5厘楠公はかきに田沢5厘切手を貼ったManila局差出ハガキ
フィリピンの郵趣家から日本に宛てられたハガキです。これらのハガキ、切手はフィリピンでは販売されなかったので、持ち込み使用例です。

12)香港 切手印面塗りつぶしカバー
香港から中国に宛てられた郵便物は切手の印面を塗りつぶされました。これは日本の香港占領を認めない中国側によるものですが、料金は有効のまま送達されました。過去のスタンペディアオークションでは珍局として名高い九龍城差出の同様のカバーが出品されました。

13)フィリピン 不足料切手二重棒抹消切手
この切手は偽物が非常に多く、未使用は非常に危険です。画像のオンピースは他の切手、消印は真正のようですが、当該切手の加刷はやや疑わしいものです。

話題は主に以上でした。

今週末の金曜日(8月28日)、当例会の参加者がYouTubeで南方占領地切手の主にマライ切手について講演をするとのことです。是非とも皆様もご覧ください!!

米粒写経チャンネルで視聴できるとのことです。参考までに前々回の講演のURLです。

 

以下は上記マテリアルの画像(一部)です。

外国切手研究会 第17回Zoom例会レポート

2020815日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第17Zoom例会』のレポートです。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第15回例会で紹介のイギリス民間業者が発行したストライキ郵便切手カバーで、受取人のMr Hiroshi Wada とは、郵趣復刻版で偶然見つけた19493月号の裏表紙広告に載っている切手商ではないか?という話、ちなみに復刻版は全部で7冊出版されていて第1号に載ってます、某オークションでもよく出品されています。

2人目)ハワイ王国クラッシック数字切手の偽物の見分け方について、本物は10のタイプ分類出来るがこれに当てはまらない切手はほぼ偽物、前回紹介のスタバーグ氏の書籍でタイプやプレートの詳細な解説があるそうです、1つ目画像の4枚は参考の為に購入した偽物で本物と比べると分かりやすい。

世界的珍品として有名なハワイ王国クラッシック宣教師切手について、2セントと5セント切手のタイプ違いペアはPeter Winter氏が作った偽物で、”Grinnel Missionary” を真似て作ったものではないかと思われるが、どうもグリネルミッショナリーの切手は異なる感じがする、13セントは ”Grinnel Missionary” で昔から知られている偽物で、その名前にあるように、George H. Gronnelが作ったもの、20073月のオークションで2,900ドルでのハンマーでした、偽物は本物と見比べた場合数字の周りの模様が偽物は若干荒く見える、色が本物と違う、本物はテッシュペーパーのような非常に薄い用紙に刷られている、本物はほぼ全て鑑定書付きなど。

ポルトガルセレス切手について、1926年発行ロンドン印刷(トーマス・デ・ラ・ルー社)は24種類で入手は難しくは無い、5センタボのカバーは色々な宣伝が印刷された無封サーキュラーメール使用例で映画割引券が付いている面白い物、同時期のハガキ使用例は25センタボ分の切手が貼られており、かなり安い料金だった様。

3人目)アメリカ1851年シリーズから3セント切手コレクションの紹介、シェードと印刷版のタイプ違いが分類が出来る、無目打の発行枚数は約3億6千万枚、2つのタイプと9の実用版が使われた。

1857年発行の目打有の方は発行枚数6億枚以上、4つのタイプと27の実用版が使われた、版番号はのちに右下の耳紙に印刷される様になった、基本的にタイプと実用版の関連性は無く、版の中に色々なタイプが混ざっているのも有れば、全て同じタイプの物も有るとの事です。

4人目)第15回例会で少し話の出た、某オークションで落札したイギリス民間業者発行ストライキ郵便切手コレクションの紹介、ローランド・ヒル図案のセット、それらにアポロ14号の記念文字を加刷したもの、小包配送用だがなぜか低額面連刷のもの、フランス持込カナダ宛カバー、シンデレラ切手と呼ばれる切手に似せたラベルに加刷したもの、日本切手やベルギー切手との混貼カバー、ロンドン宛実逓FDC、フランス持込フランス国内便カバー、1971年通貨制度変更を意識したような数字図案のもの、珍しく洗礼された図案のもの、どこの業者か不明だが外国向け航空郵便料金表など面白いコレクションでした。

15回例会で発表したコクサイスタンプの郵趣広告記事から、英国郵便のストライキ期間は1971120日から37日、約200の私設局に認可が与えられた、Public Mail Serviceのように60数種のセットの切手を発行した所もあるとの事です、これらのカタログや資料、他の情報をお持ちの方がおられましたら是非紹介や投稿をお待ちしております。

5人目)第14回例会で発表した、ドイツ1920-1948年使用済み2000枚パケットの経過続報、比較的図案が統一されている為、約半分の切手をカタログ等使わず分類出来た、残り半分を分類した後の楽しみを考えている最中との事です。

6人目)イギリス・1ペニーマルレディカバーの紹介、赤いマルタ十字印の押された1840516日ハリファックス消の初期使用例、1840122日のペニーブラックカバーの方は既に黒いマルタ十字印が押されている、ロンドン辺りでは早くも8月位から黒いマルタ十字印が使われていたらしい、ペニーブラックカバーの切手左に押されてるのはロンドンで暫定使用されていた投函ポスト印で、日本なら箱場印との事です。

7人目)スロベニア・スモールチェーンブレイカーと呼ばれるシリーズの変わったシート構成の紹介、印刷版を解説している資料からこの高額面切手は、225枚の印刷シートから分割された4種類のシートが有るのが分かる、紹介者も25枚のシートは未入手との事、何故このようなシート構成になったのかは不明。

低額面切手の印刷シートも50枚が2段と3段の物が有り、中額面切手も100枚シートと90枚シートが有る、目打に見える抜けの良いルレットや抜けが悪くてルレットに見える目打等、製造面が面白いシリーズとの事、ちなみに前シリーズのチェーンブレイカーもシート構成は色々有るのだが、人気の有る分値段も高く、製造面ならこちらのシリーズがリーズナブルに楽しめるとの事です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第16回Zoom例会レポート

202088日 2000PM – 22:10PM開催『外国切手研究会 第16Zoom例会』のレポートです。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)イギリス2ペンスブルーコレクションの紹介、知名度や人気は1ペニーブラックの方が高いが、英国及びその関連地全般を収集している中でもトップクラスに好きな切手との事、ペニーブラックは12版及び修正版も有るがこちらは2版しか無く製造面のバラエティは少ない、発行枚数は約640万枚でペニーブラックが約6800万枚と約110で入手はそれなりに難しくなっている、特に未使用切手は単片でも相場は約100万円と高価、紹介の未使用ペアは約40年前にそれなりの金額を叩いて購入したもので以降は未入手。

ペンスブルーは青色の印刷が不安定だった為かシエードの分類が多く楽しめる、同時に発行されたマルレディーカバーもそうだが、初期に使用された濃い赤色のマルタ十字印使用例は少ない、ペニーブラックがレッドペニーに変わった後でもこちらは使い続けられたようで、後期使用例と言える黒色のマルタ十字印や日付入り印もよく見かけるが、個人的にペンスブルーは赤色のマルタ十字印で揃えて行きたいとの事。

本日は不参加だが、最近の例会でアメリカクラッシックを発表されている方のコレクションをJAPEX切手展で拝見して刺激を受け、自分のコレクションを3年程掛けて再整理し、昨年のアルプスヨーロッパ切手展にビクトリア女王時代の切手として出品した中のワンリーフとの事です。

消印に関する質問その1)赤と黒以外の抹消印が使われた使用例が有るがその辺はどうか(色々な報告は有るが当時は抹消印と日付印の色が違っており、黒の代わりに青のインクを使っている局も有った、それらの朱肉を間違えたり混ざったりして使った為に発生した可能性も高く余りそこは追求していない)、その2)マルタ十字印は全て手彫りとの事だがその印影から使用局は分かるのか(全て判別可能で専門カタログに記載が有る)、その3)なぜ抹消印としてマルタ十字印が選ばれたのか、少し前に話の有ったマルタ騎士団と何か関係が有るのか(有り色々な諸説が有るが、本国でも結論は出ていない)。

2人目)自分のコレクションから朝鮮関係のカバーで詳細が分からず例会でヒントが欲しくて紹介、1通目は1905年ドイツ発ロンドン経由朝鮮ソウル行ゲルマニア切手貼カバー、T文字の不足料印が押されている、韓国京城印が押された長崎廻しの付箋が貼られている、訪ね当たらずの意味が日本語とフランス語で表された朱印が押されている、ドイツ語のZURÜCK(バック)印が押されている、長崎でDUEの文字が入った朱印が押されている、SEOULI.J.P.O欧文印が押されいる、など情報は非常に豊富。

参加者の意見を整理すると、ドイツはUPU187571日当初から参加しており、1905年当時の外信船便基本料金は20ペニヒなので10ペニヒ不足、ドイツでTの不足印が押され、以前紹介の仮想通貨UPUフランに換算された不足金額がUPUルールの青色文字で書き込まれれる、付箋の下には恐らく不足料金に対し、当時の規則である不足金額の2倍の徴収料金20の数字が青文字で書き込まれており、今回はUPUフランとペニヒ通貨と銭通貨が偶々同じ比率だった様、これらUPUルールの運用はフィラテリストマガジン13号で山本勉氏が詳しく解説されておられるので是非参考にして下さい。

ちなみにこれら多くの国際郵便料金を詳しく解説した書籍として、MICHEL Internationales Taschenbuch der Postgebuhrenというカタログがミッヘルより安価で販売されていますとの事、下記にリンクを貼っておきます。

https://www.briefmarken.de/michelshop/de/buecher/sonderangebote/internationales-taschenbuch-postgebuehren

2通目は1901年発菊ハガキに菊切手を加貼した朝鮮NINSEN(仁川)発ドイツベルリン行ハガキ、左下に押されているドイツで押された印鑑が詳しく分からない、どうも地名や局名ではなく郵便局番号が押された印鑑らしと迄は判ったがそれ以上は詳しく分からない。

今回の2通は昨年のJAPEXに朝鮮の消印という作品を出品したが、アメリカで今年817日から22日に完全にバーチャルな切手展スタンプショウが開催されるので、朝鮮の欧文印ワンフレーム作品を出品しようと整理していた所、ドイツ関係で詳しく分からないマテリアルが出てきたので発表させて頂きましたとの事、またこのバーチャル切手展は登録無料でネット上で色々な会合や公演も開かれるそうなので紹介させて頂きますとの事です。

3人目)チャイナクリッパー最新号より、中国発行COVID19切手の紹介記事について、色々と話題の多かった切手だが細かく説明されている事も有り、カタログにも掲載されるだろうとの事。

中国北京発スイスチューリッヒ行カバーについて、1946年5月は中国の郵便史的には非常に面白い時期で、5月1日より海外宛の通常封書料金が30円から190円に値上げされたが航空料金は50円のままで、通常封書料金より航空料金の方が安い期間が5月1日より520日迄の19日間程存在した、520日からは航空料金も300円となった。

この時期のカバーの存在は決して少なくはないが190円という中途半端な料金のせいか過貼されているものが多く、約半分はそのような使用例でその内又半分は切手が裏面貼り、料金が正しく貼られて表に切手が貼られていて満足出来るるカバーは少なくてこれもその様な物、しかしながらこのカバーのポイントは表面で、以前他の方が発表したカバーと同様、スイスに到着後特別に早く配達する為の手続きがなされその料金を不足料切手で徴収されたカバーと思われる。

ただ今回紹介のカバーは1946年だが45サンチーム、以前紹介された方のカバーは1952年だが25サンチームの不足料切手で徴収されており、その違いは詳しく分からないとの事。

4人目)ドイツ民間郵便会社タクシスの切手について、今回は1852年から1858年発行の1番シリーズを紹介、このタクシスは広範囲な飛び飛びのエリアを受け持っていたが切手発行当時、北部と南部では通貨単位が違っており、2種類の額面で色が同じ物同士ほぼ同一貨幣価値の切手が発行されている、北部用は額面を四角、南部用は額面を円形で囲んだデザイン、4種類の額面で切手が発行されたが他のジャーマンスティツもほぼ同様で3種類か4種類、ローカルレター、第1地帯、第2地帯、第3地帯の額面となっているそうです、1853年に第1地帯用の青色が濃すぎて額面や消印が判りにくいという理由から明るい青色に変更されて発行、1854年に北部ローカルレター用新額面、1857年に北部印刷物用新額面が発行されて計12種類。

全体的に未使用は難しくペアやブロックはかなり難しい切手が有る、製造期間の短い第1地帯用初期の濃い青色の切手は特に難しい、最後に発行された北部印刷物用切手も同様で難しい、使用済やカバーは未使用に比べると入手しやすいが大きなブロックやマルチプルは比較的難しい、南部用切手に比べると北部用切手の方が入手は若干難しいそうです、発表された全リーフを可能な限り紹介しますので参考にして下さい。

5人目)最近例会で話題になっているヘリゴランドが気になり、西ドイツ1972年観光シリーズヘリゴランドのFDCを入手したが、そのカシエが1940年発行ヘリゴランド帰属50周年の図案と同じ事に気が付いた、この切手が以前購入したドイツ2000枚パケットに入ってないか期待、最後はヘリゴランドリプリント切手を入手して大名刺のワンリーフを作れないか検討中との事。

最近購入したアジアとアフリカ諸国のロットについてアドバイスが欲しい、分類整理の途中だが比較的色々な国と年代の切手が入っており、アジア植民地等詳しくない地域も多い、これから発展させて行けそうな物が入っているか、有る程度整理して終わってしまいそうな物か分からない。

アドバイスその1)先ずは国単位で整理して足りない所や欠けている部分を調べてみる、そこの穴埋めやバラェティを入手整理して行けば素晴らしいカタログコレクションにはなると思いますとの事。

アドバイスその2)ゼネラルコレクションと専門コレクション両方をやっている上でのアドバイスとして、1840年から2005年迄で世界の切手発行枚数は約50万種類、ゼネラルの基本的な考えは1種類でも多く集めるのが目的で深い分類や発展等を目標にするのでは無いと思います、専門コレクションの考え方を個人的意見で述べると、1980年位迄の切手なら国際展レベルの作品作りは可能と思いますし、50万種の中から自分が気になったり気に入ったシリーズを選び深く追求するのが専門コレクションで、今回購入されたロットの中にそういった切手やシリーズがあれば、それがどんな国でも何らかのアドバイスが出来ると思いますとの事。

6人目)最近eBayで出品されていた偽物について、現在中国とロシア関係を収集しているが、内蒙古・張家口(カルガン)発の私製ハガキを見つけた、ロシア局の中でも非常に難しい物で兎に角入札をしたが締切直前によくカバーを見ていると2つ押されている中国の消印が上海59日、騰越5月16日と有りえない日数関係に気が付いた、騰越はビルマ国境近くの町で当時の国内逓送だと2ヶ月近く掛かり、海外逓送路を使うしかないルートで、上海 → 香港 → シンガポール → ラングーン → バーモ → 騰越と一週間では不可能、更に詳しく調べた所全く同じ日付の物が英国の有名コレクターが発表した論文の中に有り、見比べて見ると所々おかしな点に気が付き入札を取消して安心していた所、以前この出品者から2点落札していた事に気が付いた。

中国・雲南奥地からビルマルートのフランス行私製ハガキだが、同様のカバーは所有しているのでハガキ使用例も欲しいと思い入札するも落札出来なかったが、出品者から同じ日付のハガキ使用例が有るので購入しないか?というセカンドオファーを受けた、自分は2番手では無いと思ったが、比較的値段も安く思えたので購入したが、先の出品者と気が付いたのでよく調べてみると、こちらも全く同じ日付の本物カバーを見つけた、中国局の消印だけ調べたがやはり所々おかしな点が有り偽物を購入してしまったと確定した、eBay90日で記録が消されるが、PayPal180日間記録が残るのでそこから調べてクレームを強く入れると返金された、もう一点は90日以内だったのでeBay自体のクレーム対応から申し出ると此方も暫くして返金された。

注意点として本物の当時のハガキに本物の切手を貼り、著名なコレクションやオークション出品物を参考にした偽物の消印が押されている事で、その日付は本物と同一年月日である事が多い、欧米人ではなくアジア系の人が書いたと思われる上書きも特徴である、最近の複製技術の向上も有りこういったカバーやハガキが多数出品されていると思われるので注意して下さいとの事です。

7人目)前回発表のハワイ王国クラッシック数字切手のブロック(シート)の解説の補足、前回発表後も引き続き色々調べた所、幾つか有る数字切手の著書からウエスタバーグ氏の解説で、当時の印刷機の画像や(スコットNo.225セント切手の50枚シートの画像があり、この切手は30枚と20枚の印刷組合せだった可能性があるとの事、10枚単位のポジションが判別しており通常なら偶数パターンのテートベッシュが出来るが、印刷版の組合せによっては奇数パターンのテートベッシュも有り得るらしいが、5セントに関しては前回紹介の物が現存1点の為未確認である、又同著書で(スコットNo.23)1セントの説明文で印刷シート構成は40枚又は50枚と記されており、かってホノルルアドバイザーコレクションが所有していたテートベッシュも40枚シートとして説明されている、実際の印刷シートがどちらだったかは50枚シートの形では現存していない為不明。

同じく同書から(スコットNo.132セントの図版で、これもホノルルアドバイザーコレクションがかって所有していた物、左右で明らかな位置ずれと印刷色の違いが有り、同一シート中に別々のプレートが混在しているハイブリット版ではないかとの疑問点が有り研究余地はまだ有るが、これほど印刷位置ずれが有るものは他には無い、(スコットNo.15)1セントにもプレートが混在しているものが一点のみ確認されているがこれほど印刷位置がずれている訳では無い。

ハワイ数字切手でテートベッシュが存在するのは5点で其の内4点を所有しており紹介、(スコットNo.15)1セントで旧石川良平コレクション、(スコットNo.225セント、(スコットNo.23)1セント、(スコットNo.242セント、所有していないのは(スコットNo.215セントだが非常に数が少なく入手は難しいとの事です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問等有る方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。