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外国切手研究会 第63回Zoom例会レポート・後編

202173日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第63Zoom例会』レポート後編です。参加者13人中10人の発表で質疑応答が有りました。

5人目)香港の加刷切手の紹介、S.O.S.D.と加刷された3枚、10年程前はスコットカタログでも未掲載だった、記述によるとS.O.StampOfficeS.D.は印紙との事で1891年より93年に郵便に使用されたとあるが詳細は不明、又偽物も多いとの事で信用できる切手商より購入。

質疑応答より、当時の香港の印紙にはSTAMP DUTYと入った印が使われており、S.D.加刷をして印紙として発行された物が、何かの理由で一時期郵便切手として使用されたと思われる。

6人目)アラブ土侯国・アジュマンのスタンプレスカバーの紹介、1966723日、航空書留便で差出人はAJMAN POSTMASTER、受取人のBELMONT FARIES氏はAmerican Philatelic Societyの重鎮で雑誌の編集にも携わっており、土侯国が切手の団体や雑誌編集者に新切手案内などの郵便を出していたのではないかと推測できる。

アジュマンは196675日マナマに最初の郵便局を開設、1964年に最初の切手を発行したが、以前からロイヤルメールが郵便を管轄していた事もあり、そのまま2年間は継続していたと思われる。

7人目)最近某オークションで落札した、シエラレオネとトンガの変形シール切手を紹介、以前この例会でもトンガの実逓便が紹介された事もあり興味を持ったとの事、日本宛の実逓便も1通含まれており興味深い、世界的にも現在このジャンルは人気がありとても良いロットと思います。

8人目)自分のフランス初期作品より、冒頭のスタンプレス・カバーの部分を簡単に紹介、フランスで郵便制度が始まるのが1477年、ルイXI世が民間で行われていたのを接収したと言われる。

1627年は郵便料金という物が出来た最初の年、1725年から1730年に使われた郵便料金前納の最初の印、1762年にはGenova宛外信便も有った事が分かる、16日間しか使われなかった印、フランス革命時代のカバー、受取人払いの市内便、ナポレオン時代の軍事郵便カバー、第2帝政時代の植民地からのカバー、18481231日の郵便切手発行前日のカバーなど。

9人目)戦前の朝鮮半島発の絵葉書便を紹介、1通目、大道門を描く物、切手は裏面貼りで消印は不鮮明だが、表の不足料印より現在の北朝鮮・兼二浦と読める、1918(大正13)年1224日フランス宛、表にフランス語で印刷物と記入されているが局員の判断か認識出来なかった為、ハガキ料金8銭に対して4銭の不足料扱いとなっている。

2通目、関東大震災を描く物、朝鮮・金泉発ポルトガル宛、1通目と同じく差出人のR.E.C.D.が気になり調べてみると、海外オークションサイトdelcampeのニュースレターに記述が有り、当時の絵葉書と切手の交換会の頭文字で、フランスで191311日に設立されたという事も分かった。

10人目)最近入手の香港の官製ハガキと英国カバーをの紹介、実はこのFIELD POST OFFICE -1-の印は使用期間が僅か二日間しかなく、水原明窓の書籍にも紹介された事もある貴重な物。

スタンプレス・カバーを1通紹介、LONDONよりHONGKONGCanton宛、1848年の使用例だが、Cantonの郵便局は1860年代の開設の為、何らかの手段で逓送されたと思われる。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第63回Zoom例会レポート・前編

2021626日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第63Zoom例会』レポート前編です。参加者13人中10人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回紹介のラトビア・初期の合間に1種類だけ発行された10Kap.を紹介、1919.7.3発行そのデザインからライジング・サンと呼ばれるが、基本額面では無かった為か使用例は少ない、未使用は比較的残っており比較的安価。

用紙も1種類で無目打と目打11 1/2が有り、ガッターテートベッシュも存在するが、この切手の面白い所は定常変種の宝庫、少し大きなブロックなら、何某の分かりやすい変種が存在するのでお勧めとの事、ラトビア関連の資料としては、ドイツ語だがHOFFMAN Harry V.氏の書籍が非常に詳しく図版も豊富で分かりやすいそうです。

2人目)第61回の続きで、ハワイ王国1865年数字切手とアメリカ切手とのコンビネーションカバーで、世界的に有名なコレクションから紹介、ハワイよりアメリカ宛基本料金は当時5セントで、前回ペア貼りは3通確認されていると発表したが、その後の調査で4通の存在が確認されたとの事です。

1通目、5セント(SC#21)とアメリカ切手10セント3枚とのコンビネーションカバー、数字切手とのコンビネーションカバーでは唯一のプロシアン・クローズド・メール使用例、詳細は第53回後編や、The Philatelist Magazine4号の27ページより謎解郵趣で御本人が詳しく解説されており、一部紹介させて頂きます。

ここで、このプロシアン・クローズド・メールについて、説明をしておきましょう。 当時プロシアはドイツ・オーストリア郵便連合(German Austria Postal Union)に加盟をしており、そのメンバーはプロシア以外にも、オーストリア、ババリア、サクソニー、ウイルテンベ ルグ(Wurttemberg)、メクレンブルグシュベリン(Mecklenburg-Schwerin)、メクレンブ ルグスレリッツ(Mecklenburg-Strelitz)、オルデンブルグ、ブレーメン、ルクセンブルグ、ブラン ズウィッグ、リューベックおよびハンブルグがあった。 これらの宛先に手紙を送付する場合、ハワイはアメリカ本国を通じて手紙を送付するしかない のであるが、アメリカ本国とこのドイツ・オーストリア郵便連合加盟国との間で郵便を送付する 手続きとして交換局のニューヨーク局を介して郵便物の送付が1861年から行なわれたが、その郵便料金は前払いで28セント、後払いで30セント(collect paid)であった。 」

2通目、5セント(SC#21)横ペア2枚と1枚、アメリカ切手3セントと5セントとのコンビネーションカバー、このカバーは3倍重量便として15セント分の切手が貼られていると思われるが、アメリカ切手は8セント分の為2倍重量便扱いで詳細は不明。

3通目、5セント(SC#22)横ペア2枚とアメリカ切手5セントとのコンビネーションカバー、この5セント切手のコンビネーションカバーは現在12通が確認されており、(SC#21)に比べ圧倒的に少なくペア貼りとしては現存唯一の物、第61回でも同様のカバーを紹介したが、このカバーは2倍重量便として10セント分の切手が貼られているのでは無く、地方局発信でホノルルと違いアメリカ切手を購入出来ない為、その分を含めてハワイ切手で支払った使用例、ハワイ切手の上からアメリカ切手が貼られているのはその為。

4通目、1セントとアメリカン・バンクノート切手2セント2枚とアメリカ切手5セントとのコンビネーションカバー、5セント切手以外がコンビネーションカバーとして使用された現存唯一の物、この1セントは使用済自体が少なく、非常に希少なカバー。

3人目)以前から紹介している、アメリカ・ミステックスタンプ社で購入したアメリカ切手図入アルバムのカタログコレクションについての続報。https://www.mysticstamp.com/Products/Supplies/M8104/USA

切手パケットはAPSAmerican Philatelic Society)の有料セミナーに申し込んだ時に頂いたプレゼントで、貼り込み途中だが1番古い切手は1887年シリーズの普通切手、戦後の1954年シリーズ辺りはかなり揃っている、記念切手は1960年代頃から揃い始める、この頃から発行された連刷切手では、図案が独立している場合は別枠、連続している場合は同枠となっており、使用済を整理するのに適したレイアウト、又切手に対するの枠線が大きめの為、耳紙が付いていても切り離なくて良い、1978年のページは、郵便料金値上の可能性で額面が未定だった為、暫定的に”A”額面の切手や、コスト削減の為に実験的に1/3小さいサイズで発行された13セントなどが有り、見開きにその解説が有り便利。

日本ではJPSマーキュリーアルバムに相当すると思われますが、こちらはボストークサイズで値段もかなり安価、使用済み切手の回収率が高いアメリカでは入門にも復活組にも最適な選択のひとつと思われます。

4人目)最近例会でも盛り上りを見せているスタンプレス・カバーより、1851年チリの1品、同国のファーストイッシュー切手は1853年。

首都サンティエゴよりフランス・マルセイユ宛、消印などの情報より、パナマやイングランド経由と思われ、右下の手書き数字はフランスでの徴収料金42デシムと思われる、右上の手書き数字は1260だが詳細は不明、逓送ルートなどを質疑応答で解読。

尚、スタンプレスカバーは手書き数字の解読が必修だが、信用できるオークション誌などより、参考として幾つかの数字例を提示頂けました。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第62回Zoom例会レポート・後編

2021626日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第62Zoom例会』レポート後編です。参加者13人中9人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)以前より収集しているベルリン救済強制切手Notopfer Berlinについて、使用済約200枚を入手、目視でも文字の細い太いが分かる切手が確認出来き、これから分類調査していく予定。

この切手に詳しい参加者より情報を提供して頂けました、米英占領地で1948−56年迄発行されたNotopfer Berlinはデザインで4分類、透かしが7種類、目打は無目打〜プライベート目打迄膨大に有り、それらの組合せやポジション研究を記したドイツ語専門カタログが有るとの事で、Peter Harlos著「Die Notopfer- und Wohnungsbaumarken 1948–1956」です。

ミッヘル専門カタログでも詳しく分類されているとの事、また仏占領地区でも米英占領地区への加刷や黄色の別デザインのNotopfer Berlinも発行されています、Webではこのサイトが概要を知るのに良いかと思われます。http://online.fliphtml5.com/immj/qvuq/#p=1

以上ありがとうございました。

5人目)ソビエト連邦・1965年発行のアルミ箔切手の紹介、当時のソ連の印刷技術では綺麗な物は余り無いとの事、このマテリアルは比較的良いコンデイション。

2種類で共に12面シート、当時のソ連の切手シートはもう少し多面刷りだった為、恐らく技術的な理由で小さめのシートになったと思われる、単片に切り離された切手はその材質からコンデイションが悪くなりがちで、状態が良い物が少ない。

6人目)前回紹介のPHILANIPPON 2021に出品予定の作品より、ドイツ・プロイセンのコレクション解説で、製造面のマテリアルを強化の為、150面フルシートからブロックを抽出予定だったが、コレクションの中に同等のブロックを所有している事を思い出したとの事、又この切手購入時に付いていたオリジナルとリプリントとの区別が記入されたメモも紹介、出席者より勿体無いとの声が上がっていた為、ほっとした方がおられました、PHILANIPPON 2021での全容紹介を楽しみにしています。

以前紹介の英領ギアナの1セントに続き、先日オークションで出品されて落札されたモーリシャスのPOST OFFICE 1ペニー切手カバーについて、詳細はスタンペデイアHPに掲載されていますが、やはりそのスタート値と落札金額には驚きでした。

http://stampedia.blog.fc2.com/

7人目)自由都市フューメのカバーを紹介、消印は19211016日、ローマ宛書留便、貼られているのはフューメ司令官ダンヌンツィオを描く切手だが、そのダンヌンツィオが失脚後に暫定政府の加刷がされた物、この加刷切手の実逓便使用は比較的少なく状態の良い一品です。

8人目)オーストリアを中心に収集している紹介者より、スタンプレス時代のカバーを紹介、1840年頃の使用例、スイス国境近くの地方都市ホーエネムス発、南フランス・アビニョン宛、美しいカバーだが比較的リーズナブルに入手出来たとの事、カバーに押されている印や記入されている文字から情報や逓送ルート、料金関係などを勉強しながら収集しているとの事、特に国境便は複雑で大変そうだが、それらを読み解くのも面白そうです。

他の方も各自スタンプレス関連の未発表情報を質疑応答で紹介、ドイツやポーランド、香港などのカバーを紹介して頂きました、今後も順次発表と勉強をしていけると思います。

9人目)アメリカ郵政のプレリリースより、第2次世界大戦時の日系人部隊の切手を紹介、真珠湾攻撃以降、差別されていた日系アメリカ人が国への忠誠心を誓う為、志願して勇敢に戦った第422連隊戦闘団を讃える切手、印面に描かれているGO FOR BROKEとはこの日系人部隊の合言葉で、全力で戦えとの意味になるそうです、日本でもっと紹介されて良いと思います。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第62回Zoom例会レポート・前編

2021626日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第62Zoom例会』レポート前編です。参加者13人中9人の発表で質疑応答が有りました。

今回は全日本切手展2021開催日との事で、冒頭に参加された方のお話が有り、会場の様子やリアルで見た作品の感想、ブース関連の話題などを聞く事が出来ました。

1人目)前回で反響の大きかった、アメリカのコイル切手について、1908年シリーズを例にした、プレゼンテンション形式で非常に分かりやすい解説をして頂けました、詳細は画像データを見て頂ければと思います。

製造面のポイントとして、1914年迄は平面印刷機だった為、一方向のみ目打を施した400面印刷シート(20×20400)を手作業で繋ぎ合わせてコイル切手を作成していた為にその貼り合せ跡が出現する、目打もシート切手と同じく12だった。

当時の需要に対して手作業では効率が悪い為に新型の機械が開発された、半分に切った200面印刷シートを繋ぎ合わせ、これをこの機械に入れると自動的に10本のコイル切手が出てくる物、ただし目打12では細かすぎて機械の中でちぎれる事がよく有った為、1910年から1914年迄は主に8 1/2という荒い目打が使われた。

但し余りにも荒すぎて切手をちぎりにくいという苦情が使用者から起こった為、1914年からは目打10に変更され、以降アメリカのコイル切手は全て目打10となりました。

コイル切手をさらに効率よく製造する為に輪転印刷機が開発され、1914年頃から使われ始めました、特徴として、実用版の継ぎ目にジョイントラインが切手と切手の間に現れ、横型コイルでは17枚目ごと、縦型コイルでは15枚目ごとに現れる、但し平面印刷機のコイルでも切手と切手の間にガイドラインが現れるものもあり、一見よく似ているので注意が必要です。

2人目)ラトビア・初期の切手を紹介、1918年発行の1番切手は、第一次世界大戦後にドイツ軍が残した軍用地図の裏に印刷されている事で有名、216面シートという中途半端な構成だが、素版の構成は5×525面、無目打と目打11 1/2が有り、1版と2版が有る。

1919年発行の2番切手も無目打と目打11 1/2が有る、これは100面シートだが、裏面は青いノート状の罫線が有り、シート上部は線無し、他は1本から3本の線が入っている、無目打×9 3/4の切手も存在するが、無目打シートの5段目と6段目だけ目打9 3/4が入れられており、エラーでは無いとの事。

1919年発行の3番切手の無目打は紙が少し薄いのが特徴、額面種類は増えたが実逓の使用済は少なく、使用できる期間や範囲が限定的だった為と思われる。

1919年発行の3番切手の目打11 1/2も紙が少し薄い、マージンが一部広い切手は5段目と6段目の間の特徴でエラーでは無い。

1919年発行の4番切手は無目打すかし有り、紙は厚くなる、このデザインの切手として最後にルーブル単位の高額切手が発行された。

尚、5Kap.には100面シートと110面シートが存在しており、第58回で紹介した新中国・文革切手のパターンと同じく、広く空いていた左側マージンの一列に10面を追加して再構成した物。

3人目)英本国や英領を中心に長年収集している紹介者が、ゼネラル用として数十年前にスコット図入アルバムの全英領を購入し今でも進行形との事。

その中のインド・エドワード7世の普通切手のページでは最高額面の25ルピーだけ未入手だった、インドでは非常に多くの公用切手が発行されており、その公用切手25ルピーは入手済、最近某国内オークションで状態の良い切手が出品されており是非入手したいとの事、ゼネラル収集の醍醐味、最後の1枚の入手する楽しさやワクワク感を紹介して頂けました。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第61回Zoom例会レポート

2021619日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第61Zoom例会』レポートです。参加者9人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)第57回で紹介したカバーと同時に購入した物、当初郵便料金が分からなかったが、右下に書留ラベルが剥がれた後が有り、書留速達で差し出されたと思われ料金内訳が判明した、1942126日広州発、滋賀県宛。

ところが先日、ある関西の収集家もこれとほぼ同じカバーを所有されている事が分かり、切手の貼られ方が僅かに違うだけで、切手や受け人、日付や時間、ラベルが剥がれた跡も同一、おそらくラベルは剥がれたのでは無く、当初は書留速達で差し出そうとしたが、何らかの理由で書留扱いが出来ずにラベルは剥がされたが、切手はそのままで取り扱われたと思われる、同一郵便物が2通存在しているのは、法人間で何か重要な書類等が送られ、保険の為ではないかと考えられる。

2人目)ハワイ王国1865年数字切手とアメリカ切手とのコンビネーションカバーを紹介、ハワイよりアメリカ宛基本料金は当時5セントで、1セントと他の額面を貼り合わせたカバーが1通のみ存在する。

1通目、5セント(SC#21)とアメリカ切手5セントとのコンビネーションカバー、1865年インディアナ州リッチモンド宛、この5セント切手のコンビネーションカバーは現在43通が確認されているが、内4通はアメリカ切手が脱落しており、別の3通はアメリカ切手がオリジナルでは無い、ペア貼りは3通、単片2枚貼りは2通、 単片3枚貼りは2通となっているとの事。

2通目、5セント(SC#21)縦ペア2枚とアメリカ切手3セントと2セントとのコンビネーションカバー、1866年ニューヨーク州シャーマン宛、3通が確認されているペア貼りの内1通、このカバーは2倍重量便として10セント分の切手が貼られているのでは無く、発信地のハワイ島ヒロではホノルルと違いアメリカ切手を購入出来ない為、その分を含めてハワイ切手で支払った使用例、ハワイ切手の上からアメリカ切手が貼られているのはその為。

3通目、5セント(SC#22)とアメリカ切手5セントとのコンビネーションカバー、1866年ニューヨーク州コロンビアスプリング宛、この5セント切手のコンビネーションカバーは現在12通が確認されており、(SC#21)に比べ圧倒的に少ない。

3人目)第42回で話題の有った、スコットカタログではMESOPOTAMIAとして掲載されている地域のコレクションを紹介、同じ文章になりますが、歴史的には第1次世界大戦でトルコからイギリスが占領、国際連盟下で委任統治領となりイラク王国として独立国家となる、オスマントルコが残した切手にイギリスが暫定加刷した切手を発行、これらはバクダット加刷と呼ばれ、発行枚数も少なくわずかに10数日しか使われなかった為カタログ評価は比較的高価、余談として当時の国王ジョージ5世は切手収集家で、現地で切手を発行するのならコーナー田型を残しておく様にとのイギリス王室の親書が紹介されている。

次に発行された切手が、この台切手の印刷元で原版を所有しているイギリスのウイルキンソン社に無断で発注、そこに新たな加刷をしたもの、これらはイラク加刷と呼ばれ、継続的に使用された為カタログ評価は比較的安価。

今回紹介の切手はSC#42以降の物、オンピース使用済もイギリス占領軍が記念に作ったものと思われる、実逓便カバー2通はバグダット消、イギリス宛、カバーの大半が同様の発着か第二の都市モスル発。

少し変わった消印として、191998日、F.P.ONs102と入ったカバーも紹介、野戦局や軍事消ではないかとの事です、最後に紹介のカバーは前記カバーの3倍料金の切手を裏面貼、ドイツ宛航空便でこの時代の航空料金は比較高価だったと思われる。

4人目)アメリカ・1908年シリーズより3セントワシントンを紹介、このシリーズの特徴としてワシントンとフランクリン図案のみで主に刷色で分類、凹版と平版印刷、平面と転輪印刷、目打の分類と無目打、コイル切手、透かしの分類、印面のタイプなど、非常にバラエテイに富んでいるが、スコット専門カタログとJPSアメリカ切手図鑑を併用すれば理解しやすいと思います。

平面印刷と転輪印刷で分類、この3セントは2セントに比べるとタイプ分類も比較的少ないが、それでもこれだけの分類となる、非常に分かりやすく整理された物。

この1908年シリーズの私製目打コレクションを紹介、民間会社が自動販売機や自動貼付器用に無目打で販売されたシートに特殊目打を施した物、幾つかの会社とタイプに分けられる、古い雑誌よりコイル製造工程とイギリスでのコイル切手の製造工程の写真も紹介。

この1908年シリーズのプリキャンセルを紹介、地方型(現地加刷・加捺)に加え試行局型(印刷局製造時加刷)もこのシリーズでは一部使われた、プリキャンセルのカバーでは差出人住所の印刷が重要。

5人目)PHILANIPPON 2021に出品予定の作品より、ドイツ・プロイセンのコレクションを解説、その為制作途中のタイトルリーフと2リーフ目の一部のみ紹介、ドイツといえばバイエルンの一番切手が有名で、二番切手はザクセン、プロイセンは三番目だが、バイエルンやザクセンが凸版印刷だったのに対し、プロイセンはドイツ最初の凹版切手として発行された。

以前からのコレクションに対し、製造面のマテリアルを強化して再構成しているとの事でPHILANIPPON 2021での発表が楽しみです。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

南方占領地切手コレクターズクラブ 第13回ZOOM例会レポート

南方占領地切手コレクターズクラブ 第13回ZOOM例会レポート
2021年6月23日 8:00PM~10:00PM 開催の『南方占領地切手コレクターズクラブ』のレポートです。
参加者は8名でした。
以下、話題に上がったマテリアルについて順番に記していきます。
1)フィリピン 占領前差出カバー
本カバーは1941年12月19日、すなわち真珠湾攻撃後に差し出されたものの、開戦のゴタゴタで送達できずマニラ郵便局に留め置かれたもののようです。日本占領後に日本軍の検閲
をパスして、宛先人に3回配達が試みられたものの、宛先人が見当たらず差出人戻しになっています。
同時にこの色の大日本憲兵隊検閲印は非常に珍しいものです。

2)マライ セランゴール農業博切手
この切手はよく見ると非常に面白い切手です。活字の組み方が位置により異なり、字の欠けや瘦せ細りなどがあります。画像のものは左切手のSELANGOR位置に段差ができているものです。

3)海軍地域 電信為替加刷
加刷字のバラエティの発表はされていませんが、今回変種の発表がありました。額面加刷のピリオドがコンマ状になっています。偶発の可能性もありますが、類似品の発表が待たれます。

4)ジャワ 無加刷使用
ジャワでは旧蘭印切手の多くが無加刷のまま使われました。本切手は使用例の少ない慈善切手のシートの使用例です。

5)海軍地域 バンジェルマシン暫定切手使用例
バンジェルマシン暫定切手の使用例は非常に少ないです。本品はKloeで差し出され、バンジェルマシンで検閲されています。しかし受取人不明でKloeに差し戻しになっています。

6)海軍地域 無加刷使用
海軍地域でも蘭印切手の無加刷使用例があるものの、錨加刷が発売される前に限られます。本品は新女王切手の小包証書(為替使用ではない)のオンピースであり、日付も読めるものです。
7)海軍地域 バンジェルマシン加刷 一部二重
加刷切手全般に言えることですが、手押し加刷のものは二重加刷の可能性があります。本品はバンジェルマシン加刷切手の二重加刷であり、大日本の字がブレています。

8)海軍地域 フィッシュフックに日の丸
海軍地域のフィッシュフック加刷は数が少なく、人気です。しかしごく少数フィッシュフックの上から日の丸加刷のなされたものがあります。

9)スマトラ 東海岸大日本枠付き切手 二重加刷
スマトラの東海岸州では大日本枠付き加刷がされましたが、しばしば二重加刷が見られます。本品は農耕2c切手になされています。

10)スマトラ 東海岸異形枠紫 切手
スマトラの東海岸州では異形枠と呼ばれる外枠が歪んだ加刷が見られます。しかしこの加刷は大部分が黒加刷で、他の色は非常に少なくなります。本品は一見すると普通の枠付き加刷ですが、下辺にゆがみの見られるものです。

11)海軍地域 小スンダ加刷
本切手は小スンダ諸島でなされた錨加刷が旧女王50c切手になされています。この加刷に限らず、旧女王切手の高額図案は大型図案であるため、人気が高いです。

12)スマトラ Membangmoeda使用
スマトラには変わった消印が多くありますが、東海岸のMembangMoedaでは日付の両脇が真っ黒に塗りつぶされた消印が使用されています。

13)スマトラ パカンバル?使用
スマトラの西海岸・リオ州の両州では女王図案の切手にバッテンの加刷を施して切手を使用しました。そのうちの一部の局では消印の地名を筆記具で抹消し、別の地名を書き込んでいるものが見られます。本切手はパシルペンガラヤンのもののようです。

話題は主に以上でした。
次回は7月28日午後8時からです。

 

外国切手研究会 第60回Zoom例会レポート・後編

2021612日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第60Zoom例会』レポート後編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

4人目)以前の続きでハワイ王国1871年発行バンクノートイッシュー6セント(SC#33)のアメリカ切手とのコンビネーションカバーを紹介。

1通目、6セント切手2枚とアメリカ切手5セントと10セントが貼られた2倍重量便書留カバー、6セントは当時ハワイからアメリカ迄の料金で15セントはアメリカ国内の書留料金、赤いストレートのREGISTERED印は幾つかのタイプに分類が出来る、これは最初期の物で現在6通しか確認されていない、1872年サンフランシスコ経由ミシガン宛。

2通目、6セント切手とアメリカ切手2セントと6セントが貼られた書留カバー、アメリカ国内の書留料金は値下げされて8セント時期の使用例、1874年サンフランシスコ経由サンデイエゴ宛。

3通目、6セント切手とアメリカ切手3セント2枚が貼られたカバー、この時期アメリカよりイギリス宛は5セントに値下げされており、アメリカ切手が1セント分加貼となっている、1875年サンフランシスコ経由スコットランド宛。

4通目、6セント切手とアメリカ切手6セントが貼られたカバー、3通目と同一のコレスポンデンスだが、やはりこの時期もアメリカよりイギリス宛は5セントで、差出人は長い間気がついていないのか1セント分加貼となっている、1878年サンフランシスコ経由スコットランド宛、サンフランシスコの中継印は先のカバーとは違うタイプ。

5通目、6セント切手とアメリカ切手5セントが貼られたカバー、3通目4通目と同一のコレスポンデンス、1881年サンフランシスコ経由スコットランド宛、ホノルルの表示印は紫色。

5人目)英本国インカミングカバー、私製ハガキをいくつか紹介。

1通目、1912年朝鮮GENSAN発、日本MOJI中継、U.K London宛、ハガキの上部にvia Siberiaと記入されており、わざわざ日本を中継してヨーロッパへ送られたルートについて何か情報があればとの事、質疑応答より、当時の朝鮮半島の鉄道網は半島西部や中部と違い、元山の有る半島東部は北上しても行き止まりでシベリア方面には接続していなかった、一度南下して門司まで出れば、当時の大阪商船会社が門司大連間の定期航路を持っており、そこから南満州鉄道とシベリア鉄道を利用すればパリまで運ぶ事は可能だったようで、到着印やヨーロッパの中継印が無いので推測になりますが、調味有るマテリアルです。

2通目3通目、1通目との逆パターンでイギリスより1913年朝鮮宛、1912年日本宛のハガキですが、やはりvia Siberiaと記入されており、朝鮮京城宛の方はその中継印より半島北部から推測できるルートで運ばれたと思われるます。

4通目、1907年日本熊本発、マンチェスター宛。

5通目、1909年在外局中国・大連発、ロンドン宛、横浜経由の印が押されており、1通目のハガキから考えると大連なら南満州鉄道とシベリア鉄道を利用すればヨーロッパへ向かう事は可能だったと思える為、当時の色々なルートや事情を考えさせられるマテリアルです。

6人目)ドナウ川汽船会社の切手について紹介、以前切手展に出品した事もあるが、この民間切手は4種類でかつ、未使用の現存数が極端に少なく、リプリントも有る為か世界的にも製造面でのコレクション展開をしているコレクターは少なかった。

最近海外オークションで鑑定書を取った上、未使用の大型ブロックやエッセイと思われるマテリアルを入手、製造面の重要な情報を得る事もできた為、伝統郵趣での構成を進めたいとの事でした。

7人目)韓国在住の紹介者にeBayで落札した郵便物が到着したが、検閲のような封印が有った話、検閲だったのか、間違えて開けられたのか、損傷が発生して補修されたのかは判らないが、今回のような郵便物は初めてとの事、収集家としては(中身に問題が無い事が前提で)、このような到着には興味が有ります。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第60回Zoom例会レポート・前編

2021612日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第60Zoom例会』レポート前編です。参加者12人中7人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)アメリカ・1908年シリーズより1954年リバティーシリーズ迄、エラー切手コレクションをいくつか紹介。

2重印刷、インクの付き過ぎ、インクの不具合、インクむら、大幅な印刷ずれ、ペーパーホールド、目打ズレ、目打不良、紙折れ印刷、ダブルトランスファー、リタッチなど。

1922年シリーズ・2セントでは、”Long Ear”のあだ名が付いている変種、1938年大統領シリーズ・1ドルでは透かし入り収入印紙用紙を間違って使った物など。

日本とは考え方の違いか、これらエラー切手が郵便局から販売されて市場に出回るものは比較的多いとの事ですが、やはり収集家としてはどれも欲しくなるマテリアルです。

2人目)前回、前々回紹介の、アメリカ・ミステックスタンプ社アメリカ切手図入アルバムの実際のリーフと見開き部分の切手の解説についての紹介。

https://www.mysticstamp.com/Products/Supplies/M8104/USA

切手貼付部分は名称と枠線だけだが、見開き部分の前ページに切手の解説が付いており、日本には無いスタイルです、アメリカ切手は日本でもブームだった時期が有り、かって収集されていた方も多いかと思います、このアルバムとパケットを購入して、カタログコレクションを再開するのも楽しそうです。

紹介者のメイン収集範囲、戦前の朝鮮半島の消印について、国際切手展出品を前提の作品に対する記述や構成等について質疑応答が有りました、以前も紹介させて頂きましたが、例会では国際切手展審査員資格所有者、国際切手展上位入賞経験者も参加されており、個人的なコメントや感想では無い審査としてのアドバイスも適切に受ける事が出来ると思います。

3人目)海外オークション利用に関する話について紹介、その中で台湾PAN-LUNGのオークションについて、中国・台湾関連のマテリアルがを中心ですが、日本でもおなじみの方のコレクションが現在出品されているとの事でした。

https://panlung.com.tw/

最新のフィラテリストマガジン31号・75ページに掲載されている戦後日本のカバーで、「AV2」が判らないという記事がありましたが、紹介者も戦前旧中国のカバーで「A.V.2」 の印が押されているのを所有しており、何かUPU等の規定で使われた物ではないかという話が有りました、これに関しては情報を募集中です。

前編は以上で後編に続きます。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第59回Zoom例会レポート

202165日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第59Zoom例会』レポートです。参加者9人中6人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)アフリカ・ブルンジの1982年動物シリーズ13種にWWF(世界自然基金)のパンダマークが加刷されて発行された、1983年のセットについて紹介。

53回でも紹介の有ったこのシリーズは人気が有り、特にWWF加刷の未使用セットはかなり高額で入手も困難、最近運良く入手出来たと思ったが残念ながら11種で完セットでは無かった、その後1枚は入手して最後の65F切手を探していると状態の良いカバーを見つけ入手、なぜか隣国のザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の封筒、当時首都が有ったブジュンブラ国際空港消印、ニジェール宛の航空便、フィラテリックな物かもしれませんが、アフリカ紛争関係と何か関連の有るカバーなのでしょうか?

2人目)前回紹介のガボン発行金箔切手の裏面を紹介、左側1965年シュバイツアー博士と右側1968年ムバ大統領は共に裏糊は有るが、その性質は違う感じがするとの事、同じく前回紹介したアジマン発行金箔切手もムバ大統領切手と同じ様な白い裏糊で、シール形式の裏糊では無く湿らせて貼るタイプとの事、エンボスの具合も良く分かり貴重な情報です。

このシュバイツアー博士は当時新聞等にも取り上げられ、非常に話題で入手も困難だったとの事、同時期のブルンジ1965年発行コイン型切手も紹介、これらの変わり種切手は地元の郵便局などで開催されていた切手展などで、物珍しさや面白さからもてはやされた思い出が有るとの事でした。

1967年ルワンダ共和国発行、カナダ・モントリオール万博の小型シートも、当時京都のフジスタンプから購入、1970年には大阪万博の切手が世界中から発行されたが、フランス系諸国のサンピエール、セネガル、チャド、ニジェール発行のプルーフを紹介、初めてそれらの存在を知り、当時は学生だったがその珍しさから無理をして購入したとの事です。

5657回で非常に好評だった、アメリカ・1908年シリーズ「赤の5セント」の有名なエラー切手を含む9枚ブロックがeBayで出品されている情報の紹介、ポジション的にも魅力的なマテリアルです。

3人目)第34回で1946年より発行されたインドネシア独立戦争時期の正刷切手、牛を描く独立1周年記念切手の中から3Senを紹介した続編、全13種類で目打11と無目打が有る、80senの無目打は少ない、当時の郵便料金表も紹介。

5senはトライアルカラープルーフ3種、用紙バラエテイ、2重印刷エラー、検閲印の押されたハガキ使用例、10sen15senは同じ図案、30senも切手サイズは同じだが、窓口シート構成は異なり、10sen5×1050面、15sen5×420面、30sen5×1050面となっている、15Senのハガキ使用例は日本の切手無し軍事郵便往復ハガキを利用した物、15Sen30sen貼りカバーは15Senが書状料金で30senが書留料金時代の使用例。

所有マテリアルについての質問、オーストラリア・ビクトリア植民地政府時代のスイス宛書留カバーについて、18641017Deep Creek発、Gordevio宛、MelbourneMarseilles経由、カバーから推測出来る情報など。

4人目)eBayで残念ながら入手出来なかった、インドネシア独立戦争時期のカバーについて、日本の占領時期、海軍担当地区でオランダ切手に加刷された物に、NICA TIMOR Netherlands Indies Civil Administration Timor)と更に加刷された切手の多数貼りカバー。

Netherlands Indies Civil Administration – Wikipedia

四角の消印は19451115日、KOEPANG(現在の西ティモール・クパン)局、この NICA TIMOR加刷の切手は非常に少なく、それぞれ20から30枚程度しか確認されていないと思われる。

金箔切手の話題として、1996年ブータン発行、ペニーブラック切手、元は1840年発行なので関連は不明、22金のCARTOR社製造で出来は良く、お気に入りの1枚との事です。

最近入手した、サウススーダン共和国の書留カバー2通を紹介、共に独立初期発行の切手に改値加刷された切手が貼られ、2019年首都JUBA消、フィラテリックな使用例かもしれないが、書留カバーは比較的少ない。

5人目)PHILANIPPON 2021に出品予定の作品より(その為一部画像加工しています)元々は旧中国切手の目打バラエティとして入手したカバーだが、裏面の右側に押されている消印について紹介。

正式な名称は分からないが、秘密交換局と言われている郵便局の消印、1937年の盧溝橋事件より北京や上海の都市を日本軍が抑えて来て、次は香港となった時期でも郵便業務は行われおり、アメリカ宛航空便も通常通り行われていたが、段々と大ぴらに香港に集めて業務を行うのが難しくなって来た時、秘密裏に日本軍に分からない様に集め、アメリカならアメリカに送る様にしていた、そこで使われていた消印。

この消印は現在人気が有り、参考として3年前の香港・スピンクオークションで、この消印が押された国内宛オンピースが出品されており、不落札だったがこの値段だったとの事。

6人目)前回紹介の、アメリカ・ミステックスタンプ社で購入したアメリカ切手図入アルバムが到着してたので続報を紹介。

https://www.mysticstamp.com/Products/Supplies/M8104/USA

前回と重複する部分は有りますが、全3巻両面印刷、3000枚以上の切手を掲載、ヒンジと切手のおまけ付、スコット番号や情報(見開きで前ページ裏面に切手の解説)も掲載で送料別$59.951847年より2020年の切手迄を採録、第1巻は1985年迄を掲載しており、JPSスタンプクラブ世代にはこれだけでも楽しめそうです、切手を貼っていくとやはりバインダーの追加が必要と思われますが、ブランクリーフ付きでバインダー単品でも販売していますが、デザインに拘らなければ国内通販のOFFICE DEPOTで同等品のバインダーを安価で入手可能です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。

外国切手研究会 第58回Zoom例会レポート

2021529日 2000PM – 22:00PM開催『外国切手研究会 第58Zoom例会』レポートです。参加者10人中5人の発表で質疑応答が有りました。

1人目)前回話題に上がり、eBayに出品されていたインドネシア独立戦争時期1949年発行・椰子軍事切手に関する報告や調査について、最終的には日本円で約39万円で落札されました。

今回落札された切手は画像の特徴より、版欠点が記述された専門書の「R10」に相当のようです、外国のオークションカタログの表紙にも使用済が掲載された事が有り、以前の国際切手展で出品されていたコレクションの記述などから、シートは2×8のブロックで構成、現存数は100枚以下、使用された消印は9局、オークションカタログ表紙とコレクション中の使用済はSRAGEN局消。

アジア新興国などでは、独立戦争時期の切手やカバーは以前に比べ値上がり状況で、インドネシアは初期のアーカイブなども比較的残っており、複数のコレクターがアジア国際展に出品されているとの事でした。

2人目)最近入手した戦前の朝鮮よりアメリカ宛カバーについて、京城発マサセッチュー宛2倍重量便、KEIJOCHOSEN HOTELの封筒が使われており、裏面にはKEIJO OFFICE S.M.R.と印刷されている、S.M.R.とは南満州鉄道(The South Manchuria Railway Co., Ltd.)の略。

1917年より1927年位迄、朝鮮の鉄道は総督府ではなく南満州鉄道が委託運営していた時期であり、このCHOSEN HOTELは戦前の朝鮮半島では唯一の高級ホテルで、海外からのビジネスマンにも利用されていた、裏面の差出人も香港上海銀行の横浜支店社員と思われ、理にかなった使用例です。

質疑応答より同様のカバーを提示して頂き、CHOSEN HOTELの封筒は少なくとも2種類は有る事が分かりました。

3人目)APSAmerican Philatelic Society)で、夏に開催される幾つかの有料セミナーに全部申し込んだ所、届いたプレゼントのお話について、アメリカ本国や外国切手のパケット、カバーなどが届いた、特にアメリカ切手等は収集していなかったが折角なので整理の為、図入アルバムを購入したとの事で貼込み前なら3巻で最近迄の切手が掲載されているとの事、少年時代のワクワク感を思い出させる楽しい話題です。

American Philatelic Society

https://www.mysticstamp.com/Products/Supplies/M8104/USA

このミステックスタンプ社で扱っているアメリカ切手図入アルバムは、全3巻で1600ページ以上、3000枚以上の切手を掲載、ヒンジと切手のおまけ付、スコット番号や情報も掲載で送料別$59.95、切手を貼っていくとバインダーの追加が必要と思われますが、普及版として安価で販売しているようです、JPSのアメリカ図入アルバムは古い年代の巻は絶版になっている為、今後アメリカ切手のカタログコレクションに興味が有る方は、こちらを検討しても良いと思いました。

3人目)新中国・文革切手についての話題、197171日発行(革4)中国共産党50周年、以前のJPS新中国切手カタログには掲載されていた、1180-78-79-80左耳紙付4種連刷36面のフルシートと共にメルカリに出品されていた。

この4種連刷は36面シートから切り離されたのでは無く、左側が大きくマージンとなっていた為か40面シートに変更されて印刷されたシートより、左側の耳紙を付けた状態で4種連刷で切り離されたもので、画像の連刷がそれに該当する、36面シートから1180-78-79-80左耳紙付4種連刷を作るのは不可能、左耳紙が無い場合も判別は不可能の為に注意が必要。

以前のカタログで#1180が#1178や#1179より安価なのは、40面シートの発行で発行枚数が増えた為で枚数の記述は間違いと思われる、最新のJPSカタログには掲載されておらず、カタログ価も3枚共同じで、このバラエテイは無かった様になっている。

4人目)最近某オークションで落札した、英本国ビクトリア時代・18768ペンス切手について、英本国や英領を中心に長年収集している紹介者が、最も力を入れている英本国ビクトリア時代、カタログメインナンバーで唯一未入手だったマテリアル、この切手は未発行だがギボンズカタログにもスコットカタログ(#72)にもメインナンバーとして掲載されており、非常に入手困難だったとの事。

日本の手彫桜切手でも、未発行だがカタログメインナンバーとして掲載されている例も有る、殆どのカタログは政府や郵政が発行するのでは無く、デイーラーやそれら組織の為でしょうか。

未発行の理由は当時の2 1/2ペンス切手と刷色が似ていた為、大半は破棄処分されたが240枚のみ残された切手が市場に存在する、故に単純計算では、英本国切手のカタログメインナンバーを完集出来るのは世界中で最大240人しか存在しない。

正規に発行された8ペンスとそのカバー2通も紹介、ちなみに過去2番目に入手困難だった英本国切手は、以前紹介した1860年発行1 1/2ペンス切手の未使用との事でした。

5人目)学生時代に収集していた外国切手を、当時の情報と共に少し紹介、金箔切手のリーフはアジマンとガボン発行分、1965年のシュバイツアー博士の切手は世界最初の金箔切手として有名、拡大画像で見ると日本の新動植物国宝切手のミニパックの様なビニール袋に入っている、裏糊もついており、薄い金箔保護と指紋や湿気対策だったのでしょうか。

1967年発行のムバ大統領の切手はシール状の台紙となっており、こちらも薄い金箔保護とコストダウンの為だったのでしょうか。

1967年セントルシア発行の自治制加刷の25セント2枚は、台切手の文字部分を金色で消した後、青色と黒色で加刷された切手だが、本来は赤色の加刷でこの色はスコットカタログにも未掲載との事、何か情報が有れば宜しくお願いしますとの事でした。

発売当時の切手情報や入手は、大阪のカナイスタンプ発行のスタンプレーダー、三重の森下浩、京都のフジスタンプ、名古屋のユキオスタンプなど、懐かしい老舗の名前が上がりました、現在でも営業されているのはユキオスタンプだけですが、当時の先代店主はかなり外国切手に力を入れていたとの事です。

今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。