2022年4月16日 20:00PM – 21:30PM開催『外国切手研究会 第86回Zoom例会』レポートです。参加者10人中5人の発表で質疑応答が有りました。
1人目・山崎文雄氏)ハワイ王国のカバーを3通紹介、いずれも難が有り残念との事ですが、資料的にはどれも貴重なマテリアル。
1通目、一見するとスタンプレスにも見えるが、右上部分の切手が剥ぎ取られたアメリカ・ペンシルバニア州宛のレデイース・カバー、ホノルル局の消印は5月9日、サンフランシスコ局到着印6月15日、切手料金支払済を示すPAID印、使用されている消印のタイプと封筒上の記入からも1852年、運ばれた船名やパナマ経由のルートも判明しており、貼付されていたのは13セント宣教師切手(SC#3、又は#4)と思われる、切手が貼られた完全な状態なら日本円で1000万円以上との事。
2通目、こちらも1通目と同じ宛先のコレスポンデンス・カバー、ホノルル局6月9日、サンフランシスコ局到着印7月31日、切手料金支払済を示すPAID印、8の数字入り丸型印、左下にOverLand(大陸横断)の書き込みが有るがこちらもパナマ経由と思われる、料金内訳はハワイ料金5セント、船長支払い分2セント、アメリカ国内料金6セントの合計13セント、やはり宣教師切手が貼付されていたと思われるが、スタンプレスだった可能性も有るとの事。
3通目、ハワイ5セント切手(SC#8)、アメリカ12セント切手(SC#17)貼付のアメリカ・オハイオ州宛コンビネーションカバー、ホノルル局2月14日、サンフランシスコ局到着印1861年3月11日、このカバーは大陸横断で運ばれたと思われる、ハワイ切手に傷が無くコンディションが良ければ7〜8000ドルの評価との事。
2人目・槇原晃二氏)ウルグアイ関連のカバーを3通紹介、因みに同国の1番切手は1856年発行。
1通目、1853年のスタンプレスカバー、12月5日モンテビデオ発、フランス・マルセイユ宛、イギリス・ロンドン中継印、フランス・カレー中継、マルセイユ到着印、COLONYS & co.ART.?の印は英仏の郵便交換条約による物、手書き数字の30が郵便料金と思われるが、右上の12と40の数字の意味については調査中で情報も募集との事です。
2通目、1877年発行数字シリーズ10c切手貼、フランス・ボルドー宛カバー、1880年5月10日モンテビデオ発、不足料を表す”T”の印が押され、黒の数字12と青の数字10が手書きされている、UPUの規定では青で記入された数字は不足料金を表すが、このカバーに関しては両数字の意味を調査中。
3通目、1877年発行数字シリーズ20c切手2枚貼、こちらも2通目と同じ宛先のコレスポンデンス・カバー、大型のカバーで基本料金の4倍重量便、1880年5月7日モンテビデオ発、こちらも不足料を表す”T”の印が押され、黒の数字24と青の数字40が手書きされており、こちらも同様に調査中。
3人目・重山優氏)旧中国・烈士切手貼り上海発、日本・東京世田谷宛航空便カバー、1枚だけ日本の第1時昭和切手の1銭が貼られており、これを1分切手として計算すると合計99分で当時の正規料金になる、但しこのカバーの注目点は別に有り、世田谷の到着印は昭和15(1940)年3月13日だが、貼付されている香港版烈士切手の1分と10分の発行日は多くのカタログで1940年6月20日となっており、カタログの記述間違いか正規発行前の使用例となる、この切手には透かし有りと無しが有るがどちらも発行日は同じ。
4人目・吉田敬氏)スイス初期のバーセルやチューリッヒの切手は有名だが、スイス連邦政府として最初に発行された切手の簡単な解説と紹介、スコット等の世界カタログでは一部図版の簡略や未掲載も有り分かりにくい面が有る、1850年発行と1851年発行の5rの違いは、当初は青い着色紙に印刷された様に見えるが、実は白紙に印刷された3色刷で発行され10rも同じ、この濃い印面では消印が読みにくい、押されているか分からない、消されやすいと言う事で1年も経たない間に2色刷りに変更され、1852年発行の15rは当初より1色刷で発行された。
1851年発行の5rは、ツームスタインの専門カタログでは印刷版の違いで10種類に分類されている、5×8=40面シートの石版印刷だが、その原版は手書きで作成され、10種類の印刷版は同じ原版から転写された為、全てポジションの特徴で判別が出来る、専門書では先にこのポジションを確定してから、印刷版の特徴で版の分類をするようになっているとの事。
5人目・ソン・フィチャン氏)小判ハガキ・戦前の朝鮮半島使用例、差出印は仁川局で明治30年1月20日イ便、到着印は京城局で同日ロ便、両都市を結ぶ鉄道は明治32年開通の為、当時どの様にして運ばれたのか興味が有ります、差出人の仁川・濱田支店についても調べた所、スタンフォード大学デジタルコレクションのHPで、朝鮮新報1896(明治29)年12月2日の記事に見つける事が出来た、住所は居留地となっている、同日の記事には仁川郵便局の落成式や、その仁川郵便局の神戸行船舶搭載郵便物の締切時間の広告も掲載されていた。
今回は以上です。詳細は下記画像をクリックして頂ければ大きな画像で見て頂く事ができます。例会内容に興味が有る方や御質問、感想等頂ける方、興味の有るマテリアルを御持ちの方、些細な事でも結構ですのでコメントをお待ちしております。